チャールズ川

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チャールズ川
Charles River
Longfellow pru.jpg
ボストンとケンブリッジを結ぶロングフェロー橋
アメリカ合衆国
マサチューセッツ州
ホプキントン, ケンブリッジ, ボストン
源流 エコー湖
 - 所在地 ホプキントン, マサチューセッツ州, アメリカ合衆国
 - 標高 350ft (107m)
合流地 ボストン港
 - 所在地 ボストン, マサチューセッツ州, アメリカ合衆国
 - 標高 0ft (0m)
長さ 80mi (129km)
流域 308 sq mi (798 km²)
流量
 - 平均 302 cu ft/s (9 m3/s)
 - 最大 4,150 cu ft/s (118 m3/s)
 - 最小 0.1 cu ft/s (0 m3/s)

チャールズ川: Charles River)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州を流れるである。全長80 mi (129 km)のチャールズ川は、ボストンより南西に位置するボストンマラソンのスタート地点で知られるホプキントンに源を発し、北東に向かい23都市を経由して大西洋マサチューセッツ湾ボストン港に注ぐ[1]

名称はイングランドチャールズ1世に由来する。

概要[編集]

ホプキントンにあるエコー湖北のテレサ通りから[2]州東部の23都市を通りボストン港に流れる[1]全長80マイル(129km)のチャールズ川は[3]、80渓流およびいくつかの主要な帯水層から流れ込む。33の湖や池および35の自治体がチャールズ川流域に属する。チャールズ川の全長および広範囲に亘る流域(308平方マイル(798km2))に関わらず、その水源は河口から26マイル(42km)しか離れておらず、水源から河口までの標高差は350フィート(107m)しかない。チャールズ川の分水流域にはナチュラル・ヴァレイ・ストレイジと呼ばれる8,000エーカー以上におよぶ湿地保護区が含まれる。これらの地域は下流の水量の調節や自生の種の保存に重要な役割を担っている。

沿岸にはブランダイス大学ハーバード大学ボストン大学マサチューセッツ工科大学がある。河口付近は川幅も広く、ボストンのダウンタウン、ケンブリッジチャールズタウンの境界を成す。チャールズ川遊歩道にはハッチシェルがあり、夏季にはコンサートなどのイベントが開催され、特に独立記念日のイベントで知られる。ウォータータウン・ダムとウエルスリーの間の流域はチャールズ川上流保護区、およびヘムロック・ゴージ保護区、カトラー・パーク、エルム・バンク保護区などの州の組織により保護されている。

歴史[編集]

View of the bridge over Charles Riverニューヨーク公立図書館
夜のメモリアル・ドライブ(手前)およびバックベイ(奥)

ネイティヴ・アメリカンによりマサチューセッツ南東部からニューイングランド北部への交通手段、あるいは漁場として使用されていた。

ジョン・スミスはニューイングランドを探検して海岸の地図を作成し、その際様々なものに名称を付け、現在のチャールズ川をマサチューセッツ族に因み「マサチューセッツ川」と名付けた。スミスがイングランドチャールズ1世に披露した際、「野蛮な名前」から「英語名」に変更することを提案した。王は多くの名称を変更したが、現存するのは自身の名を冠した「チャールズ川」を含めて4つのみである[4]

標高差の少なさから流れが緩やかであるが、デダムの初期の入植者はチャールズ川を水車小屋に利用した。1639年、町はチャールズ川から近くのネポンセット川に流れる小川まで運河を設立した。その際チャールズ川は分岐し、新たな水車の運行が可能となった。この運河および小川は現在マザー・ブルックと呼ばれている。この運河は北アメリカ最古の運河とされており、現在も洪水調節のために使用されている。

1814年、フランシス・カボット・ロウエルはウォルサムにアメリカ初の統合化された繊維工場を設立し[5]、19世紀までにチャールズ川流域はアメリカで最も工業化された地域の1つとなった。すぐに多くの水車や工場にその水力が供給されるようになった。19世紀末までに流域に20ものダムが建設され、そのほとんどが工業用の水力発電として使用された。1875年の政府報告書によると、ウォータータウ・ダムからボストン港までの9.5マイル(15km)に水車が43か所あった。

1816年から1968年、アメリカ陸軍は銃や弾薬の倉庫を操業し、のちにウォータータウン工廠と呼ばれるようになった。うち数十年間は南北戦争第二次世界大戦などアメリカの様々な戦争で重要な役割を担った。その舞台となったウォータータウンのチャールズ川流域は甚大な被害を受けた。工廠はスーパーファンド適用地となり、政府により閉鎖されて他の用途で使用できるよう安全が保たれるまでに改善された。当時チャールズ川沿いの多くの工場や水車は経済の向上の一端を担っていたが、甚大な公害も引き起こした。

ボストンとケンブリッジの境[編集]

ある晴れた日のチャールズ川遊歩道

現在のチャールズ川におけるボストンとケンブリッジの境はほとんど人工的に設計されたものである。1891年、マサチューセッツ州知事ウィリアム・E・ラッセルはオウエン・A・ガルヴァンをチャールズ川向上委員会長に任命した。フレデリック・ロー・オルムステッドおよびガイ・ロウエルに師事した著名な造園設計士のチャールズ・エリオット、アーサー・シャークリフが設計を牽引した。この設計にはチャールズタウンの新設ダムからウォータータウン・スクエアのダムまでのチャールズ川沿岸19マイル(31km)に公園および自然区域20か所以上が含まれる。

1890年代にエリオットはハンブルグのAlster川をモデルにすでに現在の河川設計を思い描いていた[6]。しかしエリオットの死後、ジェイムズ・ジャクソン・ストロウにより現在のボストン科学博物館となるチャールズ川河口でダムの大規模工事が開始した。1910年に完成したこのダムは、ボストンからウォータータウンの水位を一定に保ち、干潟をなくし、レヴェレット・サークルとチャールズゲイトの間に堤防が建てられた。ストロウの死後、妻は遊歩道沿いにより美しい公園設立のために100万ドルを寄付し、1936年、遊歩道はストロウ記念遊歩道と名付けられた。この寄付金によりチャールズ川沿いに多くの公園設立が可能となった。1950年代、遊歩道の端に沿ってチャールズ・サークルとソルジャー・フィールド・ロードを結ぶハイウェイが建てられストロウ・ドライブと名付けられた。このハイウェイから川に向かい、遊歩道が拡大された。

ボストン大学橋でチャールズ川を横断するハイウェイが計画されたが、1970年代に中止となった。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Charles River Watershed”. The Charles River Watershed Association. 2013年2月5日閲覧。
  2. ^ http://geonames.usgs.gov/apex/f?p=gnispq:3:::NO::P3_FID:619357
  3. ^ [1] Archived July 7, 2011, at the Wayback Machine.
  4. ^ Stewart, George R. (1967) [1945]. Names on the Land: A Historical Account of Place-Naming in the United States (Sentry edition (3rd) ed.). Houghton Mifflin. p. 38. 
  5. ^ Who Made America? Pioneers: Francis Cabot Lowell”. PBS. 2011年7月30日閲覧。
  6. ^ Karl Haglund (2003). Inventing the Charles River. Cambridge, Massachusetts: The MIT Press. ISBN 0-262-08307-8. 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]