ダルダニア人

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ローマによる征服以前のバルカン半島とダルダニア(DARDANIA、上部赤字)
ダルダニア王国.

ダルダニア人(Δαρδανίωνες)またはダルダナイダルダノイ ([ˈdɑːrdən]; 古代ギリシア語: Δαρδάνιοι, Δάρδανοι; ラテン語: Dardani)は、古代ダルダニア(現在のコソボ付近)に住んでいたインド・ヨーロッパ語族に属する民族[1][2]イリュリア人トラキア人の領域の境界付近に勢力を持っていたが、どちらに属するかははっきりしていない[3][4][5]。ただ多くの著述家は、ダルダニア人やダルダニアをイリュリアの一部とは見なしていない[6]

語源[編集]

古代ギリシア語ではダルダネイス、ダルダニオイ、ダルダノイ(Dardaneis, Dardanioi, Dardanoi)、ラテン語ではダルダニ(Dardani)と呼ばれた。[7]

1854年、オーストリアの学者ヨハン・ゲオルグ・フォン・ハーンが、歴史言語学的観点から、ダルダノイやダルダニアといった言葉が古アルバニア語の「ナシ」を意味する単語(現代アルバニア語では定型dardha、不定形dardhë)が起源であるという説を提唱した[8][9]。実際、この地域では果物や動物の名のついた地名が無いわけではない。例えば、アルバニア語でヒツジを意味するdele/delmëは「ダルマツィア」との関連が、また狼を意味するujk, ulkはモンテネグロの「ウルツィニ」との関連が指摘されている。なお、インド・ヨーロッパ祖語におけるもっとも原初的な語源については、*g'hord-とするものと*dheregh-とするもので説が割れている[10]

ギリシア神話[編集]

ギリシア神話の中では、イリュリオスの息子の一人として登場するダルダノス (Δάρδανος)という人物が、ダルダノイ (Δάρδανοι)の祖、エポニムであるとされている[11]古代ローマの地理学者の中には、バルカン半島のダルダニア人と、トロイア戦争の物語に登場する「ダルダニア人」との関連を指摘している者もいる。つまり、トロイアからバルカン半島に入植したダルダニア人の一部が、退化して野蛮に堕ちた、というのである[12]。それでもローマ人たちは[13]彼らを古代ギリシア人の枠組みの中の人々であると見なしていたが、近代以降の研究ではこの考えは否定されている。

歴史[編集]

紀元前4世紀[編集]

初めてダルダニア人に関する言及が現れるのは紀元前4世紀、ダルダニア王バルデュリスが周辺の諸部族をまとめ上げた時である。彼のもとでダルダニア人は、マケドニア人モロッソス人をたびたび撃破した。紀元前392年から紀元前391年にかけては、マケドニアに傀儡王アルガイオス2世を立てて間接支配するまでに至った。紀元前385年から紀元前384年にかけては、シュラクサイ僭主ディオニュシオス1世と同盟してモロッソス人を破り、1万5000人の戦士を殺してその領土を一時支配した。紀元前372年には、マケドニア王アミュンタス3世に貢納を約束させた。紀元前360年、ふたたびモロッソス人を攻撃して蹂躙した。紀元前359年、バルデュリスはマケドニア王ペルディッカス3世に決定的勝利を収めた。ペルディッカス3世は自殺し、4000人のマケドニアの戦士が殺され、上マケドニアの諸都市がダルダニア人の手に落ちた[14][15]。その跡を継いで358年にマケドニアを掌握したピリッポス2世は、ダルダニア人との和平を再確認し、ダルダニア人の王女(おそらくバルデュリスの娘)アウダタと結婚した。一部の学者は、この結婚は一度ピリッポス2世がバルデュリスと戦って敗れた後に行われたものだと考えている[16]。ピリッポス2世はこの婚姻によって時を稼いで兵を集め、ついにエルゴン谷の戦いでダルダニア人を破り、7000人を殺して、その脅威を駆逐することに成功した[15][17]

紀元前334年、バルデュリスの息子クレイトスが他のイリュリア人諸族と手を結び、アレクサンドロス3世時代のマケドニアに侵攻した。当初は都市をいくつか制圧できたものの、最終的にはアレクサンドロス3世に敗れた[14]

