ダンロップフェニックストーナメント

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Golf pictogram.svgインターナショナルツアー
ダンロップフェニックストーナメント
Nuvola apps kolf.svg トーナメント情報
創設 1974年
開催地 宮崎県
開催コース フェニックスカントリークラブ
基準打数 Par71(2017年)[1]
ヤーデージ 7027yards(2017年)[1]
主催 住友ゴム工業株式会社
フェニックス・シーガイア・リゾート
株式会社毎日放送
ツアー 日本ゴルフツアー機構
競技方法 ストロークプレー
賞金総額 2億円(2017年)[1]
開催月 11月
Nuvola apps kolf.svg 最高記録
通算スコア -21 アメリカ合衆国の旗 ブルックス・ケプカ(2016年)[2]
Nuvola apps kolf.svg 最新優勝者
アメリカ合衆国の旗 ブルックス・ケプカ(2017年)[1]
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インターナショナルツアー ダンロップフェニックストーナメント (International Tour DUNLOP PHOENIX TOURNAMENT) は、日本ゴルフツアー機構 (JGTO) 公認による男子プロゴルフトーナメントの一つである。

概要[編集]

住友ゴム工業フェニックス・シーガイア・リゾート(旧・フェニックス国際観光)・毎日放送(MBS)主催で、宮崎市のシーガイア内にある「フェニックスカントリークラブ」にて毎年11月第3週から第4週に開催されている。もともとは、1972年に始まった「フェニックストーナメント」(翌年は全日空が冠協賛となり「全日空フェニックストーナメント」として開催)が前身だが[3]、国内ゴルフの活性化には国際化が不可欠と判断、1974年から現在の大会名称に改めるとともに、その年に活躍した海外の強豪を多数招待する方式に変更された。以来、現在に至るまで40回を超えた伝統を持つ、日本が唯一世界に誇れる国際的ゴルフトーナメントである。

2017年現在、賞金総額2億円、優勝賞金4000万円[1]。優勝者には、ウィナーズ・ジャケット(2002年から)、クリスタル・チャンピオン・トロフィー(ウォーターフォード社製、1998年から)[4]、副賞としてドイツ製高級車メルセデス・ベンツ[5]が贈られる。

過去40年間には帝王ジャック・ニクラスをはじめ、ジョニー・ミラー(1974年優勝)、ヒューバート・グリーン(1975年優勝)、トム・ワトソン(1980年,1997年優勝)、セベ・バレステロス(1977年,1981年優勝)、クレイグ・スタドラー(1987年優勝)、ラリー・ネルソン(1991年優勝)、フレッド・カプルスアーニー・エルス(1993年優勝)、グレグ・ノーマンビジェイ・シンフィル・ミケルソンレティーフ・グーセンセルヒオ・ガルシアデビッド・デュバル(2001年優勝)、タイガー・ウッズ(2004年2005年優勝)、パドレイグ・ハリントン(2006年優勝)、ルーク・ドナルド(2012年2013年優勝)、ジョーダン・スピースなど数々の世界のトッププレーヤーが参戦したトーナメントである(2012年まではアメリカPGAツアーは11月初旬にシーズンオフに入るため、他の日本国内大会に比べて有名選手を招待しやすい時期でもあった)。

またこれまで、歴代優勝者には日本国外の数々の有名プレーヤーが名を連ねてきた。中でもセベ・バレステロスボビー・ワドキンス(1979年,1986年)、トム・ワトソンラリー・マイズ(1989年,1990年)、トーマス・ビヨン(1999年2003年)、タイガー・ウッズルーク・ドナルドブルックス・ケプカ(2016年2017年)が2度優勝を決めている。1993年の優勝者であるアーニー・エルスは、当時無名と言ってよい存在であったが、翌1994年全米オープンで優勝し、一躍世界的な選手となった。日本人選手では、1985年に、中嶋常幸が完全優勝を果たし、12回目にして初めての日本人優勝者となった。その後、尾崎将司が大会史上唯一の3連覇(1994年から1996年)を達成しており、他には片山晋呉(2000年)、横尾要(2002年)、池田勇太(2010年)、武藤俊憲(2011年)、松山英樹(2014年)、宮里優作(2015年)が優勝しているが、日本人の優勝は過去44回中10回、2000年以降の18回中でも6回と少ない。

