テオ・イザイ

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テオフィル・イザイ
Théophile Ysaÿe
左から順にテオ・イザイ、ウジェーヌ・イザイ、ラウール・プーニョ
左から順にテオ・イザイ、ウジェーヌ・イザイラウール・プーニョ
基本情報
出生 1865年3月2日
ベルギーの旗 ベルギー ヴェルヴィエ
死没 1918年3月24日(満53歳没)
フランスの旗 フランス ニース
ジャンル クラシック
職業 作曲家指揮者

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テオフィル・イザイThéophile Ysaÿe 発音: [te.ofil iza.i]1865年3月2日 - 1918年3月24日[1]は、ベルギー作曲家ピアニスト。兄はヴァイオリニスト指揮者ウジェーヌ・イザイである。

生涯[編集]

ヴェルヴィエに生まれ。テオはリエージュ王立音楽院で音楽の勉強を開始し、兄のウジェーヌの勧めに従いベルリンに赴いてさらに勉学に励んだ。1885年パリを訪れたイザイは「フランク一派」への仲間入りを果たすが、同時にドビュッシー印象主義に代表されるような新しい美の運動にも協力的であった。イザイはブリュッセルにおいてフランスの音楽家たちによる新しい楽派の作品を普及させるのに一役買った。1894年、彼は兄と共にブリュッセルで市民に対して幅広く音楽造形美術英語版に接する機会を提供していた自由美学展英語版との提携を結んだ。イザイはピアニストとして、またコレペティートルとしてその才能を発揮した。

イザイは優れたピアニストであったものの、病弱であったため兄ように目覚ましいキャリアを重ねることが出来なかった。その一方、ジュネーヴ音楽院の教授としてその力量を発揮した。

イザイは1918年、フランスニースに没した。これはドビュッシーの死の2日前のことであった。彼は比較的多作家であったもののその作品の多くは全く演奏されないことはもちろん、1度も出版されていない。彼の作品番号13、14と15はニューヨークのG.シュイルマーから出版された。他には交響曲、ピアノ協奏曲、交響詩、室内楽曲、そしてレクイエムなどの作品がある。彼は当初フランクの様式を継承していたが、後に印象主義からの影響が明らかな作風へと転向していった。

主要作品[編集]

管弦楽曲[編集]

  • ピアノ協奏曲 変ホ長調 Op.9 (1907年出版)
  • 大管弦楽のための「Fantaisie sur un thème populaire wallon」 Op.13 (1907年)
  • 交響曲第1番 Op.14 (1908年出版)
  • Le Cygne(「白鳥」) Op.15 (1907年出版)
  • Les Abeilles(「蜂」) Op.17
  • 森と鳥(La Forêt et l'Oiseau) Op.18
  • 交響曲第2番 (未完)

室内楽曲[編集]

  • ピアノ五重奏曲 Op.5
  • 2台のピアノのための変奏曲 Op.10

合唱曲[編集]

  • レクイエム (1906年)

ピアノ曲[編集]

  • 夜想曲 イ短調

出典[編集]

  1. ^ Slonimsky, Nicolas (1978). “Ysaye, Theophile”. Baker's Biographical dictionary of musicians (6th ed.). New York: Schirmer Books. p. 1930. ISBN 0-02-870240-9. 

外部リンク[編集]