紀元前3世紀-紀元前1世紀[編集]

紀元前279年までに、ダルダニアにケルト人が現れた(ケルト人の南東ヨーロッパ進出[18]。ダルダニア王は、ケルト人との戦いに挑むマケドニア王プトレマイオス・ケラウノスに2万人の援軍を送ろうとしたが、拒否された[19][20]

ダルダニア人は、長らくマケドニアにとっての脅威であり続けた紀元前230年、ロンガルス[21]率いるダルダニア人がパエオニア人からビラゾラを奪った[22]。229年には再びマケドニアに侵攻し、デメトリオス2世に勝利した[23]。この頃ロンガルスらダルダニア人は再び力を増していった。多くのイリュリア部族が、共和政ローマを敵に回したアルディアエア女王テウタを見捨ててロンガルスのもとに走り、テウタはエピルス遠征を断念した[24]。紀元前220/19年から、マケドニア王ピリッポス5世との間で紛争が起き、紀元前217年にビラオラを奪われた。紀元前209年、アエロプス(おそらくマケドニア王位請求者)率いるダルダニア人がリクニドスを占領して掠奪して2万人を捕虜とし、ピリッポス5世の軍がやってくる前に撤収した[25]

紀元前201年、ロンガルスの息子であるダルダニア王バトは、アルディアエア王プレウラトゥス3世、アタマニア王アミュナンデル、そしてローマ執政官スルピキウスとともに、ピリッポス5世を攻撃した[26]。このマケドニア戦争ののち、ピリッポス5世はダルダニア人に対抗するため、バステルナエ人を招いて同盟を結び、ダルダニアとの境界に最も近いポロクに住まわせた[27]。両者は共同でダルダニア人を攻めたが、その半ばでピリッポス5世は病死し、後を継いだ息子のペルセウスはマケドニア軍を撤退させた。一方クロンディクス率いるバステルナエ人3万は、そのままドナウ川を渡って侵攻を続け、ダルダニア人を破ったとみられる[28]。紀元前179年、バステルナエ人はダルダニア人を征服し、紀元前174年に彼らを故地から追い出した。これはダルダニア人が喫した敗北がいかに破滅的だったかを示している。紀元前170年、ダルダニア人はマケドニアにも敗れた[29]。紀元前2世紀半ばには、ケルト系のスコルディスキ族がダルダニア人を支配した。これ以降長きにわたり、ダルダニア人の名は歴史上に現れなくなる[30]

ローマ支配下[編集]

紀元前168年、マケドニアとイリュリアはローマの支配下に入った[31]

紀元前97年にダルダニア人は歴史上に再び姿を現すが、この時彼らはマケドニアのローマ軍に敗れている[32]。紀元前88年、ダルダニア人はスコルディスキ族やトラキア系のマエディ族とともに、ローマのマケドニア属州に侵攻した[33][出典無効]

ストラボンの『地理誌』によれば、その後、ダルダニア人はガラブリ族スナタエ族の二つに分裂した[34]

古代末期のバルカン半島北部とダルダニア。

紀元前後にダルダニアはローマに征服され、ダルダニア人は他の部族と同様にラテン語を受け入れ、急速にローマ化していった[35]

その後[編集]

当初、ダルダニアはモエシア属州の一部とされた。87年にドミティアヌス帝がモエシアを分割した際、上モエシア(モエシア・スペリオル)を構成する一地域としてダルダニアの名が復活した[36]。284年、ディオクレティアヌス帝がナイッソス(現ニシュ)を首都とする、独立したダルダニア属州を設置した[36]

イリュリア人の言語は、人名の記録が残るほかはほとんど消滅した[37]。また古代イリュリア人は、その歴史上でケルト化[38][39]ヘレニズム化[40]ローマ化[41][42]、そして後にはビザンツ化スラヴ化といった様々な外部からの影響を受け、変容し続けた。.

