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チュルク祖語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

チュルク祖語(チュルクそご、: Proto-Turkic: Пратюркский: Ana Türkçe, Ön Türkçe, Proto Türkçe、あるいはテュルク祖語)は、チュルク語族の祖語の言語。チュルク諸語から歴史比較言語学的手法により再構される。かつてはアルタイ語族に属するとされた。

年代区分

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チュルク祖語(PT)の年代的枠組みを構築する際、まず重要なのは、学術的構成概念としてのチュルク祖語(Proto-Turkic)と、実際に話されていた言語共同体を指す古代チュルク語(Ancient Turkic)を区別することである。チュルク祖語は、既存のチュルク諸語と比較研究によって再構された理論的な言語体系であり、古代チュルク語は形成期から紀元後6世紀半ばの第一次突厥碑文成立まで続いた歴史的実体を指す。

上限

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チュルク祖語の最も古い段階(先チュルク祖語とも呼ばれる)の上限は、社会言語学的条件が現代的な言語の形態を整え始めた新石器時代の始まり(紀元前4500年〜4000年頃)に置かれる。

  • トランスユーラシア(アルタイ)的背景
マーティン・ロベーツらの近年の研究では、新石器時代の西遼河流域におけるキビ栽培の開始(紀元前7000年頃)をトランスユーラシア大語族の拡散点とし、チュルク祖語はその最西端の分派として紀元前3000年頃には独自のアイデンティティを確立し始めたと推定している。ただしこれは批判を受けている。
  • 初期の接触
この時期のチュルク祖語は、ウラル諸語印欧諸語との古い借用語の貸借関係から、アルタイ諸語の共同体の中で最も西に位置していたと考えられている。

古代チュルク語の層位

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アンドラーシュ・ローナ=タシュ(András Róna-Tas)は、チュルク祖語の変遷を以下の3つの連続する同期体系として定義している。

  • 前期古代チュルク語(Early Ancient Turkic, 3000–500 BC)
明確な方言分立が固定化される前の、不均質的な言語的一致の期間である。
  • 後期古代チュルク語(Late Ancient Turkic, 500 BC – 400 AD)
後の諸言語の核となる等語線が形成され始めた時期である。
  • チュルク祖語段階(Proto-Turkic-0, -1, -2
比較手法で最も精緻に再構できる、分派直前の段階を「チュルク祖語-0(または単にチュルク祖語)」と呼び、それ以前を「チュルク祖語-1, -2」と遡って定義する。

チュルク祖語がオグール語派(r/l語)と共通チュルク語(z/š語)に分かれた下限年代の特定は、言語学と考古学の接点となる。

あぶみ(鐙)を意味する *üzängi の分析に基づき、全方言がこの語を共有しつつもオグール側でロータシズム(r化)が起きていることから、分派はあぶみが発明・普及した紀元前3世紀以降であると結論づけられている。

サモイェード祖語に見られる初期オグール系借用語(例:*yür「百」、*kiľ「冬」)の証拠から、紀元前後の数世紀にはオグール語派がシベリア南部で独自の発展を遂げていたことが裏付けられている。

オルチュン・ユナルによる最新の音韻史研究では、以下の主要な音変化の年代が推定されている。

  • 紀元前150年〜100年: *-t₂- > *-ʟ-(オグール側の初期変化)
  • 紀元前100年〜50年: *-t₂- > -š-(共通チュルク語の成立を告げる変化)
  • 西暦1年以降: 語頭強音の弱化 *p- > h-ハラジ語以外の全言語に波及)
  • 西暦200年以降: 2音節語の語末弱化母音の脱落による単音節化

チュルク祖語の年代的枠組みは単一の点ではなく、重層的なプロセスとして理解されている。

  • 形成期(PT-2/1(紀元前3000年〜紀元前500年): アルタイ/トランスユーラシア共同体からの離脱と、草原地帯での騎馬遊牧文化への適応。
  • 分派期(PT-0(紀元前3世紀〜紀元前後): オグール語派と共通チュルク語の決定的な分岐。
  • 古代チュルク語の終焉: 西暦551年の突厥可汗国の創設をもって、再構の対象としての「祖語」の時代は終わり、文献学的に検証可能な古チュルク語および中世語の時代へと移行する。

母音目録

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チュルク祖語の基本母音は、極めて対称性が高い四次元の体系として素性を分析することができる(前舌後舌、広/狭、円唇/非円唇、短/長)。伝統的な再構では、以下の8つの基本母音音素が設定される。

チュルク祖語の基本母音体系
舌の位置後舌母音前舌母音
唇の丸み非円唇円唇非円唇円唇
狭母音(高) [ɯ]*u [u]*i [i] [y]
広母音(非高) *a [ɑ]*o [o] [æ] (= ) [ø]

第9の母音「閉じた *e」の問題

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伝統的な8母音体系に加え、多くの研究者は「閉じた *e」音素の存在を支持している。これは、広めの前舌非円唇母音である と、より狭い(閉じた)中舌前舌非円唇母音である *e の対立である。古チュルク語ブラーフミー文字チベット文字による写本では äe が明確に区別されているほか、現代のアゼルバイジャン語やアナトリア(トルコ語)においてもこの対立(例:el「民」 vs äl「手」)が残存している。チュルク祖語には短母音・長母音の双方において *e の音韻的対立が存在した可能性があるともされる。

また、かつてはチュヴァシ語の ï に対応する古チュルク語の a に対してこの閉じた *e と対立する母音調和対 *ë が再構されたが、現在では否定されている。

閉じた e の改訂

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オルチュン・ユナル(Orçun Ünal)は、古チュルク語の接辞に見られる原音素 /X/ の分析に基づき、新たな9母音質モデルを提唱している。

音素としては,/a, aː, ä, äː, ə, əː, ï, ïː, i, iː, u, uː, ü, üː, o, oː, ö, öː/ の計18音素を想定する。

このモデルの最大の特徴は、Róna-Tas が追加した閉じた /e/ ではなく、中央母音 /ə, əː/(原音素 /X/ に対応)を第9の母音質として導入した点にある。

古チュルク語には、A, I, O, Uの4つの主要な中間音素クラスのほかに、第5のクラス /X/(近高弛緩母音 {°})が存在した。ユナルはこの /X/ クラスを単なる異音ではなく、祖語段階からの独立した母音質 /ə, əː/ の反映であると論じている。

祖語の/ə, əː/ は、モンゴル語への古いチュルク語借用語において、/a/ または /e/ として現れることが示唆されている。

ユナルのモデルでは、再構の厳密さを保つために、解釈を保留した最小チュルク祖語(Minimal Proto-Turkic: PTM)という概念を併用している。この枠組みでは、共通チュルク語とチュヴァシュ語の間の未解決な母音対応に対して、以下のような数値マーカーを割り当てて管理する。

  • PTM *X: 共通チュルク語の高母音ï, i, u, ü)とチュヴァシュ語の弱化母音(ă, ĕ)の対応集合。
  • PTM *1 ~ *9: 特定の音韻対応(例:共通チュルク語 -y vs. チュヴァシュ語 *1 など)を保留付きで記述。

このような保守的な記述(PTM)と、理論的な推論に基づく具体的な記述(PT)を分けることで、将来的な新証拠による再解釈の余地を残している点がユナルのモデルの大きな特徴である。

非第一音節の母音

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語根の第一音節に比べ、非第一音節(接辞など)の母音体系は制限されていた。非第一音節では、高母音が弱化・簡略化された原音素として振る舞い、しばしば [ı̣, ị̈, ụ̈, ụ] のような弛緩母音として実現された。この弱化母音はブレーヴェによって示される。非第一音節には長母音がないが、弱化母音が出現できる。古チュルク語では弱化した高母音が失われて、連鎖推移英語版によって半高母音が高舌化して高母音になった。

非第一音節の母音
円唇 非円唇 円唇 非円唇
高母音 *ü, *ü̆ *i, *ĭ *u, *ŭ *ï, ï̆
半高母音 *ö, *ö̆ * *ė̆ *o, *ŏ
低母音 *e, *ĕ *a, *ă

また、チュルク祖語の末尾にあった短く無アクセントの母音は、共通チュルク語への進化過程で語尾音脱落したが、チュヴァシュ語では一部が残存しているとする説もある。

一次的長母音

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チュルク祖語における長母音の存在は、地理的に隔絶された周辺部の言語における音韻対応によって論証される。具体的には、現代のサハ語(ヤクート語)、トルクメン語、およびハラジ語がこの量的対立を最も体系的に保存している。マフムード・アル=カーシュガリーDīwān Lughāt at-Turk(チュルク語源辞典)も資料として使われる。

トルクメン語では長母音を安定した単母音として保存する(例:*buːz「氷」、*tiːš「歯」、*āt「名」)。サハ語では高母音(*iː, *üː, *ïː, *uː)は長単母音として保存されるが、中母音(*eː, *öː, *oː)および一部の低母音は二重母音化(例:*koːl > küöl「湖」、*oːn > uon「十」、*at > aat「名」)という特異な発達を遂げている。

ハラジ語は最も保守的なチュルク語の一つであり、長母音と短母音を明確に区別しているとされる。

デルファーの「半長母音」

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ゲルハルト・デルファーは、1960年代後半以降のハラジ語の発見と詳細な調査に基づき、これら二者の中間に位置する半長母音(half-long / Halblänge)の存在を提唱した。

デルファーの三段階の量的対立(短・半長・長)は、主に以下の2つの証拠の観照に基づいている。

第一に、ハラジ語は、他のチュルク諸語が失った祖語の音韻特徴(語頭の *h- など)を保存しており、母音の長さにおいても極めて特異な反映を見せる。ハラジ語では、トルクメン語で短母音化している語彙の中に、依然として長母音的な性質を保存しているグループが存在する。

第二に、カーシュガリーは11世紀当時の諸方言を記述する際、母音をアリフ、ワーウ、ヤーの文字で明記する plene 表記と、補助記号(ハラカ)のみで示す defective 表記を使い分けていた。デルファーは、この綴りの不一致が単なる書き誤りではなく、当時の音韻的な「量」の違いを反映していると分析した。

母音 *a を例とした各言語・資料における半長母音の対応関係は以下の通りである。

母音量の対応
祖語の量カーシュガリートルクメン語ハラジ語
短 (short)defective
半長 (half-long)plene または defective長 / 半長
長 (long)plene

