チェイス (バンド)
| チェイス Chase | |
|---|---|
| 出身地 |
|
| ジャンル | ジャズ・ロック |
| 活動期間 | 1970年 - 1974年、1977年 - 1979年 |
| レーベル | エピック、Churchill |
| 旧メンバー |
ビル・チェイス テリー・リチャーズ テッド・ピアースフィールド アラン・ウェア ジェリー・ヴァン・ブレア フィル・ポーター エンジェル・サウス デニス・ジョンソン ジェイ・ベリド GG・シン ジョン・エマ ラス・フリーランド |
チェイス(Chase)は、1970年代に活動したアメリカ合衆国のブラス・ロック、ジャズ・ロック・バンドである。
来歴
[編集]ウディ・ハーマンなどのビッグバンドのトランペット奏者として活動していたビル・チェイス[1]を中心に1970年に結成。ビルの本名はWilliams Edward Chiaieseであったが、父ジョンがChiaiese[注釈 1]を発音しやすく綴りも簡単なChaseに変えた。
第1期のメンバーはビル、テッド・ピアースフィールド(Ted Piercefield)、アラン・ウェア(Alan Ware)、ジェリー・ヴァン・ブレア(Jerry Van Blair)(以上トランペット)、フィル・ポーター(Phil Porter:キーボード)、エンジェル・サウス(Angel South:ギター)、デニス・ジョンソン(Dennis Johnson:ベース)、ジェイ・ベリド(Jay Burrid:パーカッション)、テリー・リチャーズ(Terry Richards:ボーカル)。トランぺッターのピアースフィールドやヴァン・ブレアがボーカルを担当することもあった。
1971年にデビュー。デビュー曲の「黒い炎」(原題:Get It On)[注釈 2]はBillboard Hot 100で24位まで上昇するヒット[2]になり、同年発表されたファースト・アルバム『追跡』も全米アルバム・チャート22位まで上がり、26週間チャート・インして40万枚を売り上げた。彼等はブラッド・スウェット&ティアーズ、シカゴに続くブラス・ロックの旗手として名を上げ、第14回グラミー賞の最優秀新人賞の受賞候補者に選ばれた[3][注釈 3]。
特異だったのはブラス・セクションが「トランペットのみの4人編成」という点である。このため同じくホーン・セクションを擁した同時代のブラッド・スウェット・アンド・ティアーズやシカゴなどと異なり、ブラスの音はかなりの技術を要するトランペットの高音に特徴があった。またラテン・パーカッションもバンドの音楽をパッションに満ちたものにしていた。
セカンド・アルバム『ギリシャの神々 (エニア)』(1972年)の収録中、家族との時間を大切にしたいなどの理由でメンバーが次々と離脱。第2期ではテリー・リチャーズがGG・シン(GG Shinn:ボーカル)に交代した。同アルバム発表後、結成2年を待たずしてバンドは解散する。
解散後2年を経てビルは1974年にメンバーを一新して再度グループを結成。第3期のメンバーはトランペットがビル、ジェイ・ソーレンバーガー(Jay Sollenberger)、ジョー・モーリセイ(Joe Morrissey)、ジム・オァッツ(Jim Oatts)、キーボードがウォーリー・ヤーン(Wally Yohn)、ギターがジョン・エマ(John Emma)、ベース&ボーカルがダーティニァン・ブラウン(Dartanyan Brown)、パーカッションがウォルター・クラーク(Walter Clark)。ボーカルは第1期から引き続きテリー・リチャーズが担当することもあった。ジャズ色をさらに強めた3枚目のアルバム『復活』を発表して精力的にライブ活動を開始するが、ツアー中の同年8月9日にミネソタ州ジャクソンでチャーター機が墜落し、ビル、ヤーン、エマ、クラークの4名が死亡。ビルは39歳だった。チェイスは消滅した。
なお、事故機に搭乗せずバスで移動して[注釈 4]難を逃れたジム・ピートリック[注釈 5]が、『復活』でベースを担当していたデニス・ジョンソンを誘って結成したグループが、映画『ロッキー3』のテーマ「アイ・オブ・ザ・タイガー」で知られるサバイバー(生存者)である[注釈 6]。
日本では「黒い炎」がヒットし、和田アキ子がライブでカバーした。チェイスは同曲のヒットの規模以上のインパクトを日本の音楽界に与え、そのサウンドは何人もの作曲家、歌手に大きな影響を与えた。筒美京平作曲・編曲の欧陽菲菲「恋の追跡(ラブ・チェイス)」、馬飼野康二による和田アキ子「古い日記」、西城秀樹「情熱の嵐」などが挙げられる。1987年にはTOPSが「黒い炎」をカヴァーした。
『復活』に収録されたインストルメンタル「ボッチャワ」(原題:Bochawa)は、日本テレビの『テレビ三面記事 ウィークエンダー』などで使用され、日本独自のシングルとして「黒い炎」と共にリリースされた。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- 『追跡』 - Chase (1971年、Epic)
- 『ギリシャの神々 (エニア)』 - Ennea (1972年、Epic)
- 『復活』 - Pure Music (1974年、Epic)
- Watch Closely Now (1977年、Churchill)
- Listen To Her Sing (1996年、Seeley Music Productions)
- Live Forever (1998年、The Hallmark Chase Group)
- The Concert Series Volume 1 (2001年、The Hallmark Chase Group)
- The Concert Series Volume 2 (2001年、The Hallmark Chase Group)
- The Concert Series Volume 3 (2001年、The Hallmark Chase Group)
- Chase: Live 2010 (2010年、Metronome Media Group)
日本公演
[編集]1972年4月に来日し、日本武道館、愛知県体育館、大阪府立体育館でコンサートを開催した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ https://www.allmusic.com/artist/bill-chase-mn0000067638
- ^ Chase Billboard チェイス ビルボード 2021年3月3日閲覧
- ^ “www.grammy.com”. 2025年11月2日閲覧。