ティッパー・ゴア

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ティッパー・ゴア(中央の女性)
ゴア夫妻とクリントン夫妻。ティッパー夫人は左から2番目。2007年撮影。

ティッパー・ゴアTipper Gore1948年8月19日-)、本名メアリー・エリザベス・エイチェソン・ゴア(Mary Elizabeth Aitcheson Gore)は、元アメリカ合衆国副大統領アル・ゴア夫人で、1993年から2001年までのアメリカ合衆国セカンドレディ。"ティッパー"の愛称で知られる。

来歴[編集]

ティッパー・ゴア(以下、ティッパー)は、1948年8月19日、ワシントンD.C.に、水道会社社長ジョン・"ジャック"・ケネス・エイチェソン(John "Jack" Kenneth Aitcheson)と、その妻マーガレット・オダム(Margaret Odom)の娘として誕生し、ヴァージニア州アーリントンで育った。やがて、両親は離婚し、ティッパーは、母と祖母に育てられた。ティッパーは、ヴァージニア州アレクサンドリア米国聖公会聖スティーブンと聖アグネス学院に入学し、スポーツや女子バンドドラムで優秀な成績を残した。

アルとの出会い[編集]

ティッパーは、ワシントンD.C.の聖アルバンス学院シニアプロムで、将来の夫アル・ゴア(以下、アル)と出会い、二人はすぐに交際し始めた。卒業後、アルはハーバード大学へ、ティッパーはボストン大学へ進み、心理学を専攻した。ティッパーは1970年にボストン大学の文学士号を取得し、1970年5月19日にアルと結婚した。1975年には、ジョージ・ピーボディ大学(のちにヴァンダービルト大学と合併)で心理学修士号を取得した。またティッパーは、アルが1976年下院議員に選出されるまで、新聞カメラマンとして働いた。

家族[編集]

ゴア夫妻には、カレナ(Karenna、1973年-、ドリュー・シフと結婚)、クリスティン(Kristin、1977年-、ポール・キューサックと結婚)、サラ(Sarah、1979年-、ビル・リーと結婚)、アル・3世(Al III、1982年-)の1男3女がいる。また、夫妻には、2人の孫ワイアット・シフ(Wyatt Gore Schiff、1999年-)とアンナ・シフ(Anna Hunger Schiff、2001年-)がいる。カレナは弁護士、著述家およびジャーナリストとして活動している。クリスティンは著述家およびテレビ番組のライターとして活動している。サラはカリフォルニア大学サンフランシスコ校で医療を学んでおり、アル・3世は慈善事業雑誌の出版者として働いている。

音楽との闘争[編集]

ティッパーは、しばしば最初の現代的なセカンドレディと考えられている。ティッパーが、アメリカの映画やテレビ、音楽などのエンターテイメント産業から猥褻な要素を払拭させる活動に積極的だったからである。1985年、自宅でプリンスのアルバム『パープル・レイン』の収録曲『ダーリン・ニッキー』を11歳のカレナが聞いているのを見つけ、歌詞が卑猥であると憤慨して「問題のある内容のレコードにウォーニング・ステッカーを貼る事を義務付ける法案」を連邦議会に提出した。ティッパーは、トゥイスティッド・シスターディー・スナイダージョン・デンバーフランク・ザッパらを激しく非難し、公聴会ではフランク・ザッパから「文化に対するテロリストだ」と非難された。その後、父母音楽情報源センターParents Music Resource Center、略称PMRC)を立ち上げ、青少年に悪影響を与える映画、音楽、テレビ番組等を排除する運動を率いた。また、ティッパーに批判的なジェロ・ビアフラエミネムなどとの論争も生んだ。

愛称[編集]

愛称の"ティッパー(Tipper)"は、幼少期にお気に入りだった子守唄『Tippy, Tippy, Tin』に由来する。