チョウカイキャロル

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チョウカイキャロル
Chokaicarol.JPG
1995年6月4日 京都競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1991年3月26日
ブライアンズタイム
ウイットワタースランド
母の父 Mr.Prospector
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 谷川牧場
馬主 新田嘉一
調教師 鶴留明雄栗東
競走成績
生涯成績 12戦4勝
獲得賞金 2億5909万2000円
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チョウカイキャロル1991年 - )は日本競走馬ブライアンズタイムの初年度産駒の一頭であり、1994年優駿牝馬(オークス)で優勝した。

馬齢は旧表記で統一する。

戦績[編集]

1994年1月の新馬戦(ダート1800m)でデビューし、大差勝ちを収める。次走セントポーリア賞(500万条件)は後の天皇賞オフサイドトラップの2着。初重賞となったフラワーカップで3着に敗れたことで本賞金を加算できず、桜花賞を断念し「残念桜花賞」こと忘れな草賞に出走、4馬身差で圧勝する。優駿牝馬(オークス)では前走の内容から桜花賞馬オグリローマンに次ぐ2番人気に支持され、好位抜け出しの強い競馬でゴールデンジャックを3/4馬身抑えて優勝、GI勝ちを飾る。

休養を挟んだ秋はサファイヤステークス2着の後エリザベス女王杯へと出走。当時の規定で外国産馬であったが為にクラシックに出走できず、裏街道で勝ち星を重ねトライアルも連勝したヒシアマゾンと激しい叩き合いを演じほぼ同時にゴール板を駆け抜けた。長い写真判定の末、僅か3センチの差でヒシアマゾンの2着に敗れる。年末の有馬記念では8着に惨敗した。

この後は1995年2月の京都記念4着を経て3月の中京記念に勝ち、5月の京阪杯では直後に宝塚記念を制するダンツシアトルの2着と牝馬としては悪くないレースを続けたが、宝塚記念12着の後に真菌性喉のう炎という病気を発症していることが判明し休養、そのまま引退した。

主戦騎手は小島貞博だったが、当時は師匠の戸山為夫調教師の死去による厩舎解散、後を継いだ森秀行調教師の騎乗方針変更で小島の騎乗機会は激減していた。そこで兄弟子である鶴留調教師が小島に声を掛け、チョウカイキャロルに騎乗することになった。この成功がのちにタヤスツヨシでの当時JRAタイ記録の日本ダービー2勝目に繋がることになる。

主な勝ち鞍[編集]

繁殖牝馬として[編集]

1996年に故郷の谷川牧場で繁殖入りした。2002年生まれのチョウカイシャトル(父:ピルサドスキー)が5勝を挙げオープン級まで出世しているが、全体的には振るわない。2006年までに8頭の仔を産んだが、以後は不受胎が続き産駒を出せないまま、2012年に繁殖を引退した。その後も谷川牧場で功労馬として繋養されている[1]

血統表[編集]

チョウカイキャロル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ロベルト系
[§ 2]

*ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale

*ウイットワタースランド
Witwatersrand
1981 鹿毛
Mr.Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
母の母
Sleek Belle
1972 鹿毛
Vaguely Noble *ヴィエナ
Noble Lassie
Sleek Dancer Northern Dancer
Victorine
母系(F-No.) ウイットワタースランド(USA)(FN:9-f) [§ 3]
5代内の近親交配 Nashua 4×4=12.50% [§ 4]
出典
  1. ^ [2]
  2. ^ [3]
  3. ^ [2]
  4. ^ [2]

脚注[編集]

  1. ^ 引退名馬/チョウカイキャロル”. 名馬.jp. 2013年12月30日閲覧。
  2. ^ a b c 血統情報:5代血統表|チョウカイキャロル”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2017年8月9日閲覧。
  3. ^ チョウカイキャロルの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2017年8月9日閲覧。

外部リンク[編集]