ティベリウス・センプロニウス・ロングス (紀元前194年の執政官)

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ティベリウス・センプロニウス・ロングスラテン語: Tiberius Sempronius Longus, 生没年不詳、紀元前2世紀)は、共和政ローマ元老院議員。紀元前194年スキピオ・アフリカヌスとともに執政官を務めた。父は同名で第二次ポエニ戦争を戦ったティベリウス・センプロニウス・ロングス

執政官の任期の間、彼は法制を重視、とくに移民法に携わった。またローマの直轄地であるプテオリサレルヌムなどカンパニア地方を監察した。

ガリアの属州化の際に軍を率いて北イタリアのボイイ族に制圧される。その包囲網の中でセンプロニウスは部下を抑え支援を待った。しかし数日経てボイイ族は攻撃を始め、野営地の塀の出入り口に駆け込み、ローマが出撃困難となったが、野営地の外で戦うように持っていくとガリア人を撃破、しかし撃退に5000人のローマ人が戦死した。

センプロニウスは任期の終わり頃にプラケンティアに移り住み、それ以降の記録はあまり分かってはいない。しかし紀元前193年リグリア人がプラケンティアを攻撃しようとするとセンプロニウスはローマに使者を送り救援を要請、彼のもとでボイイ族と戦った退役兵が駆けつけ防衛を担った。