ダンロップフェニックストーナメント

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Golf pictogram.svgインターナショナルツアー
ダンロップフェニックストーナメント
Nuvola apps kolf.svg トーナメント情報
創設 1974年
開催地 宮崎県
開催コース フェニックスカントリークラブ
(高千穂、住吉コース)
基準打数 Par71(2019年)[1]
ヤーデージ 7,027yards(2019年)[1]
主催 住友ゴム工業株式会社
フェニックス・シーガイア・リゾート
株式会社毎日放送
ツアー 日本ゴルフツアー機構
競技方法 ストロークプレー
賞金総額 2億円(2019年)[1]
開催月 11月
Nuvola apps kolf.svg 最高記録
最少打数 263 アメリカ合衆国の旗 ブルックス・ケプカ(2016年)
通算スコア -21 アメリカ合衆国の旗 ブルックス・ケプカ(2016年)[2]
Nuvola apps kolf.svg 最新優勝者
日本の旗 市原弘大(2018年)[1]
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インターナショナルツアー ダンロップフェニックストーナメント(International Tour DUNLOP PHOENIX TOURNAMENT) は、日本ゴルフツアー機構 (JGTO) 公認による男子プロゴルフトーナメントの一つである。

概要[編集]

住友ゴム工業フェニックス・シーガイア・リゾート(旧・フェニックス国際観光)・毎日放送(MBS)主催で、宮崎市のシーガイア内にある「フェニックスカントリークラブ」にて毎年11月第3週から第4週に開催されている。もともとは、1972年に始まった「フェニックストーナメント」(翌年は全日空が冠協賛となり「全日空フェニックストーナメント」として開催)が前身だが[3]、国内ゴルフの活性化には国際化が不可欠と判断、1974年から現在の大会名称に改めるとともに、その年に活躍した海外の強豪を多数招待する方式に変更された。以来、現在に至るまで40回を超えた伝統を持つ、日本が唯一世界に誇れる国際的ゴルフトーナメントである。また、1983年から1997年までの優勝者には、翌年8月にアメリカ・オハイオ州アクロンのファイアストーン・カントリークラブで行われる、NECワールド・シリーズ・オブ・ゴルフの出場権が与えられていた。なお、現在では、優勝者に与えられるオフィシャルワールドランキング(OWGR)ポイントは32ポイントで、日本オープン選手権と並び、国内のトーナメントとしては最も高く、翌年の世界選手権シリーズ、フェデックス・インビテーショナルへの出場権が与えられている(2002年大会から)。

2019年現在、賞金総額2億円、優勝賞金4000万円[1]。優勝者には、ウィナーズ・ジャケット(2002年から)、クリスタル・チャンピオン・トロフィー(ウォーターフォード社製、1998年から)[4]、MBSトロフィー(毎日放送賞)、副賞としてドイツ製高級車メルセデス・ベンツ[5]が贈られる。

大会の歴史[編集]