デルファーの仮説によれば、トルクメン語やサハ語では短縮したものの、ハラジ語や古代の文献資料に痕跡を残している母音が半長母音として再構される。例えば、PT *börü「狼」はトルクメン語では短母音であるが、ハラジ語では半長母音的な反映(biere)を見せる。また、PT *at「馬」は完全な短母音、PT *āt「名」は一次長母音であり、PT *aˑt-「投げる」のような語彙がその中間的な量(半長)として想定される。

デルファーは、この量的対立の起源を、祖語段階における音節アクセント(Syllabic accent)の違いに求めている。Schleifton が長母音の起源となり、Akut/Gravis が短母音および半長母音の分化に関与したとされる。また、ハラジ語における半長母音( など)は、一次長母音()がしばしば二重母音化(aa)するのに対し、単母音的な性質を維持する傾向があることも指摘されている。

デルファーの半長母音は、チュルク諸語間の母音量の不一致(incongruence)を解決するための強力な理論的枠組みを提供したものの、批判や慎重な見解も存在する。

第一に、三段階の音量を認めると、祖語の母音体系は極めて複雑(音素数が30近くに達する)になり、体系としての対立の明確性や経済性の観点から「過剰な再構(overcomplication)」であるという指摘がある。

また、ハラジ語が非常に保守的であることは認められつつも、すべての母音(8種類)において「三段階の区別」が音韻論的に確立されているか、またそれが本当に祖語の状態を反映しているのかについては議論の余地が残る。

そのほか、アンドラーシュ・ローナ=タシュは、音量の不一致を解決するために音素を増やす手法を体系の過度な複雑化であるとして批判している。また、ラルス・ヨハンソンは、テュルク諸語の分岐過程において量的対立は徐々に失われていく短縮化(shortening)の傾向にあるとしつつ、ハラジ語が複数の量的区別を保存している可能性は認めながらも、祖語の体系全体が三段階であったかについては慎重な姿勢を示している。

シチェルバクの強勢に関する仮説

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テュルク祖語(PT)における母音の量的対立の再構に対し、A. M. シチェルバクは批判的な仮説を提示した。彼は、チュルク祖語には独立した音素としての一次的長母音は存在しなかったと主張し、現代語に見られる長さの痕跡をアクセント(強勢)と子音の性質の相関関係に起因する韻律的現象として説明した。

シチェルバクの理論によれば、祖語の音節(あるいは単音節語)は、そのエネルギー(энергия)がどこに集中するかによって以下の2つのタイプに分類された。この「エネルギー」という概念は、調音における緊張度 (напряжение) や、呼気圧(экспираторное давление)とも密接に関連するものとして語られる。

  • 母音頂上型(Vocalic-peaked; Вокальновершинный)
音節のエネルギーが母音部分に集中するタイプである。この場合、母音は持続時間を増して「長母音」となり、後続の子音は弱子音化・短縮された。
  • 子音頂上型(Consonantal-peaked; Консонантновершинный)
エネルギーが後続の子音に集中するタイプである。ここでは母音は短く維持され、後続の子音は強子音、長く発音された。

シチェルバクは、子孫原語における「長母音+弱子音」と「短母音+強子音」の関係(音節バランス)こそが、この原始的な音節構造の反映であると考えた。

単音節語の開音節(CV型)において母音が常に長くなる現象について、シチェルバクはこの仮説を用いて説明している。開音節には音節を閉じる子音が存在しないため、音節の頂上(エネルギーの集中点)は必然的に母音に置かざるを得ない。その結果、これらの語では常に母音が引き延ばされた実体として現れることになるとした。

この音節アクセントの違いは、後の歴史的過程で以下のような変化を引き起こしたとされる。

まず、母音頂上型は、母音の後に別の母音(接辞など)が続く場合、中間の子音はさらに弱化し、有声化や摩擦音化を促進した。

また、子音頂上型は、母音の後に別の母音が続く場合、子音の緊張度が維持され、重子音を生じさせる傾向があった。

トルコ語などに見られる語末阻害音の強弱の対立(例:at「馬」 vs. ad「名」)は、かつての韻律的なの差異が、母音の短縮を経て子音の質的対立へと転嫁された結果であると解釈される。

シチェルバクは、このテュルク語の音節アクセントの仕組みを、リトアニア語の抑揚アクセント(Schleifton)と急峻アクセント(Stoßton)、あるいはデンマーク語の Stød といったい立体系に求めている。彼は、チュルク祖語においてもこれらと同様の音節全体の調音様式が母音の量的な現れ方を規定していたと考えた。

学術的評価と批判

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シチェルバクの仮説は、母音量を音素として固定せず、体系の動的なバランスとして捉える点で非常にユニークであるが、他の有力な研究者からは強い批判も受けてきた。

ゲルハルト・デルファーは、シチェルバクの予測(音韻環境による予測可能性)に反する最小対(例:共通テュルク語 *kāz「蛾」 : *kār「雪」 : *kās「樹皮」)が存在することを指摘し、長さが環境から予測できない独立した音素であることを主張した。

シチェルバクの説は、現代の諸方言の対立(特にシベリアのテュルク諸語における有声化現象など)を説明するには適しているものの、突厥碑文古チュルク語)などの歴史的資料よりも現代語の音韻状態を優先して評価しすぎているとの批判もある。

母音量と音節構造の関連

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チュルク祖語の単音節語根において、母音の量と後続する阻害音の強弱には密接な関連が認められる。一般に、短母音には強子音(Fortis)が、長母音には弱子音(Lenis)が後続するという対称的な分布が存在した。

  • PT *at「馬」(短母音 + 強子音 *t
  • PT *āːd「名」(長母音 + 弱子音 *d
  • PT *ot「草」 vs. PT *ōːd「火」

この対立は、多くの子孫言語では長母音が短縮した結果、後続子音の強弱(例:トルコ語 at vs ad)という形でその痕跡を留めている。

母音量の歴史的発展

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チュルク諸語の主流派(共通チュルク語)において、一次的長母音は段階的に短縮された。このプロセスは一様ではなく、言語や音韻環境によって異なる速度で進行した。

オグール語派チュヴァシュ語の祖先)において長母音は単なる短縮ではなく質的な変化を伴い、特にPTの一次的二重母音(*iV 型)はチュヴァシュ語において y- 語頭音添加(例:*kiār「雪」 > yur)という形で独特の反映を見せている。古チュルク語ルーン文字は語頭の を除き原則として母音の量を表記しないが、ブラーフミー文字チベット文字による写本資料では長母音が明示されるケースがある。

一次的二重母音

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大部分のチュルク諸語には、それ以前の段階に二重母音が存在したり、*w や *y のような半母音を伴った母音があったりした証拠はないが、一部の借用語などからその可能性は排除できない。一次二重母音(Primary diphthongs)の再建は、共通チュルク語(Common Turkic, CT)とオグール語派チュヴァシュ語の祖先)、さらにはモンゴル語ハンガリー語といった外部の言語への借用語に見られる複雑な音韻対応を解明するための鍵となる。

チュルク祖語の母音体系を短母音長母音の二項対立(および質的な8〜9母音)のみで記述しようとする試みは、一部の語彙におけるチュヴァシュ語の反映や外部言語との対応において限界に直面してきた。例えば、共通チュルク語で長母音 を持つ語が、チュヴァシュ語では単なる *a の反映ではなく、語頭の y- 語頭音添加や先行子音硬口蓋化を伴う現象は、祖語段階での二重母音的存在を強く示唆している。二重母音の再建には、以下のような証拠が存在する。

第一に、チュヴァシュ語はチュルク祖語から極めて早期に分岐したため、二重母音の痕跡を特異な形で保存している。二重母音は、共通チュルク語では長母音へと単母音化したが、チュヴァシュ語ではその痕跡が異なる形で保存されたと考えられる。チュヴァシュ語において一次長母音*Vː)が常に長母音的な反映(śun- など)を見せる一方で、特定の語彙では異なる反映が見られることから、二重母音の独立性が示唆される。例えば、PT *gaːŕia̯「蛾/ガチョウ」は、長母音 *aː を持ちながらも、モンゴル諸語では galaun として現れる。

  • 語頭の y- および v-
共通チュルク語で母音から始まる語が、チュヴァシュ語で y-(非円唇母音の前)または v-(円唇母音の前)を持つ現象は、祖語における二重母音、あるいは二重母音的な調音様式の残存と解釈される。
  • 先行子音の交替
PT *t- がチュヴァシュ語で č- となり、PT *s-ś- となる現象は、後続する二重母音の硬口蓋的要素(*i-)による影響である。

第二に、一次二重母音の存在は、アルタイ語仮説の枠組みや早期の言語接触を通じて裏付けられる。祖語の二重母音は、モンゴル諸語への古い借用語においてその痕跡を留めている。

  • PT *aːltia̯-「歩む、跨ぐ」 > モンゴル祖語 *alča-
  • PT *göːtsiä̯kä「仔ラクダ、動物の仔、子犬」 > モンゴル祖語 *gölige
  • PT *ńia̯ːtsı「涙」(*ńia̯ː「目」 + *tsı「湿気」の複合語)は、モンゴル諸語の *nidün「目」の起源に関わると推測されている。

このため、ゲルハルト・デルファーは、主に *iV 型(上昇二重母音)および *Vi 型(下降二重母音)を再建することを提案した。オルチュン・ユナルはこれを非常に発展させた。ユナルによると、チュルク祖語(特に先オグール語段階)における一次二重母音は、大きく2つのグループに分類される。

  • *iV̯ 型'
主成分として硬口蓋的(palatal)な要素(*i)を伴う一連の二重母音である(*ia̯, *ia̯ː, *iä̯, *iä̯ː, *iï̯, *iï̯ː, *ii̯, *ii̯ː, *io̯, *io̯ː, *iö̯, *iö̯ː, *iu̯, *iu̯ː, *iü̯, *iü̯ː)。これらは第一音節のみならず非第一音節にも存在したと考えられる。
  • 上昇二重母音(Rising Diphthongs)
*öə および *üə がこれに該当する。これらはヴォルガ・ブルガール碑文において直接的な反映(köe(l)č-「移住する」、küen「日」など)が見られ、共通チュルク語の /ö, ü/ とチュヴァシュ語の /u/ という対応セットの起源を説明する。

ユナルによれば、第1グループには以下の二重母音が含まれ、それぞれに短長(量)の対立が想定されている。

  • 前舌系: *iä̯, *iä̯ː, *ii̯, *ii̯ː, *iö̯, *iö̯ː, *iü̯, *iü̯ː
  • 後舌系: *ia̯, *ia̯ː, *iï̯, *iï̯ː, *io̯, *io̯ː, *iu̯, *iu̯ː

