ティッパー・ゴア

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ティッパー・ゴア
Tipper Gore

ティッパー・ゴア(1999年10月撮影)


任期
1993年1月20日 – 2001年1月20日
前任者 マリリン・クエール
後任者 リン・チェイニー

出生 1948年8月19日
ワシントンD.C.
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 アル・ゴア・ジュニア(1970 - 2010、別居
子女 カレナ・ゴア英語版
クリスティン・ゴア英語版
サラ・ゴア
アル・ゴア3世
母校 ボストン大学
ジョージ・ピーボディ大学
職業 著作家カメラマン
信仰 アメリカ聖公会

メアリー・エリザベス・エイチェソン “ティッパー” ゴア英語: Mary Elizabeth Aitcheson "Tipper" Gore , 1948年8月19日 - )は、アメリカ合衆国著作家写真家。第45代アメリカ合衆国副大統領アル・ゴアの妻でもある。1993年1月20日から2001年1月20日までアメリカ合衆国のセカンドレディの役割を担った。ゴア夫妻は2010年に離婚することを公表した。

PMRCを率いてヘヴィメタルパンクヒップホップ分野をおもに、暴力的あるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽を批判し、レコードに「ペアレンタル・アドバイザリー」のステッカー(通称:ティッパーステッカー)を貼るのを義務づけるよう促進した彼女はセカンドレディになる前から著名人であった。

経歴[編集]

アル・ゴアとの結婚式写真(1970年5月19日)

メアリー・エリザベス・エイチェソンは1948年8月19日アメリカ合衆国首都であるワシントンD.C.にて、水道会社を経営するジョン・ケネス・エイチェソン・ジュニアと前の夫を第二次世界大戦で亡くしたマーガレット・アン・カールソン・オダム(1924–2001)の一人娘として生まれた[1][2]。祖先にはイングランド人スコットランド人ドイツ人スウェーデン人も含まれる[2][3]1952年に両親の離婚が成立し[2]バージニア州アーリントンにあるマーガレットの実家で育てられた[1]ニックネームの"ティッパー"は、幼少期にお気に入りだった子守唄「ティッパー、ティッパー、ティン(Tippy, Tippy, Tin)」より母親が名付けた[1]

バージニア州アレクサンドリアに位置する民間の女子校、聖アグネス学院英語版に入学したティッパーはバスケットボールソフトボールフィールドホッケーのチームでプレーし、ガールズバンド「ワイルドキャッツ」にも所属してドラムを担当した[1]

1965年にアル・ゴアが通うワシントンD.C.の聖アルバンス学院英語版シニアプロムに参加して彼と出会い、二人はすぐに交際を開始した[4]。高校を卒業したゴアはハーバード大学に進学し、ティッパーもガーランド短期大学英語版に進学した[5]。ティッパーはその後にボストン大学に転学した[1]。1970年に同校で心理学学士号を取得した彼女は心理学を追求して1975年にはジョージ・ピーボディ大学修士号を取得した[6]。翌1976年に夫のゴアが連邦議会を構成する議員の一人に選出されるまではテネシー州で新聞カメラマンとして働いた[6]

家族と私生活[編集]

副大統領候補になったアル・ゴアとティッパー、末娘サラ(1992年10月26日)
ゴア夫妻(1998年6月6日)

アル・ゴア・ジュニアとメアリー・エリザベス・エイチェソンは1970年5月19日にワシントン大聖堂で結婚式をあげた[7]。夫婦は4人の子供をもうけた。

ティッパーは2000年8月17日にロサンゼルスに位置するステイプルズ・センターにて、民主党の大統領候補指名を受け入れた夫と長く、濃厚なキスを交わした[16]

2003年に「イレイジング・ザ・スティグマ・アワーズ」において、息子のアル・ゴア3世が幼少期に自動車にはねられて瀕死の重傷を負った際にうつ病に苦しみ、それを克服した彼女自身の経験について講演した[17]

2010年6月1日に熟慮と協議を経た末の結論として、ゴア夫妻は40年におよぶ結婚生活に終止符を打ち、離婚すると公表した[18][19]2012年8月25日付の『ニューヨーク・タイムズ』は二人が年に数回、家族旅行やクリスマスなどの機会に会っていると報じた[16]

政治への関与[編集]

1984年に当時11歳だった長女のカレナが聴いていたプリンスアルバムパープル・レイン』の収録曲「ダーリン・ニッキー英語版」に耳を傾けて露骨な歌詞が含まれていると感じて憤慨し、翌1985年アメリカ合衆国財務長官ジェームズ・ベイカーの妻スーザン・ベイカーらと共同でPMRCを設立した[20]。「ナショナル・パブリック・ラジオ」(NPR)の記事によると、この出来事がティッパーに子供たちへの警告目的で暴力的にあるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽のレコードステッカーを貼るように義務づける法案を連邦議会に提出するための働き掛けを開始する決意を促すことになった[21]政治家ビジネスマンの夫人たちで構成されるPMRCは夫たちの力を利用して上院において、「ポピュラー音楽の憂慮すべきコンテンツに関する」公聴会を開催させたが、会に出席して証言したミュージシャンフランク・ザッパジョン・デンバー、「トゥイステッド・シスター」に所属するディー・スナイダー英語版のいずれもが検閲に強く反対する意思を表明した[20]。PMRCを率いたティッパーは多くの音楽業界関係者から批判されることになり、ザッパは「文化に対するテロリストだ」と彼女を評した[1]ウォレントは1990年に発売したアルバム『いけないチェリーパイ英語版』の収録曲「オデ・トゥー・ティッパー・ゴア」で卑猥な語句を挿入して彼女を馬鹿にした[22]

