チート (映画)

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チート
The Cheat
The Cheat 1915.jpg
監督 セシル・B・デミル
脚本 ヘクター・ターンブル
ジーニー・マクファーソン
製作 セシル・B・デミル
製作総指揮 ジェシー・L・ラスキー
出演者 早川雪洲
ファニー・ウォード
撮影 アルビン・ワイコフ
編集 セシル・B・デミル
公開 アメリカ合衆国の旗 1915年12月13日
上映時間 59分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
製作費 $17,000
興行収入 $137,000
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チート(原題:The Cheat )は、セシル・B・デミル監督による1915年公開の無声映画。主演は早川雪洲、ファニー・ウォード。日本人である早川雪洲が主演したことで名高い作品であるが、内容が白人女性に焼けた鉄ごてを当てるなど国辱的である等の理由により、当時の日本では公開されなかった。

スタッフ[編集]

  • 監督:セシル・B・デミル
  • 脚本:ヘクター・ターンブル、ジーニー・マクファーソン
  • 撮影:アルビン・ワイコフ
  • 美術:ウィルフレッド・バックランド

キャスト[編集]

  • イーディス・ハーディ:ファニー・ウォード
  • ヒシュル・トリ:早川雪洲
  • ディック・ハーディ:ジャック・ディーン
  • トリの使用人:阿部豊
  • ジョーンズ:ジェイムズ・ニール

あらすじ[編集]

ニューヨークの投資家ディック・ハーディの妻イーディス(ファニー・ウォード)は社交的な女性であり、浪費家であった。投資が不調のハーディは、イーディスに浪費を慎むようたしなめるが、イーディスにはその気はなかった。彼女は赤十字の寄付金収集にも協力していたが、知人の投資家からもたらされた有望株の情報に飛びつき、預かっていた寄付金1万ドルを投資に流用してしまう。

日本人の富豪ヒシュル・トリ(鳥居?)は、自らの所有物には必ず『鳥居』の焼印を押し、『所有物』であることを示す骨董商であった。彼はかねてよりイーディスと親しくしており、イーディスに対し邪まな好意を持っていたが、当然ハーディはトリを快く思ってはいなかった。

イーディスの行った投資は失敗してしまい、途方にくれたイーディスはトリの元を訪れ、トリから1万ドルの借金をしてしまう。トリは喜んで金を貸すが、その条件はイーディスを愛人とすることであった。

ハーディが株で大もうけしたため、イーディスは夫に嘘をつき1万ドルを得る。彼女はトリの屋敷を訪れ借金を返そうとするがトリは受け付けない。トリはイーディスに迫るが、必死に抵抗するイーディスに激怒したトリは、イーディスを押さえつけ、その肩に自らの所有物である旨の『鳥居』の焼印を押す。ショックを受けたイーディスは、そばにあった拳銃でトリを撃ってしまう。

妻の不審な行動を心配したハーディはトリ邸に侵入し、イーディスがトリを撃ったことを知る。妻を守るべくハーディは罪をかぶり、逮捕される。

イーディスはトリの元を訪れ、必死に真実を明かすよう懇願するが、トリはイーディスとは目も合わさず、『事件はすでに法の手中にある。貴女に二度は騙されない』と言い、追い返す。

裁判が始まるも、正当防衛を主張するだけのハーディには有利な条件がない。証人であるトリも『撃ったのはハーディである』と証言する。ハーディの有罪が宣告されたそのとき、イーディスは法廷で肩をあらわにし、自らがトリを撃ったこと、焼印を押されるに至った経緯を叫ぶ。傍聴人は激怒し、トリは身の危険を感じて逃げ出す。ハーディの容疑は晴れ、妻イーディスとハーディは、傍聴人の拍手の中、揚々と法廷を後にする。

その他[編集]

  • 人妻に焼印を押すというショッキングなストーリーや、アメリカ人にとっては非常に新鮮であった早川雪洲の東洋的な美貌が受け、大ヒット。
  • 上述のように「残虐かつ好色、非人道的な日本人」が主人公であるため、公開当初から「国辱的である」として日本国内、在米邦人から批判が殺到。早川雪洲は「国辱俳優」との汚名を背負うこととなってしまう。
  • 第一次世界大戦開戦後の1918年にリバイバル公開された際には、日本がアメリカと同じ連合国側で戦ったこと等を考慮し、字幕が差し替えられ、「日本人の骨董商ヒシュル・トリ」は「ビルマ人の象牙王ハカ・アラカウ」と変更されたが、早川雪洲の衣装、邸宅が日本的であるシーン等は一切変更されなかった。現在、日本国内で入手できるDVDはこの「ビルマ人版」である。
  • 相手役のファニー・ウォードは当時国際的に知られた女優であり、公開当時のポスターにおいては、「国際スター」として紹介されたのはウォードであった。
  • 1916年にこの映画を観た25歳のルイ・デリュックはここに映画独自の芸術性が確立されたと考え、映画批評の道を進んで行く。映画に対する批評意識が生まれ、映画は芸術としての自分に目覚めた[1]
  • この映画を観た26歳のアベル・ガンスは新作『悲しみの聖母』(Mater dolorosa)で『チート』の手法を消化して、「表情の動きを強調する明暗効果」を際立たせて成功し、「突然、フランスの映画監督の筆頭に躍り出」る[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中条省平『フランス映画史の誘惑』集英社文庫 2003年p.58)。
  2. ^ 中条省平『フランス映画史の誘惑』集英社文庫 2003年p.59)。

外部リンク[編集]