政治[編集]

ストラボンが言っているように、「ダルダニア王国」と呼ばれる勢力は様々な部族の連合体であったと考えられている[43]。最初にして最大のダルダニア王は、紀元前4世紀前半に活躍したバルデュリスである[44]。その子孫や、後代の王への継承経緯は不明である。アッリアノスの著述以降、クレイトスをバルデュリスの息子とするのが定説である[45]。歴史家のニコラス・ハモンドは、紀元前3世紀初頭のダルダニア王バルデュリス2世がバルデュリスの息子であると唱えている[46]一方で、ジョン・ウィルクスは従来の説を支持している[47]。後にダルダニア人を率いたロンガルスとバトの親子は、ローマ人とマケドニア人の戦争にたびたび加わった[3]。彼らに関する歴史的記録では、一貫してダルダニア人と他のイリュリア人は区別されてきた[48]

ダルダニア人の支配していた領域はギリシア語でダルダニケ (Δαρδανική)と呼ばれた[49]。このようにその領域を指し示す独自の語が存在する、というのは、Αὐταριατῶν χώρα、(アウタリアタエ族の土地)というような他の部族の土地を指すときの不特定的な呼称とは対照的である。 なお、ローマ人に征服される以前のダルダニアという土地に関する記録はほとんど残っていない[50]

文化[編集]

古代ギリシアやローマの記録では、ダルダニア人は「極めて野蛮」な部族と見ていた[51][要ページ番号][52]アイリアノスらによれば、彼らは生涯にたった3度、すなわち生まれた時、結婚するとき、死ぬときにしか入浴しなかった[53]ストラボンは、ダルダニア人が野性的[54]で、糞の山の下の汚い洞窟に住んでいた、と記述している[55]。ただ、こうした見解は入浴を経済的ステータスと考えていた[52]ギリシア人による偏見ともとれる。またストラボンは、彼らが笛や弦楽器を持っていたことから、彼らは音楽に興味があったということを記録している[55]

ローマに征服されたダルダニア人奴隷や解放奴隷は、その名から分かるように、古代バルカン諸語[56] の「中央ダルマティア型」に属する言語を話していたとされる[57]

原語[編集]

クロアチアの言語学者ラードスラウ・カティチチらは、固有名詞学の観点からダルダニア人の言語圏を「中央イリュリア言語圏」に分類した。中央イリュリアという語は旧ユーゴスラビアのほぼ全域を指していて、モンテネグロ南部からモラヴィア西部にまで至る領域のうち北西のリブルニアを除いた地域である。パンノニア平原までその領域が広がっていた可能性もある[58][59]

脚注[編集]

  1. ^ "Δαρδάνιοι, Δάρδανοι, Δαρδανίωνες" Dardanioi, Georg Autenrieth, "A Homeric Dictionary", at Perseus
  2. ^ Latin Dictionary
  3. ^ a b Wilkes 1992, p. 85
  4. ^ Papazoglu 1978, p. 131

    the Dardanians ... living in the frontiers of the Illyrian and the Thracian worlds retained their individuality and, alone among the peoples of that region, succeeded in maintaining themselves as an ethnic unity even when they were militarily and politically subjected by the Roman arms [...] and when, towards the end of the ancient world, the Balkans were involved in far-reaching ethnic perturbations, the Dardanians, of all the Central Balkan tribes, played the greatest part in the genesis of the new peoples who took the place of the old

  5. ^ Waldman, Carl; Mason, Catherine (2006). Encyclopedia of European Peoples. Infobase Publishing. p. 205. ISBN 1438129181. https://books.google.com/books?id=kfv6HKXErqAC. "According to ancient sources, the Dardani - variously grouped but probably Illyrians - lived west of present-day Belgrade in present-day Serbia and Montenegro in the third century B.C.E, their homeland in the ancient region of Thrace (and possibly there since the eight century B.C.E)." 
  6. ^ Papazoglu 1978, p. 217, Papazoglu 1969
  7. ^ Papazoglu 1969, p. 201.
  8. ^ Albanian Etymological Dictionary, V.Orel, Koninklijke Brill ,Leiden Boston Köln 1998, p.56
  9. ^ Wilkes, John (1992). The Illyrians. Wiley. pp. 244. ISBN 9780631146711. https://books.google.com.au/books?id=l8q0QgAACAAJ&dq=Wilkes%20the%20illyrians&source=gbs_book_other_versions.  "Names of individuals peoples may have been formed in a similar fashion, Taulantii from ‘swallow’ (cf. the Albanian tallandushe) or Erchelei the ‘eel-men’ and Chelidoni the ‘snail-men’. The name of the Delmatae appears connected with the Albanian word for ‘sheep’ delmë) and the Dardanians with for ‘pear’ (dardhë)."
  10. ^ Elsie, Robert (1998): "Dendronymica Albanica: A survey of Albanian tree and shrub names". Zeitschrift für Balkanologie 34: 163-200 online paper
  11. ^ Appian, The Foreign Wars, III, 1.2
  12. ^ Wilkes 1992, p. 220

