チェシュメ
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チェシュメ Çeşme ![]() |
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位置 | |
![]() イズミル県の地図(チェシュメは左側のオレンジ部分) |
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座標 : 北緯38度19分 東経26度18分 / 北緯38.317度 東経26.300度 | |
行政 | |
国 | ![]() |
地方 | エーゲ海地方 |
県 | イズミル県 |
町 | チェシュメ |
地理 | |
面積 | |
町域 | 260 km2 (100.4 mi2) |
標高 | 0-5 m (0-16 ft) |
人口 | |
人口 | (2006年現在) |
町域 | 40,700人 |
人口密度 | 157人/km2(406.6人/mi2) |
その他 | |
等時帯 | 極東ヨーロッパ時間 (UTC+3) |
郵便番号 | 35x xx |
市外局番 | 0232 |
ナンバープレート | 35 |
公式ウェブサイト : www.cesme-bld.gov.tr |
チェシュメ(Çeşme)またはチェシメは、トルコエーゲ海地方のイズミル県にある町である。県都のイズミルより西へ85kmの距離にあり、カラブラン半島 (en:Karaburun Peninsula) から更に突き出たチェシュメ半島に位置する。チェシュメ (Çeşme) とは「噴水」の意味であり、オスマン帝国時代の噴水が町中で多く見られる。
歴史[編集]
チェシュメの町は、キオス島を統治していたジェノヴァ共和国と、オスマン帝国に追い払われる形でアナトリアを支配していたアイドゥン侯国の間で暫定協定が結ばれた14世紀に黄金期を迎えた。ヨーロッパとアジアの貿易が、オスマン帝国の領土からわずか数時間の距離のチェシュメを経由して行われていた。チェシュメはオスマンの属国であったが、1470年を過ぎるまで自治を維持していた。1566年にキオス島がピヤレ・パシャ (en:Piyale Pasha) の率いるオスマン帝国軍に占領され、キオス島とチェシュメは帝国領となった。その後、外国人商人たちの好みにより、貿易拠点はチェシュメから徐々にイズミルにシフトしていった。その時までイズミルは、東方からのキャラバン隊が通過するだけの町であった。今日のようなイズミルの発展は、17世紀を過ぎた頃から顕著になる。1770年、チェシュメは露土戦争 (en:Russo-Turkish War (1768–1774)) におけるチェシュメの戦い (en:Battle of Chesma) の舞台となった。
姉妹都市[編集]
ルレオ, スウェーデン
Emmonak, アメリカ
フランクフォート, アメリカ
イカルイト, カナダ
セメイ, カザフスタン
アクトベ, カザフスタン
タラス, キルギスタン
アークレイリ, アイスランド
キルキュバイヤルクロイストゥル, アイスランド
Leningradskiy, タジキスタン
コペル, スロベニア
Xlendi, マルタ
Dogana, サンマリノ
Wise, アメリカ