これらの二重母音は、主成分として口蓋的な要素(*i)を伴う点を特徴とする。

従来の説では、これらは一次長母音の二次的な発達と見なされることもあったが、チュヴァシュ語の反映や外部言語(特にモンゴル諸語)との比較により、祖語段階の一次的であったことが裏付けられている。

もしこれらが単なる一次長母音(*Vː)であれば、チュヴァシュ語では特定の長母音的反映(例えば *aː > śun- など)を示すはずであるが、実際の語彙データはこれを否定する。例えば、PT *gaːŕia̯「蛾/ガチョウ」は長母音 *aː を含みながらも、チュヴァシュ語では長母音的な反映(**šun-)とはならず、二重母音特有の反映(yur)を見せる。

祖語の *iV̯ 型二重母音は、モンゴル諸語への古い借用語において、口蓋化された閉鎖音や特異な母音として保持されている。

  • PT *aːltia̯-「歩む、跨ぐ」 > モンゴル祖語 *alča-
  • PT *gaːŕia̯「ガチョウ」 > モンゴル祖語 *galaun
  • PT *gatia̯-「硬くなる」 > 文語モンゴル語 *γača-

またPTの二重母音は、モンゴル語への借用語において /i/ や /ï/ として現れることがある。ハンガリー語では、早期のチュルク語(オグール語派)からの借用語は、二重母音が単母音化する前の状態を反映している場合がある。

  • 例:PT *siā̯r₂「湿地、沼」 > CT *sāz、チュヴァシュ語 šur、ハンガリー語 sár [šār]「泥」

長母音との関連

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オメリヤ・プリツァク(O. Pritsak)らは、突厥碑文などの古文献に見られる母音表記の不一致を根拠に、長母音そのものが本質的に二重母音的性質(例:*aː = *ïaːa)を持っていた可能性を指摘している。この説によれば、チュルク語の歴史とは二重母音の単母音化のプロセスとして記述されることになる。プリツァクは、碑文の表記体系(例えば wn1 = uon「10」、kẅẅk2 = küök「青/天」など)を根拠に、当時の母音体系が *ou, *öü, *uon, *ia といった二重母音を含んでいたと主張した。しかし、この解釈は当時の表記上の制約(母音記号の不足)に起因する可能性もあり、学界では慎重に扱われている。

また、一次長母音そのものが、非高母音においては「スライディング(sliding)」を伴う二重母音的な調音(例えば *aː = [ïaːa]、*äː = [iäː])であった可能性も指摘されている。しかし、ユナルのモデルはこれをさらに精緻化し、共通チュルク語の長母音に対応する「一次二重母音」という独立した音素クラスを確立した点に新規性がある。

非第一音節における二重母音

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ユナルによって、第一音節だけでなく第二音節(非第一音節)にも二重母音を再構する試みがなされている。これにより、語中の阻害音の特殊な弱化(例:*t > *g)などの現象が、後続する二重母音の音韻環境によって説明可能となる。

  • *u̯V 型
*u̯V および *u̯Vː は、非第一音節における特殊な音韻変化を説明するために導入されている。PT *tägu̯ərä-(または *tägu̯əŕä-)「回転する、囲む」の再構により、共通チュルク語 tägir- / tävir- とチュヴァシュ語 tavăr- の間の不規則な対応(特に円唇性の介入)が説明される。
  • PT *ʣäːtu̯iː「7」
モンゴル諸語の対応や共通サモイェード祖語の借用語(*sejt³wə̑)にその反映が見られる。

*iV̯ 型二重母音の重要な特徴として、語根(第一音節)だけでなく、非第一音節接辞など)にも存在したと考えられる点もあげられる。これらは特定の語彙においてのみ直接的な反映が見られる。

  • PT *ötiä̯kän°「鋭い」 > チュヴァシュ語 vičkĕn
  • PT *aːrətio̯ː「ネズ」 > チュヴァシュ語 orča
  • PT *batiə̯rsio̯kV「腸」 > チュヴァシュ語 pıršă

これらの事例は、共通チュルク語では長母音として単純化されたものが、オグール分岐においては二重母音の性質を保持したまま特異な音韻変化(母音の強弱や子音への影響)を遂げたことを示している。

母音調和

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チュルク祖語における母音調和も、現代諸語と同じく単なる同化現象ではなく、音節全体を支配する超分節的特徴(Suprasegmental feature)であったと考えられる。同一音節内では前舌性(または後舌性)が共有され、これに基づいて子音異音(例:後舌の *ḳ, に対する前舌の *k, *g)が決定された。チュルク諸語の分岐が進む以前の段階から前舌・後舌調和(Palatal harmony)は確立されていた一方で、円唇調和(Labial harmony)は祖語の段階では未発達であり、後の歴史的過程で各子孫言語において独自に発展した。

チュルク祖語における母音調和の起源と性質

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チュルク祖語の母音調和は、主に音節内および音節間における硬口蓋調和(Palatal harmony)、すなわち前舌後舌の対立を基盤としていた。

近年のトランスユーラシア祖語(PTEA)の研究では、PTEA には舌根の後退(RTR)に基づく調和体系が存在しており、チュルク語への分岐過程でこれが前舌・後舌の音響的な対立に基づく体系へと移行したと論じられている。

祖語段階において、同一音節内の母音と子音は前舌・後舌の性質を共有しており、これによって子音の異音(例:後舌の *ḳ, と前舌の *k, *g)が規定される音節全体の質としての調和が機能していた(音節間調和 Intrasyllabic harmony)。

硬口蓋調和と円唇調和の非対称性

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チュルク祖語における調和体系の最大の特徴は、前舌・後舌の対立が確立されていた一方で、円唇調和(Labial harmony)が極めて限定的であった点にある。

祖語の段階で接辞はすでに前舌・後舌の2つの異形態(allomorphs)を持っており、語根の第一音節の性質に従う順行同化(progressive assimilation)が確立されていた。

一方、円唇母音の有無に基づく調和は、祖語段階では母音牽引(vowel attraction)のような初期的な痕跡にとどまっていた。多くの研究において、円唇調和の本格的な発達(例:トルコ語に見られる四方向調和)は、共通チュルク語分岐後の二次的な発展過程であると見なされている。

非第一音節における母音体系と原音素

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語根の第一音節が16〜18種類の広範な母音対立を保存していたのに対し、接辞などの非第一音節の母音体系は、調和規則によって制約された原音素の概念によって記述されている。

祖語の接辞には、低母音類の A (a/ä) と、高母音類の I (ï/i) および U (u/ü) が想定されている。

非第一音節の高母音は、しばしば [ị, ï,̣ ü,̣ ụ] といった弛緩母音(lax vowels)として実現されており、これが後の諸言語における弱化や語尾音脱落等の要因となった。

調和の段階

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ラルス・ヨハンソン(Lars Johanson)は、チュルク語における音韻対立の変遷を以下の3つの歴史的段階に区分している。

  1. 関連性段階(Relevance stages): 有効な音韻的区別が存在する段階。
  2. 無関心段階(Indifference stages): 音韻的な区別が失われ、音声的な変異のみが残る段階。
  3. 調和段階(Harmony stages): 特定の音韻環境に基づいて、体系的な同化規則が確立される段階。

チュルク祖語は、硬口蓋性についてはすでに完成された「調和段階」にあったが、円唇性については依然として「無関心段階」あるいは初期的な「関連性段階」にあったと考えられる。

チュルク祖語の母音調和は語の統合性を維持するための強力なメカニズムであり、その後のチュルク諸語の分岐(ハラジ語の保守性や、オグール語派の特異な変化など)を説明するための不可欠な音韻的枠組みとなっている。

子音目録

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唇音 歯茎音 口蓋化音 舌背音
破裂音 硬音 (*p) *t *k
軟音 *b (*d) (*g)
破擦音 硬音
軟音 なし
摩擦音 硬音 *s *h
軟音 *z
鼻音 *m *n
側面音 *l
ローティック *r
接近音 *y

口蓋垂音

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チュルク祖語の強閉鎖音 ∗k と弱閉鎖音 ∗g は、後舌母音(a,o,u, を伴う音節では後部軟口蓋音の [q] (ḳ) や [ɢ](ġ)として実現され、前舌母音を伴う音節では軟口蓋音の [k], [g] として実現される相補的分布にある。 したがって、これらは一般に、軟口蓋音(∗k,∗g)の異音(allophone)であったと見なされる。

一方で、極めて少数説ながら、アルタイ論者のアンナ・ディボ(A. Dybo)らは、チュルク祖語(PT)の阻害音体系において強口蓋垂閉鎖音 *q' *ḳ)と弱口蓋垂閉鎖音 *q)を独立した音素として立てている。

口蓋垂音が単なる前後舌の異音ではないことを示唆する証拠として、ディボらはサハ語(ヤクート語)の音韻対応を挙げている。

サハ語では、後部軟口蓋音(口蓋垂音)の出現が母音の前後(front/back)だけでなく、母音の高さ(vowel height)にも依存するようになっている。具体的には、後舌母音の音節であっても高母音(ï, u)の前後では軟口蓋音 [k] が現れ、逆に前舌母音であっても中・低母音(ä, ö)の前後では口蓋垂音 [q] 的な音が現れる例(例:küöy「青い」)がある。このような母音調和規則からの逸脱は、口蓋垂音が潜在的に独立した音韻的実体を持っていたことを示唆しているとしている。

*y

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以下に音韻対応を示す。

  • 共通チュルク語
原則として *y-(または ǰ-)として反映。
早期の分岐により、PT *ǰ-(または *d₂-)は ś- ‹ç› [ɕ] へと変化した。
PT *y-s- に変化した(例:yïl「年」 > sïl)。

阻害音の再建をめぐる諸問題

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強子音と弱子音

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チュルク祖語の阻害音体系は、強子音: Fortis, 複数形 fortes; strong consonant: Сильный согласный: Fortis, Fortes; starker Konsonant)と弱子音: lenis, 複数形 lenes; weak consonant: Слабый согласный: Lenis, Lenes; schwacher Konsonant)の対立として規定される。これは調音緊張(muscular tension)と気流の強さに基づく対立であり、歴史的な動態を有する。