    Leaving aside Strabo's comment on the dirty habits of the Dardanians, there is little on which to judge the general health of the Illyrian population.

  13. ^ Greeks and Barbarians (Edinburgh Readings on the Ancient World) by T. Harrison, 2001, ISBN 0-415-93959-3, p. 140
  14. ^ a b Lewis, D. M.; Boardman, John (1994). The Cambridge Ancient History. Cambridge University Press. pp. 428–429. ISBN 978-0-521-23348-4. https://books.google.com/books?id=vx251bK988gC. 
  15. ^ a b James R. Ashley (1 January 2004). The Macedonian Empire: The Era of Warfare Under Philip II and Alexander the Great, 359-323 B.C.. McFarland. pp. 111–112. ISBN 978-0-7864-1918-0. https://books.google.com/books?id=nTmXOFX-wioC. 
  16. ^ Elizabeth Donnelly Carney (2000). Women and Monarchy in Macedonia. University of Oklahoma Press. p. 274. ISBN 978-0-8061-3212-9. https://books.google.com/books?id=ZbI2hZBy_EkC. 
  17. ^ N. G. L. Hammond (1 August 1998). The Genius of Alexander the Great. University of North Carolina Press. p. 11. ISBN 978-0-8078-4744-2. https://books.google.com/books?id=cyzFEG-JjLcC. 
  18. ^ Mócsy 2014, p. 9.
  19. ^ Robert Malcolm Errington (1990). A History of Macedonia. University of California Press. p. 160. ISBN 978-0-520-06319-8. https://books.google.com/books?id=PYgkqP_s1PQC. 
  20. ^ Hammond 1988, p. 253
  21. ^ Hammond 1988, p. 338
  22. ^ A history of Macedonia Volume 5 of Hellenistic culture and society, Author: Robert Malcolm Errington, University of California Press, 1990 ISBN 0-520-06319-8, ISBN 978-0-520-06319-8, p. 185
  23. ^ A history of Macedonia Volume 5 of Hellenistic culture and society, Robert Malcolm Errington, University of California Press, 1990, ISBN 0-520-06319-8, ISBN 978-0-520-06319-8 p. 174
  24. ^ Hammond 1988, p. 335
  25. ^ Hammond 1988, p. 404
  26. ^ Hammond 1988, p. 420
  27. ^ Hammond 1988, p. 470
  28. ^ Hammond 1988, p. 491
  29. ^ Mócsy 2014, p. 10.
  30. ^ Mócsy 2014, p. 12.
  31. ^ Papazoglu 1978, p. 173.
  32. ^ Mócsy 2014, p. 15.
  33. ^ Wilkes 1992, p. 140

    ... Autariatae at the expense of the Triballi until, as Strabo remarks, they in their turn were overcome by the Celtic Scordisci in the early third century

  34. ^ Strabo: Books 1‑7, 15‑17 in English translation, ed. H. L. Jones (1924), at LacusCurtius
  35. ^ http://www.balkaninstitut.com/pdf/izdanja/B_XXXVII_2007.pdf
  36. ^ a b Wilkes 1992, p. 210

    Here the old name of Dardania appears as a new province formed out of Moesia, along with Moesia Prima, Dacia (not Trajan's old province but a... Though its line is far from certain there seems little doubt that most of the Dardanians were excluded from Illyricum and were to become a part of the province of Moesia)

  37. ^ Wilkes 1992, p. 67

    Though almost nothing of it survives, except for names, the Illyrian language has figured prominently