歴代優勝者[編集]

優勝者名 国名 備考
1974年 ジョニー・ミラー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 この年のみNET(現・テレビ朝日)系列で放送。
1975年 ヒューバート・グリーン この年からTBS系列の放送に移行(腸捻転解消による)。
1976年 グラハム・マーシュ オーストラリアの旗 オーストラリア
1977年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 当時20歳7ヵ月で優勝。大会最年少記録。
1978年 アンディ・ビーン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1979年 ボビー・ワドキンス
1980年 トム・ワトソン
1981年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 4年ぶり2度目
1982年 カルビン・ピート アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1983年 陳志明  台湾 大会初のプレーオフ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国トム・ワトソンを下す
1984年 スコット・シンプソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 最終日首位と7打差からプレーオフ進出
ドイツの旗 ドイツベルンハルト・ランガーを下す
1985年 中嶋常幸 日本の旗 日本 日本人選手として初制覇
1986年 ボビー・ワドキンス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 7年ぶり2度目
中嶋常幸、グラハム・マーシュとの「最終日最終組チャンピオン対決」を制す
1987年 クレイグ・スタドラー
1988年 ケン・グリーン
1989年 ラリー・マイズ 大会連覇
1990年
1991年 ラリー・ネルソン
1992年 デビッド・フロスト  南アフリカ共和国
1993年 アーニー・エルス
1994年 尾崎将司 日本の旗 日本 大会3連覇
1994年大会は2日目が雨で中止、54ホールに短縮。
1995年大会からパー71に変更。
1995年
1996年
1997年 トム・ワトソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 17年ぶり2度目
1998年 リー・ウエストウッド イングランドの旗 イングランド 25回記念大会
賞金総額2億5,000万円、優勝賞金4,500万円
1999年 トーマス・ビヨン  デンマーク
2000年 片山晋呉 日本の旗 日本
2001年 デビッド・デュバル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
2002年 横尾要 日本の旗 日本
2003年 トーマス・ビヨン  デンマーク 4年ぶり2度目
2004年 タイガー・ウッズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 大会連覇
2004年大会からパー70に変更。
2005年
2006年 パドレイグ・ハリントン アイルランドの旗 アイルランド
2007年 イアン・ポールター イングランドの旗 イングランド
2008年 プラヤド・マークセン タイ王国の旗 タイ 距離延長に伴いパー71に変更。
2009年 エドアルド・モリナリ イタリアの旗 イタリア
2010年 池田勇太 日本の旗 日本
2011年 武藤俊憲 3日目が雨によるコースコンディション不良のため中止。54ホールに短縮。
2012年 ルーク・ドナルド イングランドの旗 イングランド 大会連覇
2013年
2014年 松山英樹 日本の旗 日本
2015年 宮里優作[6]
2016年 ブルックス・ケプカ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 大会連覇[1]
2016年は21アンダーの大会最多アンダーパーで初優勝[2]
2017年

テレビ中継[編集]

1972年の前身大会の時代から毎日放送宮崎放送の共同制作によりテレビ中継を行っている[7][8]。地上波放送はTBS系列24局(青森テレビテレビ山梨テレビ山口テレビ高知は除く)ネットで、3日目は生中継(延長対応はなし)、最終日は録画中継されている。またCS放送GAORAでは、初日と2日目の後半戦、それに3日目と最終日の1番ホールのみ生中継されている。系列外の秋田テレビFNS系列)でも翌年正月に録画放送(遅れネット)される。テレビ中継では、住友ゴムからスポーツ事業を分割継承したダンロップスポーツが筆頭スポンサーになっている(2012年から。ただし、番組中盤は住友ゴム(ダンロップ/タイヤ事業)が60秒筆頭の形でスポンサーを継続している)。なお1974年大会までは毎日放送がNET(現・テレビ朝日)系列のためNET系列で放送され[8]、2007年大会まではBSデジタル放送のBS-i(現・BS-TBS)でも放送されていた。更にCSゴルフ専門チャンネルのゴルフネットワークでも、3日目と最終日の模様をTBS系列での放映から1週間以内に後日放映される。かつては関西ローカル(毎日放送)にて最終日の模様を日曜10:00 - 11:24で放送されたが、2007年以降は行っていない。