チュルク祖語の阻害音(破裂音および破擦音)は、強子音(Fortis)と弱子音(Lenis)の二項対立を軸に構成されていた。

強子音は *p, *t, *k, *ḳからなる。これらは無声で、しばしば強い気流を伴う有気音(aspirated)であったと推定される。

弱子音(Lenes)は *b, *d, *g, からなる。これらは調音緊張が低く、無声あるいは部分的な有声(mediae lenes)として実現された。

チュルク祖語の子音体系における強弱の対立は、単なる分節音的な音素の差異ではなく、母音量や音節の緊張度と密接に連動した超分節的なシステムの一部であった。この対立の理解なしには、共通チュルク語における語末阻害音の有声化現象や、チュヴァシュ語における特異な流音の対応(ロータシズム/ラムダシズム)を整合的に説明することは不可能となっている。

音節バランス

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強弱対立の最も顕著な特徴は、第一音節の母音量との間に認められる相関関係すなわち音節バランス(英語: Syllabic balance, prosodic balance; ドイツ語: Silbengleichgewicht, Prosodische Gleichgewicht; ロシア語: Просодическое равновесие слога)である。

  • 短母音 + 強子音:短母音の後続には強子音(Fortis)が現れる傾向がある(例:PT *at「馬」)。
  • 一次的長母音 + 弱子音:一次的長母音の後続には弱子音(Lenis)が現れる(例:PT *āːd「名」)。

この韻律的な相関は、共通チュルク語への変化の過程で長母音が短縮した際、後続子音の有声性あるいは緊張度の差(例:トルコ語 at vs ad)としてその痕跡を残すことになった。

語中・語末における閉鎖音の弱化

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弱子音は、母音間(intervocalic)や語末(final)といった特定の音韻環境において、さらなる弱化を被りやすい性質を有していた。特に母音間における弱子音(*b, *d, *g, )は、調音緊張の低さから極めて早期に摩擦音化を被る傾向があり(, , )、しかるのち消失した。一般的な連鎖は、弱破裂音 > 摩擦音 > 接近音半母音 > 消失(Ø)」というプロセスを辿る。

例えば *d > は、古チュルク語突厥碑文)では摩擦音として現れ、後の共通チュルク語では y へ、チュヴァシュ語オグール語派)では r へと変化した。この音韻変化は、共通チュルク語(Common Turkic, CT)内部の分類やオグール語派チュヴァシュ語)との分岐を規定する指標となるためとくに重要である。

なお、これに対し、強子音は母音間においてもその緊張度を維持し、後の諸言語で無声性を保つか、あるいは重子音化(gemination)を誘発する要因となった。

閉鎖音の弱化の音節バランスとの関連

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A. M. シチェルバクやゲルハルト・デルファーが指摘するように、一次長母音に後続する弱子音は、音節全体の音節バランスの結果として、さらなる弱化と摩擦音化を促進された。

*d > *δ

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語中の歯音弱子音 *d の摩擦音化は、チュルク比較言語学における系統分類の指標のひとつにされる。

8世紀の突厥碑文古チュルク語)においもは、語中の *d はすでに有声歯摩擦音 [*δ] として実現されていた(例:*adaḳ > adaḳ「足」)。

共通チュルク語においても、[*δ] はさらに弱化し、半母音 *y へと移行した(例:ayaḳ)。

オグール語派(チュヴァシュ語)では、早期にロータシズム(Rhotacism)の影響を受け、*r へと変化した(例:ura)。

サヤン・チュルク語およびハラジ語では、摩擦音化せずに破裂音性を保持、あるいは二次的に破裂音へ回帰し、*d として現れる。

*b > *β

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唇音の弱子音 *b もまた、語中において早期に摩擦音化を経験した。

祖語の語中 *b は、両唇摩擦音 [*β] を経て、多くの言語で唇歯摩擦音 *v または近似音 *w へと変化した。

古チュルク語では b と表記されつつも、実際の音価は [*β] であったと推定される。現代諸語では、円唇母音との融合による消失や、v / w への移行が一般的である。

*g, *ġ > *ɣ, *ʁ

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軟口蓋音および口蓋垂音の弱子音は、前後母音の環境に応じて摩擦音化された。

後舌母音環境の は有声口蓋垂摩擦音 [*ʁ] へ、前舌母音環境の *g は有声軟口蓋摩擦音 [*ɣ] または [*j] 的な音へと移行した。

西南グループ(トルコ語等)では、これらの摩擦音は完全に消失(Ø)するか、先行母音の長母音化(二次的長母音)を引き起こした(例:*taɣ > daː「山」)。

強子音の摩擦音化

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原則として強子音(*p, *t, *k)は語中においても破裂音性を維持するが、特定の音韻環境下では摩擦音化が生じる。

後舌母音環境において、強子音は の前で摩擦音化する。*ḳ > [x / χ](例:*ak-ïš- > axša-「似る、似せる」)、*p > [f / φ](例:*yap-ïš- > yafš- / yaφš-「くっつく」)。

チュヴァシュ語では、強子音であっても母音間やソノラント(鼻音流音)の後では、中間の強さ(Mediae lenes)まで弱化・摩擦音化する傾向がある。

*ǰ の再建の可能性

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伝統的に、多くのチュルク学者は、共通チュルク語の *y- を祖語段階の一次的な音素とみなし、現代諸言語に見られる ǰ-ž-d'-č-s- などの多様な反映は、この *y- が二次的に変化したもの(強化、あるいはサモイェード基層などの影響による歯音化)であると考えてきた。

この立場では半母音 [y] が摩擦音破擦音へ移行する変化が想定されるが、ラルス・ヨハンソン(Lars Johanson)は、この変化が広範な言語で独立して生じたとする説明は音韻論的に妥当性を欠くと指摘している。もし *y- が一次的であったなら、最も保守的なハラジ語やシベリアのチュルク諸語においてより一貫した反映が見られてよいはずだからである。

アンナ・ディボ(A. Dybo)や近年のヨハンソンらは、むしろ祖語段階における破擦音的要素(*ǰ-)を重視し、ある種の並行分立説を提案している。

ディボは、語頭に阻害音のみを許容するチュルク語の一般的制約に基づき、祖語段階では破擦音(*ǰ-)が立てられるべきだと論じている。この説によれば、共通チュルク語の大半で見られる *y- への弱化は、オグズ、カルルク、および一部のキプチャク諸語における地域的な改新(Areal innovation)とみなされる。

ヨハンソンは、祖語以前の段階(Pre-Proto-Turkic)に想定される歯音音素(*d'-)が、早い段階で歯音的要素を保存する方言(ǰ-ś- を生む)と半母音化する方言(y- を生む)へと分立していた可能性を示唆している。このモデルは、共通チュルク語とオグール語派チュヴァシュ語の祖先)の対立だけでなく、共通チュルク語内部の複雑な対応も説明可能である。

*d₂- と *t₂- による再編

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オルチュン・ユナルは、語頭の有声歯音 *d₂- [dz] と無声歯音 *t₂- [ts] の対立を再構することで、問題に新たな視点からアプローチしている。

有声音 *d₂- は共通チュルク語では y- に合流したが、モンゴル語への初期借用語では d- として保存されている。

  • 例:PT *d₂agïr₂ > 共通チュルク語 yagïz、モンゴル語 dayir

無声の破擦音的実体である *t₂- は、共通チュルク語およびチュヴァシュ語の双方で č- を生じさせた。子孫言語における č-y- の語頭での交替(例:čīg ~ yīg「生の」)は、祖語段階におけるこれら歯音の無声音/有声音(*t₂- vs. *d₂-)の揺れに由来すると分析される。

語頭の *p-

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共通チュルク語(Common Turkic, CT)の段階では、語頭の *p- はほぼ完全に消失(Ø-)しているか、不安定な *h- として現れるに過ぎない。

チュルク祖語に語頭 *p- を設定する試みは、長らくアルタイ語仮説の枠組み(ツングース語p- / f-モンゴル語h- との対応)において論じられてきた。伝統的な共通チュルク語の再構では、語頭に唇音の対立を認めず、無声の *b-(音声的には [p-])のみを設定するのが通説であったが、ハラジ語の発見と外部の言語(モンゴル語、ツングース語、サモイェード語等)への早期の借用語の分析により、現在では強音(Fortis)としての *p- を祖語に再構するのが一般的となっている。

チュルク祖語の語頭 *p- は、極めて早期に摩擦音化(Spirantization)および弱化のプロセスを辿ったと考えられている。

  1. 第1段階 (*p- > *φ-):強破裂音 *p- が両唇摩擦音 [φ] へと移行。
  2. 第2段階 (*φ- > *h-):摩擦の調音点が後退し、声門摩擦音 [h] となる。この段階は、現代のハラジ語や、古チュルク語の特定の転写資料に保存されている。
  3. 第3段階 (*h- > Ø-):共通チュルク語の大半の言語において、摩擦音が完全に消失。

ゲルハルト・デルファー(Gerhard Doerfer)は、ハラジ語が他のチュルク諸語で失われた語頭の *h- を安定して保存していることを論証した。

  • 例:PT *p- に由来するハラジ語 hadaḳ「足」(CT *adaḳ)、hat「馬」(CT *at)、hu°t「火」(CT *ot

この証拠により、かつて語頭音添加あるいは過剰修正的な気音挿入と見なされていた現象が、実は祖語の古態の残存形質であるものであることが明らかになった。

また、語頭の *h- は、8世紀の突厥碑文ルーン文字)では表記されないが、他の文字体系による資料ではその存在が示唆されている。

10世紀頃のチベット文字写本では、hardi「あった」、harsar「あれば」、hoi「彼」のように、語頭の h- が明示的に記される例がある。

拓跋部など、初期のチュルク系の可能性のある集団の言語を記録した漢文資料の音訳からも、*p- または *h- の存在が推測されている。

隣接諸言語への早期の借用語

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オルチュン・ユナルの近年の研究は、隣接するモンゴル語、契丹語イェニセイ語、サモイェード語等への早期の借用語に基づき、祖語の *p- をより精緻に再構している。

早期チュルク語からモンゴル祖語(PM)へ借用された語彙には、チュルク語では消失している語頭の強音が反映されている。

  • PT *pöküʀ「雄牛」 → PM *hüker(CT *öküz
  • PT *poʀuk-「迷う」 → PM *horgu-(CT *hoz-

また借用語のデータは、語頭の *p- が非第一音節の流音, )や特殊な子音 *t₂ [ts] と共起していたことを示しており、祖語段階での音韻体系の対立に対する示唆をあたえている。

絶対年代

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オルチュン・ユナルは、これらの音韻変化の絶対年代を以下のように推定している。