記念すべき第1回大会は、1974年12月5日から8日までの4日間、同年の日本ツアー最終戦として開催された[6]。 帝王ジャック・ニクラスや、当時ルーキーだったベン・クレンショーなど、20人以上の海外招待選手が来日、世界レベルのプレーを披露した。その中で優勝したのは、前年の全米オープン選手権者で、この年のアメリカツアーで8勝を挙げ、自身初の賞金王に輝いたジョニー・ミラーだった。ミラーは出場選手の中で唯一人、4ラウンドとも60台で回り、通算14アンダー、274ストロークでフィニッシュ。台湾の呂良煥に7ストロークの大差をつける圧勝で、栄えある初代王者の座に就いた。歴代優勝者には、ミラーをはじめ、ヒューバート・グリーン (1975年) 、グラハム・マーシュ (1976年) 、セベ・バレステロス (1977年,1981年) 、トム・ワトソン (1980年,1997年) 、スコット・シンプソン (1984年) 、クレイグ・スタドラー (1987年) 、ラリー・マイズ (1989年,1990年) 、ラリー・ネルソン (1991年) 、アーニー・エルス (1993年) 、リー・ウエストウッド (1998年) 、トーマス・ビヨン(1999年,2003年) 、デビッド・デュバル (2001年) 、タイガー・ウッズ (2004年,2005年) 、パドレイグ・ハリントン (2006年) 、ルーク・ドナルド (2012年,2013年) 、ブルックス・ケプカ (2016年,2017年) といった錚錚たる面々が名を連ねている。また、優勝こそ成らなかったものの、トム・カイト、ベルンハルト・ランガー、フレッド・カプルス、グレグ・ノーマン、サンディ・ライル、ピーター・トムソン、リー・トレビノ、ウェイン・グラディ、ボブ・トウェイ、イアン・ウーズナム、マイク・リード、デービス・ラブ3世、ホセ・マリア・オラサバル、ジェフ・スルーマン、 ロナン・ラファティー、ニック・ファルド、スティーブ・ジョーンズ、マーク・ブルックス、ジョン・デーリー、コーリー・ペイビン、トム・レーマン、バリー・レーン、ビジェイ・シン、フィル・ミケルソン、マイケル・キャンベル、ジム・フューリック、ダーレン・クラーク、レティーフ・グーセン、セルヒオ・ガルシア、グレーム・マクドウェル、ジャスティン・ローズ、シャール・シュワーツェル、トレヴァー・イメルマン、スチュワート・シンク、アーロン・バデリー、バッバ・ワトソン、ゴンサロ・フェルナンデスカスタノ、ヘンリク・ステンソン、ブラント・スネデカー、ルイ・ウェストヘーゼン、マルティン・カイマー、キーガン・ブラッドリー、ウェブ・シンプソン、ジョーダン・スピース、ジミー・ウォーカー、ジャスティン・トーマスなど数々の世界のトッププレーヤーが参戦したトーナメントである(2012年まではアメリカPGAツアーは11月初旬にシーズンオフに入るため、他の日本国内大会に比べて有名選手を招待しやすい時期でもあった)。

日本人選手では、1985年に、中嶋常幸が完全優勝を果たし、12回目にして初めての日本人優勝者となった。その後、尾崎将司が大会史上唯一の3連覇(1994年から1996年}を達成しており、他には片山晋呉2000年)、横尾要2002年)、池田勇太2010年)、武藤俊憲2011年)、松山英樹2014年)、宮里優作2015年)、市原弘大2018年[1]が優勝している。

歴代優勝者[編集]