歴代実況アナウンサー[編集]

歴代解説者[編集]

関連番組[編集]

フェニックスチャレンジ
フェニックスカントリークラブに隣接するトム・ワトソン・ゴルフコースを舞台にして行われるゴルフゲーム。元々は2001年まで行われた「ゴルフバトルロイヤル」で日本の名ゴルフプレーヤーの青木功を相手に国内のトッププレーヤー5名の選手がサドンデス方式のゲームで先にホールアウトした選手が勝ち抜けし、最下位になった選手は敗者となり次々と脱落するルールで最後まで残った選手が勝者となる。2002年からスタートの第1回はタイガー・ウッズをはじめ、デビッド・デュバル、セルヒオ・ガルシア、崔京周、片山晋呉が参戦し、6ホールでのポイントターニー方式でポイントの多い選手が勝者ちなるゲームで、タイガー・ウッズが優勝をおさめた。2003年からはプロとアマの8選手が1対1のマッチプレーによるトーナメント方式で戦い、1回戦2ホールの成績で勝敗を決定し、準決勝、決勝はサドンデス形式で行われる。1打1打勝負を左右する一瞬も気を抜けない真剣勝負である。
2009年は男女ペアの3チーム対抗戦(男子プロ=石川遼宮本勝昌ビジェイ・シン、女子プロ=古閑美保横峯さくら馬場ゆかり。組み合わせは抽選で決定)による5ホールズストロークプレーで争った。
解説を青木、司会進行を馬野が務める。なおこの試合の模様をキー局の毎日放送をはじめ、TBS、CBCテレビ北海道放送テレビユー福島RKB毎日放送、宮崎放送及び系列外の秋田テレビにて毎年12月中旬 - 下旬(または正月)ごろにテレビ放送される。
2006年から京セラドキュメントソリューションズ(当初「京セラミタ」)が協賛し、2013年まで務め、2014年より親会社の京セラが協賛する。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f “松山英樹が初ホールインワンも5位 ケプカ圧勝劇”. 日刊スポーツ. (2017年11月19日). https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/201711190000466.html 2017年11月19日閲覧。 
  2. ^ a b “ケプカが最多21アンダーでV 池田は1打及ばず”. 日刊スポーツ. (2016年11月20日). http://www.nikkansports.com/sports/golf/news/1740743.html 2016年11月20日閲覧。 
  3. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集) 『毎日放送の40年』 毎日放送、1991年、258頁。 
  4. ^ 1997年までは、優勝杯のみが贈呈されていた。
  5. ^ 過去、優勝副賞の車は日産1991年まで)やホンダ1992年)から贈呈されていた。メルセデス・ベンツが副賞になったのは1993年からである。なお、副賞の車が置かれているのは17番ホールのティーグラウンドである(但し2011年以降は優勝副賞とは別の車が置かれることもある)。
  6. ^ “宮里優作が逃げ切り今季初V 松山英樹は連日のイーグル締めで2位”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2015年11月22日). http://news.golfdigest.co.jp/jgto/5089/article/60557/5/ 2015年11月22日閲覧。 
  7. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集) 『毎日放送の40年』 毎日放送、1991年、254頁。 
  8. ^ a b 宮崎放送開局三十周年記念事業委員会 編 『宮崎放送三十年史』 宮崎放送、1984年、142-143頁。 

外部リンク[編集]