  • 紀元前2世紀末〜紀元前後:語頭の強音 *p- が摩擦音 *h- へと弱化。この変化は、北イェニセイ語集団(ケット語ユグ語の祖先)の影響を受けた可能性が指摘されている。
  • 紀元後200年以降: 語末の弱化母音の脱落と前後して、多くの共通チュルク語で *h- が消失。

なお、オグール語派チュヴァシュ語の祖先)と共通チュルク語の分岐は、この語頭音の弱化以前に遡るとする説が有力である。

語頭の *x-

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語頭子音 *x- は、共通チュルク語(Common Turkic, CT)とオグールチュヴァシュ語(Chuvash, CV)の間の特定の音韻対応を説明するために提案された重要な音素である。オルチュン・ユナルの近年の研究によれば、この音素は共通チュルク語で完全に消失する一方で、チュヴァシュ語において特異な反映を残している。

再構される語頭の *x- は、音声的に [kx] または [qχ] といった破擦音あるいは強い摩擦音であったと推定される。この音素は、語頭の *p-ハラジ語h- として保持されるもの)とは明確に区別される独立した系列として定義される。

チュルク祖語から主要な2つの分枝へ至る過程で、*x- は以下の対照的な変化を遂げた。

共通チュルク語では完全に消失(Ø-)した。その結果、共通チュルク語の語彙は母音で始まる形となる。 チュヴァシュ語では/y-/硬口蓋接近音)へと変化した。

この「共通チュルク語: Ø- vs チュヴァシュ語: y-」という音韻対応が、祖語における *x- 再構の主要な内的根拠となっている。

祖語の *x- の存在は、トランスユーラシア諸語アルタイ諸語)への古い借用語データによって強力に裏付けられる。

モンゴル諸語では、チュルク語からの古い借用語において、祖語の *x-/k-/ として保持されている。 ツングース諸語では、モンゴル諸語を経由して借用された語彙において、/x-/ として反映されている。

以下に、*x- の再構が適用される代表的な語彙例を挙げる。

  • PT *xatiə̯ŕ 「口」> 共通チュルク語 agız vs チュヴァシュ語 yurモンゴル諸語*kačar / *kačır(頬)はこの形式からの借用と推定される。
  • PT *xaŋxa- 「広く開いた」> 共通チュルク語 aŋıl vs チュヴァシュ語 yar / yari。この形式は、モンゴル祖語の *aŋu(広い、広大な)の起源に関わると考えられている。
  • PT *xäːkäːgä「鑢(やすり)」 > 共通チュルク語 äːkäg vs チュヴァシュ語 yaka。モンゴル祖語の *keke-(切り刻む)との対応が見られる。
  • PT *xämgök「ひよめき/額」 > 共通チュルク語 ämgök vs チュヴァシュ語 śamka。モンゴル諸語の *kemi(軟骨)との関連が指摘されている。
  • PT *xapıː- 「守る/包む」> 共通チュルク語 apı- vs チュヴァシュ語 yup-。モンゴル諸語の *kaı-(障壁、防壁)の借用元である可能性が高いとされる。

流音の再構をめぐる諸問題

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ゼタシズム/ロタシズム

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チュルク祖語(PT)における流音の量的・質的対立、特に *r₂(または )と *r₁(通常の *r)の問題は、チュルク比較言語学において古く議論された。共通チュルク語(Common Turkic, CT)の zチュヴァシュ語オグール語派)の r が対応するこの現象は、ゼタシズム(Zetacism)あるいはロタシズム(Rhotacism)と呼ばれる。

対立の基本構造と地理的分布

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チュルク諸語は、祖語の特定の流音音素に対し、大きく2つのグループに分かれる。

  • z-語(共通チュルク語)
大半の現代チュルク諸語(トルコ語カザフ語トルクメン語等)が含まれ、当該音素は z として現れる。
  • r-語(オグール語派)
現代ではチュヴァシュ語のみが唯一の生存する言語であり、当該音素は r として現れる。
  • 例:共通チュルク語 *toḳuz「9」 vs. チュヴァシュ語 tïχ̣ːïṛ
  • 例:共通チュルク語 *küz「秋」 vs. チュヴァシュ語 kĕr

この対応関係のどちらが祖語の状態に近いかをめぐっては、かつて議論があった。

第一の説は、ゼタシズムである。グスターフ・ラムステッドニコラス・ポッペ、タラト・テキンらアルタイ論者は、祖語における二種類の流音(*r₁ と *r₂)の再建を支持する。

ゼタシズムの支持者によれば、祖語には通常の流音 *r₁ のほかに、硬口蓋化された、あるいは特殊な摩擦を伴う流音 *r₂(または )が存在したと考える。

この *r₂ が共通チュルク語で z へ変化し、オグール語派では本来の r*r₁)に合流したと説く。

その根拠としては、モンゴル語ツングース語とのアルタイ祖語にさかのぼる同源語において、共通チュルク語の z に対応する音が r であることが、この説の証拠とされる(例:共通チュルク語 *öküz「雄牛」に対し、モンゴル語 hükär)。

第二の説が、ロタシズムである。ジェラルド・クローソン、A. M. シチェルバク、初期のゲルハルト・デルファーら、反アルタイ論者は、チュルク祖語においては*z が一次的であり、オグール語派において z から r への変化(ロタシズム)が生じたと論じた。

シチェルバクは、長母音に続く s が有声化して z となり、それが後に r へ変化したとする韻律的説明を試みた。

しかし、共通チュルク語 *kāz「蛾」 : *kār「雪」 : *kās「樹皮」のような最小対の存在は、この変化が環境から予測できない独立した音量に基づいていることを示唆している。

絶対年代

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アンドラーシュ・ローナ=タシュ(András Róna-Tas)は、あぶみ(鐙)を意味する語の分析から、この対立の発生時期を特定した。

この語は全チュルク諸語で共通しているが、共通チュルク語型(*üzängi)とオグール型の形式(*iränä > チュヴァシュ語 yïṛana)に分かれる。

あぶみの発明と普及は考古学的に紀元前3世紀以降とされており、*r₂*z の分裂(あるいはゼタシズムの一般化)はこの時期以降、あるいは紀元前後の後期チュルク祖語段階で生じたと考えられる。

*r₂ の起源

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オルチュン・ユナルは、外部の言語(特にトカラ語)との接触に基づき、*r₂ の音声学的特徴と起源をより具体的に再建している。

*r₂ は音声的に [ɹ̝](摩擦的接近音)や [ɾ̞](弛緩した弾き音)のような、流音と摩擦音の中間的な性質を持つ調音様式を有したと推定される。

トカラ語からの借用語(例:PTch. *tsär- > PT *d₂ïr₁ă-「裂く」)の分析は、*r₂ が本来的に流音的な性質を持っていたことを裏付けている。

また、*r₂ が本来の流音 *r₁ と軟口蓋摩擦音 *k₂ の融合によって生じた可能性も指摘されている(例:*k₁ö(ä)r₁-「見る」 > *k₁ö(ä)r₁k₂V̆ > 共通チュルク語 köz「目」)。

シグマティズム/ラムダシズム

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チュルク祖語の音韻再建にとって、流音の質的・量的対立、特に *l₂(共通チュルク語の š)と *l₁(通常の l)の対立は、チュルク比較言語学におけるアルタイ語仮説の成否を分ける核心的な問題の一つである。共通チュルク語(Common Turkic, CT)の š に対し、オグール語派チュヴァシュ語)で l が対応するこの現象は、シグマティズム(Sigmatism)あるいはラムダシズム(Lambdacism)と呼ばれる。

対立の基本構造と地理的分布

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チュルク諸語は、祖語の特定の音素に対し、大きく2つのグループに分かれる。

  • š-語(共通チュルク語)
大半の現代語を含み、当該音素は語中・語末において š として現れる。
  • l-語(オグール語派)
現代ではチュヴァシュ語が唯一の生存言語であり、当該音素は l として現れる。

主要な対応例は以下の通りである。

  • 共通チュルク語 *taːš「石」 : チュヴァシュ語 čul
  • 共通チュルク語 *ḳïš「冬」 : チュヴァシュ語 χịl
  • 共通チュルク語 *beːš「五」 : チュヴァシュ語 pil(ịk)(ヴォルガ・ブルガール碑文 biäl
  • 共通チュルク語 *yaːš「年齢、年」 : チュヴァシュ語 śul(ヴォルガ・ブルガール碑文 ǰaːl
  • 共通チュルク語 *kümüš「銀」 : チュヴァシュ語 kịmịl

この対応関係のどちらが祖語の状態を反映しているかをめぐり、学界は二分されてきた。

第一は、シグマティズム説である。これを支持したのは主としてアルタイ論者たちである。グスターフ・ラムステッドニコラス・ポッペらアルタイ論者と、後期のゲルハルト・デルファーは、祖語における二つの側面音の体系(*l₁ と *l₂)を再建した。

シグマティズムにおいては、チュルク祖語には通常の側音 *l₁ のほかに、硬口蓋化された、あるいは特殊な摩擦を伴う側音 *l₂(または )が存在したと考える。

この *l₂ が共通チュルク語で š へ変化(シグマティズム)し、オグール語派では本来の l*l₁)に合流したと説く。

その証拠として、モンゴル語ツングース語の同源語、およびサモイェード語への古い借用語において、共通チュルク語の š に対応する音が l であることが強力な外部証拠とされる。例えば、共通チュルク語 *taːš「石」に対しモンゴル語 čilaun、共通チュルク語 *ḳïš「冬」に対しサモイェード祖語 *kiĺ が対応する。


これにたいする説がラムダシズム説であり、主として反アルタイ論者により議論された。ジェラルド・クローソン、A. M. シチェルバクらは、š が一次的であり、オグール語派において š から l への変化(ラムダシズム)が生じたと主張する。

クローソンはシグマティズムを不自然と批判し、シチェルバクは特定の音韻環境(短母音š)において l への変化が生じたとする韻律的説明を試みた。しかし、現代の研究では、この変化を環境から一貫して予測することは困難であるとされている。

オルチュン・ユナルによる新説

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近年の研究でオルチュン・ユナル(Orçun Ünal)は、従来の流音の再構に代わる画期的なモデルを提示している。彼は、外部の言語(特にトカラ語や古代中国語)との借用語の対応に基づき、祖語の音素を流音ではなく無声歯擦音/破擦音 *t₂ [ts](または [θ])として再構した。