優勝者名 国名 備考
1974年 ジョニー・ミラー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1975年 ヒューバート・グリーン 完全優勝。
1976年 グラハム・マーシュ オーストラリアの旗 オーストラリア 完全優勝。
この年からメートル表示となる。(1985年大会まで)
1977年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 当時20歳7ヵ月で優勝。大会最年少記録。
1978年 アンディ・ビーン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 完全優勝。
1979年 ボビー・ワドキンス
1980年 トム・ワトソン 大会初の逆転優勝。
初日から首位を走ったアメリカ合衆国の旗マイク・リードとの3打差を、最終日のバックナインで5バーディーを奪い
ひっくり返す。
1981年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 4年ぶり2度目
日本の旗中嶋常幸との一騎打ちを制す
1982年 カルビン・ピート アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1983年 陳志明  台湾 10回記念大会。
賞金総額が1億円の大台に乗る。(優勝賞金1,800万円)
大会初のプレーオフ。アメリカ合衆国の旗 トム・ワトソンを下す。
1984年 スコット・シンプソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 最終日首位と7打差から追い上げプレーオフ進出、
ドイツの旗 ベルンハルト・ランガーを下す
1985年 中嶋常幸 日本の旗 日本 完全優勝。日本人選手として初制覇。
スペインの旗セベ・バレステロスとの4年越しの再戦を制す
1986年 ボビー・ワドキンス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 7年ぶり2度目。
日本の旗中嶋常幸、オーストラリアの旗 グラハム・マーシュとの「最終日最終組チャンピオン対決」を制す。
1987年 クレイグ・スタドラー
1988年 ケン・グリーン 15回記念大会。
初日から首位のアメリカ合衆国の旗フレッド・カプルス
最終日最終ホールで逆転
1989年 ラリー・マイズ 大会連覇(史上初)
1990年から賞金総額2億円、優勝賞金3,600万円となる。
(1997年まで)
1990年
1991年 ラリー・ネルソン 日本の旗 青木功アメリカ合衆国の旗 ジェイ・ドン・ブレーク
スペインの旗 セベ・バレステロスとのプレーオフを制す。
1992年 デビッド・フロスト  南アフリカ共和国 日本の旗 室田淳とのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝。
1993年 アーニー・エルス 20回記念大会。
初来日で日本ツアー初優勝。
通算17アンダー・271ストロークは
パー72設定での大会記録。
1994年 尾崎将司 日本の旗 日本 大会3連覇(史上初)
1994年大会は2日目が雨で中止、54ホールに短縮。
1995年大会からパー71に変更。
1995年
1996年
1997年 トム・ワトソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 17年ぶり2度目
1998年 リー・ウエストウッド イングランドの旗 イングランド 25回記念大会により賞金総額2億5,000万円、優勝賞金4,500万円で施行。
1999年 トーマス・ビヨン  デンマーク スペインの旗 セルヒオ・ガルシアとのプレーオフを制す。
この年から、賞金総額2億円、優勝賞金4,000万円となる。
2000年 片山晋呉 日本の旗 日本
2001年 デビッド・デュバル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 日本の旗 手嶋多一とのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝。
2002年 横尾要 日本の旗 日本
2003年 トーマス・ビヨン  デンマーク 30回記念大会。
初日から首位のスペインの旗セルヒオ・ガルシアを
最終日に逆転、4年ぶり2度目の優勝を飾る。
2004年 タイガー・ウッズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 大会連覇(史上3人目)
2004年大会からパー70に変更。
2004年大会は完全優勝。
通算16アンダー・264ストロークは
パー70設定での大会記録
2005年大会は日本の旗 横尾要とのプレーオフを制す。
2005年
2006年 パドレイグ・ハリントン アイルランドの旗 アイルランド アメリカ合衆国の旗 タイガー・ウッズとのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝。
2007年 イアン・ポールター イングランドの旗 イングランド 完全優勝。
2008年 プラヤド・マークセン タイ王国の旗 タイ 35回記念大会
距離延長に伴いパー71に変更。
2009年 エドアルド・モリナリ イタリアの旗 イタリア スウェーデンの旗 ロベルト・カールソンとのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝。
2010年 池田勇太 日本の旗 日本
2011年 武藤俊憲 3日目が雨によるコースコンディション不良のため中止。54ホールに短縮。
最終日に8アンダー、63をマーク、
前日首位のスペインの旗ゴンサロ・フェルナンデスカスタノとの4打差を逆転
2012年 ルーク・ドナルド イングランドの旗 イングランド 大会連覇(史上4人目)
2012年大会は完全優勝
2013年
2014年 松山英樹 日本の旗 日本 日本の旗 岩田寛とのプレーオフを制す。
2015年 宮里優作[7]
2016年 ブルックス・ケプカ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 大会連覇(史上5人目)[8]
2016年は初来日で初優勝。
通算21アンダー、263ストロークの
大会新記録を樹立。[2]
2017年は完全優勝。2位との9打差は大会新記録。
2017年
2018年 市原弘大英語版 日本の旗 日本[1] 45回記念大会。
最終日に8アンダー、63を記録、前日までの5打差を逆転して優勝。[9]

テレビ中継[編集]

