ダルリアダ王国
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| ダル・リアタ Dál Riata | |||||
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航空写真によるダル・リアタ(ダルリアダ王国)の範囲 | |||||
| 首都 | ダナッド | ||||
| 言語 | ゲール語 | ||||
| 宗教 | ケルト系キリスト教 | ||||
| 政府 | 君主国 | ||||
| 王 | |||||
| • | 498–501 | ファーガス・モー・マク・エルク | |||
| • | 841–850 | ケネス・マカルピン | |||
| 歴史・時代 | 中世前期 | ||||
| • | 創立 | 498年 | |||
| • | 解体 | 850年 | |||
| 現在 | スコットランド 北アイルランド | ||||
名称
[編集]王国のアイルランド側ではダル・リアタ(Dál Riata)、スコットランド側ではダルリアーダ(Dalriada)という名が用いられたが、これは単にアイルランド語の綴りであるかそうでないかという問題に過ぎない[1]。Dál Riataとは古アイルランド語に由来する。Dál とは部分を意味し、RiataまたはRiadaは人名であろうと推測されている[2]。
歴史
[編集]498年、ファーガス・モー・マク・エルクが2人の弟を連れてキンタイア半島に上陸。アッド川のほとりのダナッドにダルリアダ王朝を樹立し、自らファーガス2世として初代国王についた。6世紀終わりから7世紀初頭には、現在のアーガイル・アンド・ビュート、Lochaber、そして北アイルランドのアントリム県までもほぼ包含していた[3]。
ダルリアダは一般的に、ユアン・キャンベルのような一部の考古学者はこの説に近年反対しているものの、アイルランドのゲール人がスコットランドに築いた植民地とみなされてきた[4]。ダルリアダ王国は、先住民族のピクト人のアルバ王国と激しい抗争を繰り返した。しかし、5世紀ごろよりスコットランドに入ってきたキリスト教の影響もあって、スコット人とピクト人は徐々に融和していった。
アイダーン・マク・ガブラーン王(en、574年頃-609年頃)の時代にダルリアダ王国は最高潮に達した。
伝承によれば846年、ダルリアダ王ケネス1世がアルバ王国との戦いに圧勝。自らアルバ王を兼ねてダルリアダ・アルバ両王国を統一したとされる。しかしこの伝承はダルリアダ側に伝わるもので、歴史学者から征服説について疑義が投げかけられている。反対に、アルバ王国がダルリアダ王国を何度か征圧したという証拠も残っている。
いずれにせよダルリアダ王国とアルバ王国が統一されたのは確認されており、その統治者がケネス1世でアルバ王国と名乗られていたことも確かである。スコットランドの王朝はこれを始祖とし、現在も「スコットランド」という英語の国名はゲール語では「アルバ」(Alba)と表記されている。
脚注
[編集]- ↑ 『アイルズ 西の島の歴史』 p.252
- ↑ Bede, HE, Book I, Chapter 1.
- ↑ Oxford Companion to Scottish History p. 161 162, edited by Michael Lynch, Oxford University Press. ISBN 9780199234820.
- ↑ The case against the colonial view is given fully in Ewan Campbell, "Were the Scots Irish ?" in Antiquity, 75 (2001), pp. 285–292. It should be noted that Campbell's is an archaeologically based theory. Historians are divided on the question.
参考文献
[編集]- ノーマン・デイヴィス著 別宮貞徳 訳『アイルズ 西の島の歴史』(共同通信社、2006年)
- 上野格・森ありさ・勝田俊輔 編『世界歴史大系 アイルランド史』(山川出版社、2018年)
- ポール・ラングフォード 原著監修、鶴島博和 日本語版監修『オックスフォード ブリテン諸島の歴史』(慶應義塾大学出版会、2010年)
- ロザリンド・ミスチン 編 富田理恵・家入葉子 訳『スコットランド史 : その意義と可能性』(未來社、1998年)
- 中村隆文『物語 スコットランドの歴史 イギリスのなかにある「誇り高き国」』(中央公論新社、2022年)