この *t₂ は共通チュルク語で š [ʃ] へ変化し、オグール語派では側音の摩擦音 [ɬ] を経て l に合流したと考えられる。

オルチュン・ユナルによれば、語頭の *t₂- は両分派で č- を生じさせた。これにより、現代語における語頭の čy の交替(例:*čīg ~ yīg「生の」)を、祖語段階の無声歯音 *t₂ と有声歯音 *d₂ の交替として説明することが可能になる。

たとえば、PT *ńiāt₂ă「若い、子供」が古代中国語の「弱子」(*ńaːtsəː)からの借用である可能性が指摘されており、これが共通チュルク語 yaš とオグール側の借用語(モンゴル語 ǰalau 等)の分岐を説明する鍵となる。

この音素の再構を流音の枠組みから解放し、歯音・破擦音体系(*d₂ との対立)の中に組み込むことで、チュルク諸語の初期分岐、特にオグール語派の特異な流音・摩擦音対応を一貫して説明することが可能となる。

語末子音連結とヴォルガ・ブルガール語の証拠

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ヴォルガ・ブルガール碑文(13-14世紀)などの歴史的資料は、この対立の過渡的な姿を留めている。

一部の研究者は、共通チュルク語の š が古い *lč または *lǰ に由来する可能性を指摘している。例えば、共通チュルク語 baš「頭」に対応するブルガール語の形式として *balǰ が想定され、これがチュヴァシュ語の puś [puɕ](š ではなく č 由来の音)へと繋がったと分析される。

また、ハンガリー語の借用語 bölcső「揺りかご」(共通チュルク語 *bäːšek)などは、かつての連結音の痕跡である可能性がある。


形態論的残存

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共通チュルク語の内部でも、特定の形態論的文脈において zr の交替痕が痕跡的に認められる。

たとえば、派生語の例として、*sämiz「太った」 vs. *sämri-「太る」、*tiz「膝」 vs. *tirsgäk「肘」などがある。

また、動詞接辞の例として、肯定的アオリスト接辞 *-r と、否定的アオリスト接辞 *-mAz の対立も、この古い交替の反映である可能性がある。

チュルク祖語の *r₂*r₁ の対立は、単なる一音素の差異を超え、チュルク諸語が共通チュルク語とオグール語派へ分かれる際の最古の音韻的等語線となった。現在の主流の見解では、祖語に2種類の流音的音素を想定し、それが後に共通チュルク語でゼタシズム(z化)を起こしたとするモデルが、外部言語との対応や形態論的交替を最も整合的に説明できるとされている。

音素配列

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音節構造

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チュルク祖語の音節構造は、原則として (C)V(C)(C) 型に限定されていた。チュルク諸語の音韻体系における最も強力な音配列規則の一つは、語頭および音節頭における子音連結の絶対的回避である。一方で、語中および語末においては、特定の音韻的・構造的条件下で限定的な連結が許容されていた。

語頭子音連結

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チュルク祖語において、語頭に2つ以上の子音が並ぶことは絶対になかった。サンスクリットなどの語頭に連結を持つ外来語を借用する際、チュルク語は語頭音添加または母音挿入を用いてこれを開放した(例:Skt. stupa > astup)。

後世の言語(ハカス語など)で第一音節の弱化母音が脱落し、語頭連結が生じる場合があるが(例:tlo < tulu)、これは祖語の状態を反映したものではない。

語中の子音連結

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チュルク祖語の語中子音連結は、ソノリティの階層と音節内の緊張度のバランスに支配された動的な態様を有する。これは静的な構造ではなく、形態素の接合や韻律上の要請(母音脱落)によって絶えず再編される対象であり、この語中における音韻的調整こそが、後のチュルク諸語における多様な音韻変化を規定する原動力となった。

語中における子音連結

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語頭での連結を厳格に回避するチュルク語の特性上、語中の連結は主に語根と接辞の形態素境界、あるいは二次的な母音脱落(Syncopation)の結果として出現する。

語中子音連結の基本構造と制限は次の通りである。

  • 二重連結(CC)
最も一般的であり、多くの場合、先行音節の音節末と後続音節の音節頭が接合することで発生する。
  • 三重連結(CCC)
最大で3つまでの子音が並ぶことが許容されるが、これは2つの形態素が接合する場合に限られる。また、三重連結が生じる場合、その要素の少なくとも1つは共鳴音(/l, n, r/である必要がある(例:yaltrï-「輝く」、adïrtla-「区別する」、tärklä-「速める」)。

子音連結の起源

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語中の連結には、祖語段階から存在した一次的なものと、歴史的プロセスを経て生じた二次的なものの2種類が存在する。

起源の一つは、形態素境界における接合である。チュルク語の膠着的な性質により、語根接辞が付加される際に多くの子音連結が形成される。例えば、使役接辞 -tUr-形容詞化接辞 +lỊG などが連結の主要な供給源となる。

母音脱落も起源のひとつである。現代語や古文献に見られる複雑な語中連結の多くは、非第一音節における弱化母音(Reduced vowels)の脱落に起因する。

  • 例:ogul+um > ogl+um「私の息子」、agïz+ï > agzï「彼の口」、igid-iš > igdiš「育て合い」

また高母音だけでなく、低母音 /a/ が脱落して連結を生じさせる例も認められる(例:alakïr-a > alkïra「叫びながら」)。

同化

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語中の子音連結は、多様な同化作用の温床となる。

まず、順行同化と強弱の調整を起こす。後続する接辞の初頭子音は、語根末の子音の強弱に従って交替する。本来は摩擦音化しやすい語中の弱子音(, )は、共鳴音(/r, l, n/)の直後に置かれると摩擦音性を失い、弱閉鎖音(Stop allophones)として実現される傾向があった。また、強子音の後では接辞の初頭音も無声化(強化)される(例:at+tï「投げた」)。

また、逆行的同化と調音点の移動を起こす。後続する子音が先行する子音の調音点を規定する場合もある。歯茎鼻音 /n/ は、後続する軟口蓋音の直前で /ŋ/ へ、唇音の直前で /m/ へと逆行同化を起こす(例:n + b > mbom-bir「11」〉、n + g > ŋg)。

許容されない連結の解消

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祖語の音韻規則に適合しない連結(特に借用語において顕著)は、以下の手法で解消される。

まず、連結の間に母音を挿入して音節を分割する場合がある。

音位転換を起こす場合がある。すなわち、子音の順序を入れ替えて発音を容易にする(例:yavlak > yalvakyagmur > yamgur「雨」)。

子音脱落を起こす場合がある。即ち、連結の一要素を削除する(例:bärk > bäk「固い」)。

語末の子音連結

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チュルク祖語の語末子音連結は、ソノリティの下降という普遍的な音節構造の原理に忠実であり、共鳴音(特に流音と鼻音)を先行要素とする強子音のペアに特化していた。この厳格な制約を理解することは、語末母音の脱落による2音節語の単音節化という、チュルク語史における最大規模の音韻再編プロセスを解明するための基礎となる。

チュルク祖語において、語末(音節末)に許容される子音連結には厳格な構造的制約があった。その核心的な規則は、「第一要素(C₁)が共鳴音(鼻音流音)であり、第二要素(C₂)が無声の強子音(Fortis)であることである。

再構される主な一次的連結は以下の通りである。

  • 鼻音 + 強子音
*-nt(例:*ant「誓い」)、*-nč(例:*känč「子供」)
  • 流音 + 強子音
*-rt(例:*art「峠」、*tört「4」)、*-lt(例:*alt「下」)、*-rk(例:*ärk「力」、*börk「帽子」)、*-lk(例:*alk-「滅ぼす」)、*-rp(例:*sarp「急峻な」)、*-lp(例:*alp「勇者」)、*-rč(例:*yurč「義弟」)
  • 摩擦音 + 強子音
*-rs(例:*tärs「逆の」)

これらの連結において、C₁/r, l, n/ にほぼ限定されており、これらは調音緊張が低くソノリティ(聞こえ)が高い音素である。

弱子音を含む語末の連結

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伝統的な再構において、語末に弱子音(Lenis)を持つ連結(例:*-nd, *-ld, *-rd, *-nǰ 等)は、祖語段階における本来的な形式ではなく、後の語末弱化母音(Reduced final vowels)の脱落によって生じた二次的なものと見なされる。

母音脱落のプロセスとしては、祖語の2音節構造 *-V̆C-V̆(例:*andă「誓い」)において、語末の短母音が消失した結果、共通チュルク語(CT)において語末の子音連結が生じた。

例外的な弱連結の再構も議論される。デルファーは、語中・語末において弱破擦音を含む *-nǰ 連結の存在を論じている。これはハラジ語sanǰ-「刺す」などの証拠に基づき、特定の環境下で弱音が保持された可能性を示唆している。

その他の語末の音韻的制約

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チュルク祖語の音韻体系は、特定の組み合わせを組織的に排除していた。

まず、三子音連結は禁止された。語末において3つ以上の子音が並ぶことは、いかなる場合も認められなかった。

また、強子音 + 弱子音の組合せも回避された。強子音(閉鎖音)を第一要素とする連結(例:*-pt, *-kt)は固有語の語末には現れず、これらは借用語の適応や、後の音韻変化(母音挿入など)の対象となった。

また摩擦音 *s が特異な振る舞いをした。摩擦音 *sC₁ となる例は極めて稀であり、*ast「下」や *üsk「前、存在」といった限られた語彙でのみ報告されているが、これらも多くの場合、接辞を伴わない形では現れない。

現代語および古文献における反映

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祖語の語末の子音連結は、諸言語の分岐過程で多様な変化を遂げた。

  • サヤン・チュルク諸語
トゥヴァ語トファ語では、語末の *-rk 連結が *-rt へと変化する傾向がある(例:*börk > bört「帽子」)。
  • チュヴァシュ語の保守性
チュヴァシュ語オグール語派)では語末連結が厳格に制限されており、許容されるのは *-ld, *-rd などの特定のタイプに限定される。一方で、共通チュルク語の *-š に対応する l の起源として、かつての連結音 *-lǰ を想定する説もある。
  • 突厥碑文の表記
8世紀の突厥碑文では、ant「誓い」や tört「4」といった語末連結が明確に認められるが、これらもしばしば二次的な発達の結果であると分析される。

子孫言語における子音連結の発生

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多くの現代語や古チュルク語に見られる語末連結は、祖語における2音節語の語末弱化母音(Reduced final vowels)の脱落によって生じた二次的なものである。

