チョン・キョンファ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
チョン・キョンファ
各種表記
ハングル 정경화
漢字 鄭京和
発音 チョン・キョンファ
チョン・ギョンファ
欧文表記: Kyung-Wha Chung
テンプレートを表示

チョン・キョンファ(漢字表記:鄭 京和、欧文表記:Kyung-Wha Chung[1]1948年[2]3月26日[3][4] )は韓国ヴァイオリニスト

出生・家族[編集]

韓国のソウルに生まれる[5]。7人きょうだいの4番目の子(三女)で、鄭の姉(次女)のチョン・ミョンファ(en)(鄭 明和)はチェリスト、弟(三男)のチョン・ミョンフン(鄭 明勲)は指揮者ピアニスト[2]。鄭の父は戦前に日本の明治大学法学部に留学し[6]、韓国で公務員をしていた[7][8]。鄭の母は、梨花女子専門学校を卒業後、1939年から日本の「栄養と料理学園」に留学し[9]、結婚して韓国に戻った後は高校教師をしていたが[10]、夫が公務員を辞めた後は、移り住む先々で韓国食堂を営んで家計を支えた[11]

楽歴[編集]

鄭は、2歳を過ぎた頃から多くの歌を正確な音程とリズムで歌い、ラジオの生放送に出演して7曲を1ヶ所も間違えずに歌った。4歳の時にピアノを習い始めた。[12]ピアノはヤマハ製だった[13]。鄭はピアノにはあまり興味を示さず[14]、姉のミョンファ(1944年生まれ、鄭より4歳上[2])が小学生になってヴァイオリンを習い始めた時に、鄭も一緒にヴァイオリンを習い始めた[15]

鄭は、ヴァイオリンのレッスンを2回受けただけで、小学校の入学式で子供達が歌う歌を弾けるようになり、ヴァイオリンを始めて8ヶ月目でコンクールに出て、3年間習い続けた子供を抑えて入賞した。小学校5年生で梨花女子高校のコンクールでメンデルスゾーンの曲を弾いて特賞を受け、「少年少女の夕べ」で、ソウル市交響楽団と協演した。[15]

同じ年に「外国のリトルオーケストラ(出典の表現通り)」が韓国に初めて来て演奏会を開いた。鄭は、「リトルオーケストラ」の指揮者や楽員の前でメンデルスゾーンの曲を弾き、「いろんな国に行ったけど、こんな上手な子は初めてだ」と驚きをもって高く評価された。後日、ソウルの米国文化院から、「ミュージック・アカデミー」という雑誌に、チョンが 『Lo-and-Behold!(和訳:こはいかに![16])』 というタイトルで1ページを使って紹介されていることが、チョン家に伝えられた。[17]

鄭は、1960年に、文化使節団の一員として日本を訪れ、伝手を辿って、日本の著名な音楽家や批評家の前で演奏する機会を得た。音楽評論家の牛山充は

「驚いた。朝鮮戦争でついこのあいだまで廃墟だった韓国と、こんなに美しい音楽をとても結びつけて考えることができない。技術的に優れた子供なら日本にもたくさんいるけど、こんなに感性の優れた音楽は初めてだ」[18]

と評した。牛山の評は、日本の音楽雑誌「音楽の友」に3ページにわたって掲載された。[18]

母と、既にアメリカ留学を果たしていた兄2人の尽力により、チョンは12歳でジュリアード音楽院へ留学し[19]イヴァン・ガラミアンに師事した[20]

1967年レーヴェントリット国際コンクールへ出場し、同窓のピンカス・ズーカーマンと同時優勝となる[21]

レーヴェントリット国際コンクールで優勝したチョンにはアメリカの各オーケストラから出演依頼が殺到した[22]。しかし、師のガラミアンの

「10代のうちにあまり有頂天になって舞台に出るのはよくない[22]

というアドバイスに従って、鄭は演奏活動をセーブして[22]、スイスに住んでいたヨーゼフ・シゲティに師事した[23]

シゲティに師事していた鄭は、ロンドン交響楽団の常任指揮者をしていたアンドレ・プレヴィンから、ロンドンロイヤル・フェスティバル・ホールで1970年に開かれる慈善ガラ・コンサートへの出演の誘いを受けた。鄭は、この演奏会で、チャイコフスキーの協奏曲を弾き、慈善演奏会の評は載せないことが多いイギリスの新聞から

ジネット・ヌヴー以来、こんな素晴らしいヴァイオリニストを聴いたことがない」[24]
「満員のお客のしつこい拍手喝采以上の価値が本当にあったのだ。果たしてハイフェッツがこれよりも巧く奏いたかどうか、疑問に思う」[24]

といった賛辞を受け、英デッカ・レコードと録音契約を結び、年に100回以上の演奏会を行うトップ・ヴァイオリニストとなった[25]

鄭は、英デッカに多くの録音を行った後に、1988年に英EMIに移籍して[1][注釈 1]、2011年現在に至る。

私生活では、1984年にイギリス人の実業家と結婚。出産を機に一時的に活動を休止するが、すぐに復帰。2005年より指のケガにより長期療養したのち、2010年に復帰した[要出典]2011年湖巌賞芸術部門受賞。

注釈[編集]

  1. ^ An exclusive recording artist with EMI Classics since 1988, her recording of Bartók’s Violin Concerto No.2 alongside Rhapsodies Nos.1 and 2, with the City of Birmingham Symphony Orchestra and Simon Rattle earned a coveted Gramophone Award.』[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c emiclassics.com Kyung-Wha Chung(Web魚拓、2011年12月30日現在)
  2. ^ a b c 李元叔 1994, p. 8.
  3. ^ チョン・キョンファ/演奏活動40周年記念豪華ボックス(19CD+1DVD)”. HMV ONLINE. 2012年9月13日閲覧。
  4. ^ Randel, Don Michael (1996). The Harvard Biographical Dictionary of Music. Harvard University Press. p. 161. ISBN 0674372999. 
  5. ^ 李元叔 1994, p. 43.
  6. ^ 李元叔 1994, p. 32.
  7. ^ 李元叔 1994, p. 37.
  8. ^ 李元叔 1994, p. 62.
  9. ^ 李元叔 1994, pp. 26–29.
  10. ^ 李元叔 1994, p. 48.
  11. ^ 李元叔 1994, pp. 51–57.
  12. ^ 李元叔 1994, p. 95.
  13. ^ 李元叔 1994, p. 94.
  14. ^ 李元叔 1994, pp. 95–96.
  15. ^ a b 李元叔 1994, p. 97.
  16. ^ 李元叔 1994, p. 109.
  17. ^ 李元叔 1994, pp. 108–109.
  18. ^ a b 李元叔 1994, p. 110.
  19. ^ 李元叔 1994, pp. 110–112.
  20. ^ 李元叔 1994, p. 114.
  21. ^ 李元叔 1994, p. 134.
  22. ^ a b c 李元叔 1994, p. 136.
  23. ^ 李元叔 1994, pp. 136–137.
  24. ^ a b 李元叔 1994, p. 138.
  25. ^ 李元叔 1994, pp. 137–138.

参考文献[編集]