また、青少年を取り巻く社会環境に警告を発する本を出版してこれがベストセラーになり、1988年アメリカ合衆国大統領選挙で候補の一人として名乗りを上げたゴアはこの時に「本人より先に、妻の名前が知られている初めての候補者」と呼ばれたり、「あのティッパーの亭主」と紹介されることもしばしばあった[23]。しかし、ティッパーは「彼(ゴア)は私の口を封じようとしたことは一度もありませんし、私も夫への影響を恐れて活動を中止するつもりは全くありません」と言い切っている[23]

アメリカ合衆国のセカンドレディとしてのティッパーはより良いメンタルヘルスを提唱し、精神疾患に対する偏見を根絶するキャンペーンを展開したことで称賛を獲得した[6]。1999年にはホワイトハウスで史上初めて開催されたメンタルヘルスについての会議で議長を務めた[6]。彼女は自身のうつ病体験を公にしている[6]

著書[編集]

著者または共著者として、数冊の本を出している。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Tipper Gore Bio” (英語). CNN.com. 2015年1月1日閲覧。
  2. ^ a b c William Addams Reitwiesner. “The Ancestors of Tipper Gore” (英語). Wargs.com. 2015年1月1日閲覧。
  3. ^ Maraniss(2001年) p.259
  4. ^ David Maraniss, Ellen Y. Nakashima (1999年10月10日). “Al Gore: Growing Up in Two Worlds” (英語). Washingtonpost.com. p. 2. 2015年1月1日閲覧。
  5. ^ Annie Groer (2010年6月1日). “Al and Tipper Gore Split After 40 Years of Marriage” (英語). Politicsdaily.com. 2015年1月1日閲覧。
  6. ^ a b c d e Tipper Gore In and Out of Public Eye” (英語). ABCNews.go.com (2006年1月6日). 2015年1月1日閲覧。
  7. ^ a b c d e Gore Chronology” (英語). PBS.org. 2015年1月1日閲覧。
  8. ^ a b Alexandra Starr (2006年2月12日). “Women Warriors” (英語). NYTimes.com. 2015年1月1日閲覧。
  9. ^ Andrew Schiff, Karenna Gore” (英語). NYTimes.com (1997年7月13日). 2015年1月1日閲覧。
  10. ^ Ron Fournier (2010年6月9日). “Karenna Gore Schiff Separation: Gore Daughter SPLITS From Husband” (英語). Huffingtonpost.com. 2015年1月1日閲覧。
  11. ^ a b Mark Duell (2011年6月29日). “'They still love each other': Al Gore's daughter opens up about her parents' shocking split” (英語). Dailymail.co.uk. 2015年1月1日閲覧。
  12. ^ Reliable Source - Love, Etc.” (英語). Washingtonpost.com (2009年5月28日). 2015年1月1日閲覧。
  13. ^ a b c Meghan Keneally (2014年4月22日). “Al Gore's youngest daughter Sarah, 35, gets remarried under an old pine tree in casual outdoor service in California” (英語). Dailymail.co.uk. 2015年1月1日閲覧。
  14. ^ Dan Bloom (2007年7月25日). “When Sarah Gore married Bill Lee” (英語). Taipeitimes.com. 2015年1月1日閲覧。
  15. ^ a b Stephen M. Silverman (2014年6月1日). “Albert Gore, Son of Al and Tipper Gore, Marries in D.C.” (英語). People.com. 2015年1月1日閲覧。
  16. ^ a b Patrick Healy (2012年8月25日). “The End of the Line” (英語). NYTimes.com. p. 1. 2015年1月1日閲覧。
  17. ^ John Morgan, Stephen A. Shoop (2003年6月2日). “Tipper Gore Honors Mental Health Achievements” (英語). DrDonnica.com. 2015年1月1日閲覧。
  18. ^ ゴア元米副大統領夫妻が離婚 米主要メディア報道”. 47news.jp (2010年6月2日). 2015年1月1日閲覧。
  19. ^ Amy Argetsinger, Roxanne Roberts (2010年6月2日). “40 more years? Not for Al and Tipper Gore, who've announced their separation” (英語). Washingtonpost.com. 2015年1月1日閲覧。
  20. ^ a b Miss Cellania (2012年1月2日). “Tipper vs. Music” (英語). Neatorama.com. 2015年1月1日閲覧。
  21. ^ Robert Siegel (2005年1月11日). “Tipper Gore and Family Values” (英語). NPR.org. 2015年1月1日閲覧。
  22. ^ Jeff Vrabel (2009年8月10日). “The Steel Horse Archives: Warrant, “Cherry Pie” (1990)” (英語). Popdose.com. 2015年1月1日閲覧。
  23. ^ a b 多賀(1990年) p.205

参考文献[編集]

  • David Maraniss, Ellen Y. Nakashima (2001年) (英語). The Prince of Tennessee: Al Gore Meets His Fate. Simon & Schuster;1st Touchstone Ed edition. ISBN 978-0743210508. 
  • 多賀幹子 『その名はアメリカ大統領夫人(ファースト・レディー)―41の愛と野望』 徳間書店1990年ISBN 978-4195541326

外部リンク[編集]