チェーホフの銃
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チェーホフの銃(チェーホフのじゅう、英語: Chekhov's gun)とは、ロシアの劇作家・小説家のアントン・チェーホフの発言に由来するとされる、後世の表現である。
概要
[編集]後世の解釈として、物語において導入された要素は後に使用されるべきであるという指針として説明されることがあるが、その内容や射程、適用基準は一定しておらず、統一的な定義が確立しているとは言い難い。 またチェーホフ自身が「チェーホフの銃」という表現を用いたわけではない。
舞台における小道具についてのチェーホフの言葉
[編集]チェーホフの銃という表現は、チェーホフの手紙や、関係者の証言などに見られる発言に由来するとされる。チェーホフは、舞台上に置かれた小道具は後の展開で使用されるべきであり、そうでない場合は置くべきではないという趣旨の発言を残しているとされる。
- 「もし、第1幕から壁に拳銃をかけておくのなら、第2幕にはそれが発砲されるべきである。そうでないなら、そこに置いてはいけない。」1904年に『演劇と芸術』誌に掲載されたイリヤ・グリヤンドの「チェーホフの思い出」[注 1]。
チェーホフ自身の作品
[編集]ロシア文学研究者の浦雅春は、チェーホフの作品には、物語の展開に直接関与しない細部や、説明の付されない行動が見られることがあると言及している。[注 2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 英字表記による出典は次の通り。Gurlyand (Gurliand), Ilia: Reminiscences of A. P. Chekhov, Teatr i iskusstvo 1904, No. 28, 11 July, p. 521.
ただし、別の典拠によると、1889年に当時24歳だったイリヤ・グリヤンドはチェーホフとの会話の中で次のように聞いたとされる。「もし、第1幕から壁に拳銃をかけておくのなら、最終幕にはそれが発砲されるべきである。」[1]
Ernest. J. Simmons は、チェーホフがこの点について後にも繰り返し述べていると指摘している(繰り返すうちに異同が生じることもあったと思われる)[2]。 - ↑ チェーホフの作品を読んでいると、ときどきなぜこんなことまで書くのだろうと不思議に思うことがある。
[3]
「〔ニコライは〕ある日廊下を歩いているときにつまずいて、ハムとグリーンピースをのせた盆もろとも転んでしまったのである」。普通なら「盆もろとも」でじゅうぶんだと思われるのだが、チェーホフはわざわざ「ハムとグリーンピースをのせた盆」と説明する。先の「手帖」の「着られもしない高い襟」と同様、どうやら彼は余計なディティールをつけ加えてしまうらしい。 [4]
『桜の園』に登場するシャルロッタという女性はその最たるものだろう。(中略)まったく筋にかかわりのない手品をやってみせるかと思えば、第二幕の冒頭、自分がどこの誰かもわからないと存在の不安を語る大事な場面で、いきなりポケットからキュウリを取り出しかじり出す。なぜキュウリなのか、これまたまったく説明がつかない。 [5]
出典
[編集]- ↑ Donald Rayfield (March 1998) (英語). Anton Chekhov: A Life (Hardcover ed.). New York , USA: Henry Holt & Co. p. 203. ISBN 978-0-805-05747-8
- ↑ Ernest Joseph Simmons (June 1970) (英語). Chekhov: A Biography (Paperback ed.). Chicago Illinois, USA: Chicago University Press. p. 190. ISBN 978-0-226-75805-3
- ↑ 浦雅春『チェーホフ』岩波書店〈岩波新書〉、2004年、138頁。
- ↑ 浦雅春『チェーホフ』岩波書店〈岩波新書〉、2004年、138頁。
- ↑ 浦雅春『チェーホフ』岩波書店〈岩波新書〉、2004年、139頁。