  • 例:PT *andă「誓い」 > 共通チュルク語 and
  • 例:PT *börkä̆「帽子」 > 共通チュルク語 börk

ラルス・ヨハンソン(Lars Johanson)によれば、この母音脱落は共鳴音(*r, *l, *n)の後で最も早く生じ、それ以外の環境ではより後世まで保持された。チュヴァシュ語(オグール語派)の一部では、これらの母音が段落的に痕跡を留めている場合がある。

*nǰ の再構

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ラルス・ヨハンソン、オルチュン・ユナルら、近年の一部の論者は、語中・語末において弱破擦音を含む *nǰ 連結の存在を主張している。

古チュルク語の on-ïnǰ「第10」や、ハラジ語sanǰ-「刺す」に見られる連結は、この位置での弱音の保持を示唆している。この *nǰ 連結は、多くの言語で *nč への無声化や、 への弱化を辿ったとされる。

新たな子音連結

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チュルク祖語(Proto-Turkic, PT)の再構において、複雑な子音連結の存在を想定することは不可欠である。オルチュン・ユナル(Orçun Ünal)の近年の研究は、モンゴル諸語ツングース諸語サモイェード諸語などの外部の言語との比較に基づき、これまで不規則とされてきた対応を系統的な子音連結の変容として記述している。

以下に、再構上の重要な鍵となる *gt, *gʦ, *mč, *mʦ, *nʦ といった複雑な子音連結の音韻対応と再構の根拠を解説する。

軟口蓋音を伴う子音連結

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これらの子音連結は、共通チュルク語(Common Turkic, CT)において軟口蓋音*g)が消失する一方で、チュヴァシュ語や特定の古風な分枝においてその痕跡を留めている点が特徴である。

チュルク祖語の *gt は、共通チュルク語では /g/ が脱落し、代償延長を伴わずに単純な破裂音へと変化した。しかし、チュヴァシュ語では văt- のような形で軟口蓋音の痕跡が保持されている。

  • PT *(p)ägtä-「鳴く、鳴らす」 > 共通チュルク語 (h)ät-、チュヴァシュ語 avăt-
  • PT *bagta-「沈む、嵌まる」は、モンゴル祖語 *bagta- およびサモイェード祖語 *pə̑kt-(> *pə̑t-)との対応から裏付けられる。

*gt と並行して *gʦ も想定されている。これは特にダニューブ・ブルガール語(Danube Bulgar, DB)の資料によって支持される。

  • PT *bäːgʦ°「5」 > 共通チュルク語 *beːš、ダニューブ・ブルガール語 bext+

ダニューブ・ブルガール語では、このクラスターが /xt/([xt] または [gt])として保持されていた可能性が示唆されている。

鼻音と破擦音の子音連結

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鼻音を含むクラスターは、共通チュルク語において一律に -nč- へと収斂する傾向があるが、チュヴァシュ語の反映を精査することで、祖語段階での区別が可能となる。

語中または語末において、PT *mč は共通チュルク語で -nč、チュヴァシュ語で -mś または -nś となる。

  • PT *komču「靴の筒」 > 共通チュルク語 konč、チュヴァシュ語 komśă
  • モンゴル祖語 *kamču「袖」との対応が見られる。また、PT *ńäːmčgäː「薄い、細い」(> 共通チュルク語 yeːnčgä、チュヴァシュ語 śinče)は、モンゴル祖語 *nimgen やツングース祖語 *nem(köːn) と関連している。

PT *mʦ は共通チュルク語で -nč となるが、チュヴァシュ語では ([š])として現れる点が *mč と異なる。

  • PT *sia̯ːkəmʦ°「思考」 > 共通チュルク語 saːkınč、チュヴァシュ語 šuxăš

動作名詞を形成する PT *{-(Ø)əmʦ°} は共通チュルク語 -(X)nč に対応し、モンゴル諸語には {-(U)mtA} として借用されたと考えられる。 PT *nʦ*mʦ と同様に共通チュルク語で -nč、チュヴァシュ語で となる。

  • PT *ünʦəːn°「〜に基づいて、〜のために」 > 共通チュルク語 üčüːn(中期段階 *ünčüːn を経る)、チュヴァシュ語 +šĂn

モンゴル祖語 *ünde.sün「根、基礎」との対応により、この再構は補強される。


語頭における阻害音の分布制限

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語頭(Anlaut)における阻害音の出現は、祖語段階で一定の制約を受けていた。

伝統的には *b-, *t-, *k-(および後舌の *ḳ-)のみが認められてきた。チュルク祖語よりも古い段階で *k : *g, *t : *d の対立も中和されていたとみられる。語頭において弱音(*d-, *g-)が存在したかについては、オグズ語群トゥヴァ語に見られる有声性の反映を二次的発展とみなすか、祖語の残存形質とみなすかで意見が分かれている。*g と *d はモンゴル語族などとの(借用語の)比較を通じてしか知ることができない。また特に *g はモンゴル語族と接触した時点でもすでに語頭で失われていたらしく、再構の根拠をえることが相対的に難しい。

語頭の *p は両唇摩擦音の段階を経たのちに *h(*x とも書かれる)に変化し、*h はウズベク語などをのぞくほとんどの子孫で失われた。すなわち語頭の *p- は、現代諸言語では失われているか *h- もしくは Ø に変化している。*h は古チュルク文字では表記されていないが、チベット語話者・中国語話者による音写から一部の古チュルク語の方言では保存されていたことが分かっている。ハラジ語h- や周辺諸言語(モンゴル語ツングース語等)への早期借用語の証拠に基づき、現在では語頭の強唇音 *p- を再構するのが通説である。

語頭における共鳴音の分布制限

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語頭における流音・鼻音の回避は、チュルク語の音節構造の緊張(Tension)と密接に関連している。祖語段階では、語頭に立てる音素は強弱(Fortis/Lenis)の対立を持つ阻害音破裂音破擦音)と、摩擦音 *s-半母音 *y- にほぼ限定されていた。

この語頭における高ソノリティ音の回避という制約は、チュルク語を特徴づける強力な音配列規則であり、外来語の適応プロセスや、*b- > m- のような同化現象、さらには *ń- > *y- のような長範囲の音変化を規定する基盤となっている。

流音

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チュルク祖語において、語頭の流音は完全に欠如していたというのが通説的見解である。

PTにおいて語頭の *r- は存在せず、固有語でこの音から始まる語彙は認められない。後世の言語で見られる語頭の r- は、すべて借用語ペルシア語サンスクリットロシア語等)に由来する。

*r- と同様に、*l- も祖語の段階では語頭に立てなかった。現代語で見られる語頭の l- は、外来語か、あるいは語頭母音の脱落による二次的産物である。例えば、チュヴァシュ語lar-「座る」は、PT *olor- の語頭母音脱落によって生じたものである。

語頭に流音を持つ外来語を借用する際、チュルク諸語は伝統的に流音の前に母音を挿入する語頭音添加によってこの制約を維持した。例えば、ペルシア語の rāst「真実の」は、カザフ語orïṣバシキール語urïθ のように受容されている。

鼻音

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鼻音 *n-, *ŋ-, *m- もまた語頭においては極めて限定的な分布しか持たなかった。

軟口蓋鼻音 [ŋ] は、いかなるチュルク語においても語頭に出現することはない。

祖語における語頭の *m- は再構されない。現在見られる語頭の m- の多くは、後続する鼻音による逆行同化(*b- > m-)の結果である。例えば、PT *bịŋ「千」は、多くの言語で miŋ もしくは mịŋ へと変化した。

語頭の *n- は、疑問詞 「何」およびその派生語(nämä 等)においてのみ、固有語としての出現が認められる。このため、 が本来のチュルク語彙であるかについては、古くから議論の対象となってきた。

特殊な鼻音 *ń- の問題

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アルタイ語仮説の枠組み、あるいは広域的な語彙比較において、共通チュルク語の語頭 *y- は、*ń- を含む複数の先行音素が収斂(merger)した結果であると分析される。

チュルク語y- に対し、モンゴル語ハンガリー語n-ny- が対応する例が、この変化の強力な根拠となる。

  • PT *ńāz「春、夏」 > 共通チュルク語 *yāz、モンゴル語 niray「新鮮な」、ハンガリー語 nyár「夏」
  • PT *ńiat₂ă「若い、子供」 > 共通チュルク語 yaš、モンゴル語 ǰalau*ǰ- はチュルク語の反映、n- は元来の鼻音を示すとされる)

オルチュン・ユナルは近年の研究において、*ńiar₂ŭ-「描く、書く」から共通チュルク語 yaz- およびチュヴァシュ語 śïr- が派生したと再構している。

n-方言

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チュルク学におけるn-方言(n-dialect)とは、主に古チュルク語の文献学的・比較言語学的分析において、共通チュルク語の祖語的な硬口蓋鼻音 n として反映される言語変種、あるいはその特徴を持つ文献群を指す概念である。

古チュルク語研究において、アンネマリー・フォン・ガバイン(A. von Gabain)は1930年代に、文献の言語的特徴に基づき、n-方言、y-方言という二分法を提唱した。

  • n-方言
祖語の硬口蓋鼻音 n へ移行した変種。主にマニ教文献(Manichæan texts)に見られ、ガバインはこれをオグズ(Oghuz)族と結びつけた。
  • y-方言
y へ移行した変種。標準的なウイグル語文献(主に仏教文献)がこれに該当する。

n-方言を定義する最大の音韻論的特徴は、硬口蓋鼻音 の非鼻音化あるいは脱口蓋化(depalatalization)である。

11世紀のマフムード・アル=カーシュガリーは DLT において、Argu 方言が n として保存・変化させていることを記述している(例:共通チュルク語 añïɣ「悪」 > Argu anïɣ、共通チュルク語 ḳoːy「羊」 < *ḳoːñ > Argu ḳon)。

またゲルハルト・デルファーによって再発見されたハラジ語は、Argu方言の直系の末裔であり、現在もこの n 反映を保存している。

マニ教ウイグル語文献の特徴

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n-方言的特徴は、ソグド文字マニ文字で記された特定のウイグル語断片に認められる。

これらの文献では、本来の n, ny, あるいは yn と綴られ、表記が揺れている。

n-方言的特徴(ñ > n)を持つ文献は、しばしば1人称命令形 -dUm や、特定の連結母音の選択において、標準的な仏教ウイグル語文献とは異なる傾向を示し、形態論との関連を有する。

