コンテンツにスキップ

テオドラ・ドゥーカイナ・コムネナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テオドラ・ドゥーカイナ・コムネナ
Theodora Dukaina Komnena

出生 1058年
死去 1083年
配偶者 ドメニコ・セルヴォ
父親 東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス10世ドゥーカス
母親 エウドキア・マクレンボリティサ
テンプレートを表示

テオドラ・ドゥーカイナ・コムネナ (Theodora Dukaina Komnena, 1058年 - 1083年)は、東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス10世ドゥーカスと、2度目の皇后エウドキア・マクレンボリティサの娘。

生涯

[編集]

1075年、兄ミカエル7世ドゥーカス帝の在位時に、ヴェネツィア共和国ドージェドメニコ・セルヴォコンスタンティノープルで結婚。結婚後は、テオドラ・アンナ・ドゥーカイナ・セルヴォ(Teodora Anna Dukaina Selvo)と名乗った。

彼女は大勢のギリシャ人従者たちを連れてヴェネツィアへ降嫁し、そこでは一般的でない、貴族らしい振る舞いと高慢にみえるマナーを、自ら持ち込んだ。東ローマ風の贅沢としてたとえば、突き出し燭台につけたロウソクフォークフィンガーボウルナプキンの使用などである。彼女は退行性の病で死んだが、ヴェネツィア人たちは、彼女の際限のない贅沢なふるまいに対して神聖な審判が下ったとみた。