1972年の前身大会の時代から毎日放送宮崎放送の共同制作によりテレビ中継を行っている[10][11]。1974年のダンロップフェニックスの第1回大会まではNET ( 現・テレビ朝日 ) 系列で放送されていたが、翌1975年の第2回大会からはTBS系列での放送に移行した。現在では、地上波放送はTBS系列24局(青森テレビテレビ山梨テレビ山口テレビ高知は除く)ネットで、3日目は生中継(延長対応はなし)[12]、最終日は録画中継されている。[13]またCS放送GAORAでは、各日のスタート前のドライビングレンジの様子に加え、初日と2日目の13番ホールから18番ホールまで、それに3日目と最終日の前半戦(1番ホールから9番ホールまで)が生中継されている。[14]2019年大会のコメンタリー陣を以下に記す。

  • 解説 : 青木功(1日目前半、2日目後半(いずれもGAORA)、及び地上波)、田島創志(ドライビングレンジ中継、1日目後半、2日目前半、3日目、最終日(いずれもGAORA))
  • ラウンド解説 : 加瀬秀樹
  • 実況 : 馬野雅行(1日目前半、2日目後半(いずれもGAORA)、及び地上波)、金山泉(GAORAの2日目前半、3日目・最終日前半)、井上雅雄(GAORAの1日目後半)、結城哲郎(ドライビングレンジ中継、GAORAの3日目・最終日の後半)
  • リポーター(GAORAの2日目及び地上波): 井上雅雄
  • インタビューアー(地上波): 金山泉

系列外の秋田テレビFNS系列)でも翌年正月に録画放送(遅れネット)される。テレビ中継では、住友ゴムからスポーツ事業を分割継承したダンロップスポーツが筆頭スポンサーになっている(2012年から。ただし、番組中盤は住友ゴム(ダンロップ/タイヤ事業)が60秒筆頭の形でスポンサーを継続している)。なお、2001年大会から2007年大会までは、BSデジタル放送のBS-i(現・BS-TBS)でも放送されていた。更にCSゴルフ専門チャンネルのゴルフネットワークでも、3日目と最終日の模様をTBS系列での放映から1週間以内に後日放映される。かつては関西ローカル(毎日放送)にて最終日の模様を日曜10:00 - 11:24で放送されたが、2007年以降は行っていない。

歴代実況アナウンサー[編集]

歴代解説者 (放送席)[編集]

この他に、ラウンド解説 (オンコース・コメンテーター) として、沼沢聖一が務めていた。また、岩田禎夫(2016年没)が、大会初期から長年に渡ってリポーター、インタビューアーを務めた他、2000年代に入ってからは、GAORA中継の解説、プレスサイドリポーターを務めた。なお、1990年代までは、結城哲郎、城野昭(以上毎日放送)の他、多田護(TBS)、田口豊太郎(CBCテレビ)、田中正訓川上政行(MRT)といったアナウンサーがホールリポーターを務めた。

関連大会[編集]