「n-方言」概念の再評価

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しかし、Peter Zieme, Klaus Röhrborn, 庄垣内正弘らの研究では、ウイグル語内部に明確な n-方言という独立した言語体系が存在したかどうかについては慎重な見解も示されている。

ウイグル文字やマニ文字における n 表記は、単なる保守的なスペリング(古態としての の不完全な表記)に過ぎず、実際の音価はすでに y へ移行していた可能性も指摘されている。

むしろ、ルーン文字碑文ń を保存)から標準ウイグル語(y へ移行)への音韻変化の過渡的な段階、あるいは地域的な変異を文献学的に「方言」と呼称してきた側面が強いと言える。

古チュルク語における n-方言の研究は、Argu 方言 / ハラジ語の系譜を特定し、マニ教文献の言語的背景を解明する上で極めて重要である。これは単なる一音素の変化にとどまらず、チュルク諸語の初期の分岐(特にオグズ的要素の混入)や、中央アジアにおけるソグド文化圏との接触を反映した動的な言語現象として理解される。

南シベリアにおける二次的鼻音化

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チュルク祖語および古チュルク語において、語頭の n- は固有語には原則として出現しないが、現代の南シベリア・チュルク語群トファ語ショル語ハカス語等)には、語頭に ń-n- を持つ語彙が散見される。

しかし、専門家の多くは、これらを祖語の直接の残存形質ではなく、後続する鼻音(n, ŋ 等)による逆行的な鼻音同化(Nasal assimilation)の結果であると説明している。

  • 例:共通チュルク語 yaŋï「新しい」 > トファ語 ńãː、ハカス語 naː
  • 例:共通チュルク語 yan-「帰る」 > トファ語 ńan-

語頭の阻害音

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語頭の *š はより早い段階の *si- に由来する。

子孫言語の発展

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強子音の発展

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チュルク祖語の強子音(*p, *t, , *k, *ḳ)は、高い筋肉的緊張と強い呼気圧を伴う緊張音である。音声的には無声であり、しばしば強い気音(aspirated)を伴っていたと推定される。

語中・語末における強子音の挙動を支配する最も根本的な原理は、本記事ですでに述べた音節バランス(Syllabic balance / Silbengleichgewicht)である。

チュルク祖語では、短母音(Normal vowel)の後続には強子音が配置されるという韻律上の制約が存在した。その一方、一次長母音の後続には弱子音(Lenis)が現れる傾向がある。A. M. シチェルバク(A. M. Ščerbak)はこれをエネルギーの観点から、エネルギーが後続子音に集中する子音頂上型(Consonantal-peaked)の音節構造として説明している。

主要な反映

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語中(特に母音間)において、強子音は弱子音が早期に摩擦音化(*d > など)を被るのに対し、その高い緊張度によって破裂音性を維持し、安定する傾向がある。

また、強子音は語中において、特定の言語群において特異な特徴に反映している。

  • 前声門化(Preglottalization): サヤン・チュルク諸語トゥヴァ語トファ語など)では、祖語の強子音の直前に声門閉鎖音 ʔ を伴うことで、先行する母音が短く、後続する子音が増強された強子音であることを標示している(例:Tuvan aʔt「馬」)。
  • 気音化(Aspiration): シラ・ユグル語サラール語、ドゥハ語(Dukhan)では、強子音を強気音([pʰ], [tʰ], [kʰ])または前気音([ʰp], [ʰt])として実現し、弱音(無気音)と区別している。
  • 特殊な環境下での摩擦音化
原則として安定している強子音も、特定の音韻環境、特に後舌母音環境で の直前にある場合、同化作用により摩擦音化を起こす。
  • *k > [x / χ](例:*ak-ïš- > axša-「似る、似せる」)
  • *p > [f / φ](例:*yap-ïš- > yafš- / yaφš-「くっつく」)

語末における強子音は、多くの言語において無声性を維持したまま保存されている。共通チュルク語(CT)の主流派では、語末の強子音はそのまま維持される(例:PT *at「馬」 > CT at)。

一方、オグール語派チュヴァシュ語)の態様は特異である。チュヴァシ語では、語中・語末の強子音であっても、特定の形態論的文脈(例:形容詞分詞接辞の前)において重子音化(gemination)による強化、あるいは特定の環境での弱化(mediae lenes)を見せることがある。

歴史的変遷と二次的弱音の発生

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共通チュルク語への進化過程で一次的長母音が短縮した際、音量の差異は後続子音の質的対立(強音 vs 弱音)へと転嫁された。

さらに、長母音の短縮後、元来の弱子音は多くの言語で有声化や摩擦音化をさらに進めたが、オグズ諸語などでは「短母音+強子音(at)」と「旧長母音+弱子音(ad)」という対立として、かつての母音量の痕跡を子音の質に留めることになった。二次的弱音(Secondary lenis)の形成である。

チュルク祖語の強子音の語中・語末における動態は、強弱の弁別と音節内の韻律的平衡を基軸とした体系的な構造に支配されていた。強子音は原則としてその緊張度を維持して破裂音性を保つが、サヤン・チュルク諸語における声門化やシラ・ユグル語における気音化といった強音由来の異なる素性の発達、あるいは特定の環境での摩擦音化といった動的な変化を含んでいる。この強弱の対立(Fortis/Lenis)を軸に据えることで、チュルク諸語の動的な音韻史を一貫して記述することが可能となる。

先チュルク祖語

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*y- の起源

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語頭の *y- は、最も複雑かつ議論の多い音素の一つである。現代のチュルク諸語では、この音素は一般的に y-(南西・南東グループ)として現れるが、多くの言語で ǰ-キルギス語ウズベク語等)、ž-カザフ語等)、あるいは ś- / s-チュヴァシュ語サハ語)といった多様な反映を見せる。

比較言語学的研究によれば、チュルク祖語の *y- は単一の音素ではなく、さらに古い段階(Pre-Proto-Turkic または Proto-Turkic-1などと呼ばれる)における複数の音素が合流したものであると考えられている。

モンゴル語との対応関係に基づき、以下の3つ(あるいはそれ以上)の先行する音素を想定することができる。

  • *y-(原初的半母音)
そのままチュルク祖語の *y- へ移行。
  • *d-(*d₂- または *d’-)
歯音歯茎音に由来。チュルク祖語の段階で *y- に変化したとされる。ギリシア史料の転写(例:ヤイク川〈ウラル川〉を Δάιξ と表記)などが、かつての歯音的な性質(δ-)を示唆している。
  • *ń-(硬口蓋鼻音)
アルタイ語仮説の枠組みでは、モンゴル語の n-ハンガリー語ny- との対応から、これが共通チュルク語の y- になったとされる。例えば、「春」を意味する yāz は、モンゴル語の niray(新鮮な)に対応する。

オルチュン・ユナルの *d₂-

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近年のオルチュン・ユナルの研究は、さらに精緻な再構を提示している。彼は、共通チュルク語の y- の起源として、従来の *d₁-(チュルク祖語で *t- に合流したとされる)とは別に、第二の有声歯音 *d₂- [dz] を設定している。

この *d₂- は、共通チュルク語では語頭・語中のいずれにおいても y となったが、モンゴル語への借用語では d- として保存されている。

  • 例:PT *d₂agïr₂「褐色」 > 共通チュルク語 yagïz、モンゴル語 dayir

代名詞の母音交代

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チュルク祖語(Proto-Turkic, PT)の再構において、母音交代(Apophony)あるいは母音改訂(Vowel Gradation)は、現代の諸言語や古文献に見られる「不規則な変異」の起源を説明するための重要な概念である。特に人称代名詞変化に見られる母音の変異は、祖語段階に遡る体系的な音韻論的過程の残滓である可能性が高いと考えられている。

チュルク諸語の代名詞体系には、主格(Nominative)と斜格(Oblique)の間で語幹母音が交代する現象が広く見られる。これは、印欧語アプラウト(Ablaut)にも比肩する歴史的な音韻現象として注目されてきた。

1人称・2人称単数代名詞は、主格 PT *bän「私」、*sän「あなた」のように、低母音)を持つ語根が再構される。一方、斜格(与格以外)属格対格などでは、*bin-*sin- のように高母音*i)へと交代する。与格においては、*baŋa*saŋa のように、後舌低母音(*a)への交代が見られる。これは後続する鼻音)による右から左への逆行同化、あるいは祖語段階の特殊な変異の結果と推測されている。

指示代名詞において、*bu「これ」、*ol「あれ」の斜格語幹が、それぞれ *mun-*an- となる現象も、広義の母音交代(および子音交代)の範疇に含まれる。

この交代現象の解釈については、研究者の間でいくつかの立場がある。

まず、マルッティ・ラサネン、ルイ・バザンらはアプラウト説をとる。チュルク祖語には、特定の文法的機能を担う体系的な母音階梯(Grade)が存在したとする説である。 一方、ゲルハルト・デルファー、オルチュン・ユナルらは、中立母音・中間音素接をとる。特定の条件下(例えば特定の鼻音の前など)で、母音の質が不安定であったとする視点である。デルファーは、これを完全なアプラウトとは呼ばないまでも、それに極めて近い現象と位置づけている。

古チュルク語突厥文字)において、高非円唇母音の前舌・後舌(i vs ï)の区別がしばしば動揺していることも、この母音交代の背景にある音韻的な流動性を示唆している。

チュルク祖語の母音交代は、他のトランスユーラシア諸語モンゴル諸語ツングース諸語など)との比較によってその一次性が補強される。エウェンキ語などのツングース諸語においても、1人称単数の主格 bi に対し、斜格語幹が min- となる現象が見られ、チュルク祖語の *bän / *bin- との系統的、あるいは類型的な関連性が指摘されている。モンゴル祖語との比較においても、特定の語彙で母音の広狭( vs *i)が対応するケースがあり、これが祖語段階の母音交代に由来する可能性が議論されている。

母音交代の存在を認めることは、チュルク諸語が持つ「膠着語としての規則性」の裏に、かつてはより複雑な屈折的・内部的な変化が存在したことを示唆している。

その後の発展段階において、チュルク諸語はこれらの不規則な交代を排除し、透明性の高い膠着的な体系へと再編(Regularization)される強い傾向を持っていた。したがって、現在残っている代名詞の変異は、その強力な規則化の波を免れた貴重な証拠といえる。

チュルク祖語における母音交代の研究は、単なる形態論の記述にとどまらず、祖語の音韻体系の複雑性(原音素/X/ や一次長母音の関与)や、近隣諸語との超系統的なつながりを解明するための鍵となっている。

関連項目

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参考文献

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脚註

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