  38. ^ A dictionary of the Roman Empire Oxford paperback reference, ISBN 978-0-19-510233-8, 1995, page 202, "...contact with the peoples of the Illyrian kingdom and at the Celticized tribes of the Delmatae"
  39. ^ Pannonia and Upper Moesia. A History of the Middle Danube Provinces of the Roman Empire. A Mocsy, S Frere
  40. ^ Stanley M. Burstein, Walter Donlan, Jennifer Tolbert Roberts, and Sarah B. Pomeroy. A Brief History of Ancient Greece: Politics, Society, and Culture. Oxford University Press, p. 255.
  41. ^ Epirus Vetus: The Archaeology of a Late Antique Province (Duckworth Archaeology) by William Bowden, 2003, page 211: "... in the ninth century. Wilkes suggested that they represented a `Romanized population of Illyrian origin driven out by Slav settlements further north', ..."
  42. ^ The Oxford Dictionary of Byzantium (3-Volume Set) by Alexander P. Kazhdan, 1991, page 248, "...were well fortified. In the 6th and 7th C. the romanized Thraco-Illyrian population was forced to settle in the mountains; they reappear ..."
  43. ^ Papazoglu 1978, p. 445

    The assumption that the Dardanian kingdom was composed of a considerable number of tribes and tribal groups, finds confirmation in Strabo's statement about

  44. ^ Phillip Harding (21 February 1985). From the End of the Peloponnesian War to the Battle of Ipsus. Cambridge University Press. p. 93. ISBN 978-0-521-29949-7. https://books.google.com/books?id=ZfZhWwdtiH4C. "Grabos became the most powerful Illyrian king after the death of Bardylis in 358." 
  45. ^ Nicholas Geoffrey Lemprière Hammond (1993). Studies concerning Epirus and Macedonia before Alexander. Hakkert. p. 114. https://books.google.com/books?id=TWwiAQAAIAAJ. "Bardylis' son Cleitus" 
  46. ^ Nicholas Geoffrey Lemprière Hammond (1994). Collected studies. 3. Hakkert. p. 14. https://books.google.com/books?id=1WwiAQAAIAAJ. 
  47. ^ Wilkes 1996, p. 120
  48. ^ Papazoglu 1978, p. 216
  49. ^ Papazoglu 1978, p. 523
  50. ^ Papazoglu 1978, p. 187

    We have very little information about the territory of the Dardanians before its inclusion in the Roman state

  51. ^ Aelian; Diane Ostrom Johnson (June 1997). An English translation of Claudius Aelianus' Varia historia. E. Mellen Press. ISBN 978-0-7734-8672-0. https://books.google.com/books?id=SFAXAQAAIAAJ. 
  52. ^ a b Papazoglu 1978, p. 517

    There must have been some reason why it was said of the Dardanians, and not of any other people, that they only bathed three times in their lives ...like the Dardanians', which was applied not to dirty folk, as might be expected, but to the miserly (ἐπὶ τῶν φειδωλῶν)! For the Greeks, obviously, to bathe or not was only a question of expense and financial means.

  53. ^ Dictionary of Classical Antiquities (1898) "...whence it is said of the Dardanians, an Illyrian people, that they bathe only thrice in their lives—at birth, marriage, and after death."
  54. ^ James Oliver Thomson (1948). History of Ancient Geography. Biblo & Tannen Publishers. pp. 249–. ISBN 978-0-8196-0143-8. https://books.google.com/books?id=rQipbjusDyQC&pg=PA249. 
  55. ^ a b Strabo,7.5, "The Dardanians are so utterly wild that they dig caves beneath their dung-hills and live there, but still they care for music, always making use of musical instruments, both flutes and stringed instruments"
  56. ^ Papazoglu 1978, p. 224.
  57. ^ Papazoglu 1978, p. 245.
  58. ^ Katičić, Radoslav (1964b) "Die neuesten Forschungen über die einhemiche Sprachschist in den Illyrischen Provinzen" in Benac (1964a) 9-58 Katičić, Radoslav (1965b) "Zur frage der keltischen und panonischen Namengebieten im römischen Dalmatien" ANUBiH 3 GCBI 1, 53-76
  59. ^ Katičić, Radoslav. Ancient languages of the Balkans. The Hague - Paris (1976)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]