MRTダンロップフェニックスアマチュアトーナメント
宮崎放送の主催(MBSは共催)で行われるアマチュアゴルフトーナメントで、このトーナメントの前週にフェニックスカントリークラブで行われる前座大会。テレビ放送はGAORAで中継され、その素材を後日MRTで放送されるため、放送中は生放送であることを示すマークが無い。
フェニックスチャレンジ
フェニックスカントリークラブに隣接するトム・ワトソン・ゴルフコースを舞台にして行われるゴルフゲーム。元々は2001年まで行われた「ゴルフバトルロイヤル」で、日本の名ゴルフプレーヤーの青木功をホストに、世界のトッププレーヤーがサドンデス方式のゲームで先にホールアウトした選手が勝ち抜けし、最下位になった選手は敗者となり次々と脱落するルールで、最後まで残った選手が勝者となる。2002年からスタートの第1回はタイガー・ウッズをはじめ、デビッド・デュバル、セルヒオ・ガルシア、崔京周、片山晋呉が参戦し、6ホールでのポイントターニー方式でポイントの多い選手が勝者ちなるゲームで、タイガー・ウッズが優勝をおさめた。2003年からはプロとアマの8選手が1対1のマッチプレーによるトーナメント方式で戦い、1回戦2ホールの成績で勝敗を決定し、準決勝、決勝はサドンデス形式で行われる。1打1打勝負を左右する一瞬も気を抜けない真剣勝負である。
2009年は男女ペアの3チーム対抗戦(男子プロ=石川遼宮本勝昌ビジェイ・シン、女子プロ=古閑美保横峯さくら馬場ゆかり。組み合わせは抽選で決定)による5ホールズストロークプレーで争った。
解説を青木、司会進行を馬野が務める。なおこの試合の模様をキー局の毎日放送をはじめ、TBS、CBCテレビ北海道放送テレビユー福島RKB毎日放送、宮崎放送及び系列外の秋田テレビにて毎年12月中旬 - 下旬(または正月)ごろにテレビ放送される。
2006年から京セラドキュメントソリューションズ(当初「京セラミタ」)が協賛し、2013年まで務め、2014年より親会社の京セラが協賛する。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g “市原弘大が今季2勝目 ケプカ12位、松山は44位”. 日刊スポーツ. (2018年11月18日). https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/201811180000417.html 2018年11月18日閲覧。 
  2. ^ a b “ケプカが最多21アンダーでV 池田は1打及ばず”. 日刊スポーツ. (2016年11月20日). http://www.nikkansports.com/sports/golf/news/1740743.html 2016年11月20日閲覧。 
  3. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集) 『毎日放送の40年』 毎日放送、1991年、258頁。 
  4. ^ 1997年までは、優勝杯のみが贈呈されていた。
  5. ^ 過去、優勝副賞の車は日産1991年まで)やホンダ1992年)から贈呈されていた。メルセデス・ベンツが副賞になったのは1993年からである。なお、副賞の車が置かれているのは17番ホールのティーグラウンドである(但し2011年以降は優勝副賞とは別の車が置かれることもある)。
  6. ^ 12月開催はこの年のみで、翌1975年の第2回大会からは現在の11月開催となっている。
  7. ^ “宮里優作が逃げ切り今季初V 松山英樹は連日のイーグル締めで2位”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2015年11月22日). http://news.golfdigest.co.jp/jgto/5089/article/60557/5/ 2015年11月22日閲覧。 
  8. ^ “松山英樹が初ホールインワンも5位 ケプカ圧勝劇”. 日刊スポーツ. (2017年11月19日). https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/201711190000466.html 2017年11月19日閲覧。 
  9. ^ “市原が逆転Vで2勝目 松山44位、ケプカ3連覇ならず/国内男子”. サンケイスポーツ. (2018年11月18日). https://www.sanspo.com/golf/news/20181118/jgt18111815520006-n1.html 2018年11月18日閲覧。 
  10. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集) 『毎日放送の40年』 毎日放送、1991年、254頁。 
  11. ^ 宮崎放送開局三十周年記念事業委員会 編 『宮崎放送三十年史』 宮崎放送、1984年、142-143頁。 
  12. ^ 2016年は雷雲接近の為、2017年は前日夜の雨によるコース整備の遅れの為、競技終了まで中継できず、残りの分を公式ウェブサイト内で動画配信した。
  13. ^ 1996年から1999年までは最終日も生中継されていたが、延長対応が無かったため、表彰式まで中継されたのは1996年のみだった。1997年はトム・ワトソンの優勝決定の瞬間を中継できず、1998年はインタビューと表彰式が中継できなかった。更に、1999年は、プレーオフとなり、プレーオフ2ホール目のトーマス・ビヨーンのティーショット終了時点で時間切れとなり、その後臨時のスポーツニュースでビヨーンの優勝を放送することになった。これにより、翌2000年からは最終日を中継録画するスタイルに戻された。
  14. ^ なお、GAORAの中継の模様は、公式ウェブサイト内で同時に動画配信される。

外部リンク[編集]