ティーボー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ティーボー王,およそ1880年

ティーボー王(Thibaw Min[θìbɔ́ mɪ́ɴ],1859年1月1日1916年12月19日 在位1878年1885年)はコンバウン王朝の最後の国王[1]

略歴[編集]

開明的なミンドン王が1878年に病死すると力が弱く若い王子だからこそ影響力を強め自国の改革と近代化を推し進められると考えた国務院の推挙で21歳で即位した。しかし、翌年、スパラヤット英語版王妃を含む保守派の巻き返しによって改革派は失脚し、前王の王子31人、娘9人が捕えられ処刑され王国の近代化は挫折した。イギリスを牽制するためフランスに接近したことから第三次英緬戦争が勃発しコンバウン王朝は滅亡しビルマはイギリス領インド帝国に併合された。

1885年11月25日、彼とスパラヤット英語版王妃、4人の王女たち(長女・Hteiksu Myatpayagyi、次女・Hteiksu Myatpayalat、三女・Hteiksu Myatpaya、四女・Hteiksu Myatpayalay)は、わずかな付き人と共にボンベイの南にあるラトナギリ英語版に追放され、その地で細々と暮らしたが1910年に植民地政府の資金で建設された宮殿に移り住み1916年に57歳で死亡した。[2]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ KONBAU19”. royalark.net. 2011年11月18日閲覧。
  2. ^ 後藤修身 (2009年12月17日). “ロイヤルファミリーの消滅とその後”. 2011年11月18日閲覧。