ダリオ・シルバ

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Flag of Spain.svg この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はシルバ第二姓(母方の)はペレイラです。
ダリオ・シルバ Football pictogram.svg
名前
本名 ダリオ・デブライ・シルバ・ペレイラ
Darío Debray Silva Pereira
愛称 Sa Pibinca (厄介者),
La cabra
ラテン文字 DARÍO SILVA
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
生年月日 1972年11月2日(43歳)
出身地 Flag of Treinta y Tres department.svg トレインタ・イ・トレス県トレインタ・イ・トレス
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992 ウルグアイの旗 デフェンソール 18 (4)
1993-1994 ウルグアイの旗 ペニャロール 44 (27)
1995-1998 イタリアの旗 カリアリ 89 (20)
1995 ウルグアイの旗 ペニャロール (loan) 12 (8)
1998-1999 スペインの旗 エスパニョール 15 (3)
1999-2003 スペインの旗 マラガ 100 (36)
2003-2005 スペインの旗 セビージャ 48 (9)
2005-2006 イングランドの旗 ポーツマス 13 (2)
通算 339 (109)
代表歴
1994-2005 ウルグアイの旗 ウルグアイ 49 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダリオ・シルバ (Darío Silva) こと、ダリオ・デブライ・シルバ・ペレイラ(Darío Debray Silva Pereira、1972年11月2日 - )は、ウルグアイトレインタ・イ・トレス出身のサッカー選手である。ポジションはフォワード (センターフォワード) 。

サッカーウルグアイ代表として通算49試合に出場したが、2006年に交通事故で右脚を切断する重傷を負い、プロサッカーの第一線からは離れている (2010年6月現在)。

経歴[編集]

クラブでのキャリア[編集]

ダリオ・シルバは1992年にデフェンソール・スポルティング・クラブに入団してサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。デフェンソールでは18試合に出場して4得点を挙げた。翌年CAペニャロールに移籍して1994年まで在籍した後、イタリアに渡りカリアリ・カルチョに入団した。カリアリでは89試合に出場して20得点を挙げた他、そのプレースタイルからサルディーニャ語で「厄介者」という意味の"Sa pibinca"とあだ名された。

1998年にスペインリーガ・エスパニョーラ所属のRCDエスパニョールに入団したが、翌1999年にマラガCFに移籍した。2003年にセビージャFCに移籍するまでの4シーズンで、ダリオ・シルバは100試合に出場して36得点を挙げた。

2シーズンをセビージャで過ごした後、ダリオ・シルバはあと1年残っていた契約を解除する事を決意した。当時の監督だったホアキン・カパロスの構想外となっていたためである。

2005年にイギリスへと渡ったダリオ・シルバは2年の契約を受諾し、当時FAプレミアリーグ所属であったポーツマスFCに加入した。しかし怪我のために活躍の機会に恵まれず、15試合出場3得点にとどまった。2006年2月14日、シルバはポーツマスとの契約を解除した[1]

交通事故[編集]

2006年9月23日、ウルグアイに帰国中であったダリオ・シルバはモンテビデオ市内でピックアップ・トラックを運転中、車両が街灯に激突して車外に放り出されるという交通事故に遭遇した[2]。この事故でシルバは頭蓋骨を骨折した他、右脚を開放骨折した。エルビオ・パパダルド・ペレイラが同乗していた[3]が、ふたりは軽傷で済んだ。医師5名からなるチームによって右足の膝から下を切断する決定がなされ、シルバは全身麻酔の上[2]、3時間半に及ぶ手術を受けた。

感染症罹患のおそれがあったものの[4][5]、シルバの術後の容態は安定しており数日で回復するだろうと、入院先であるラ・エスパニョーラ病院が発表した[6]。10月5日に退院し、モンテビデオ市内の自宅に戻った。その際松葉杖なしでも歩けるようになるよう、イタリアで義足を作る予定であると明かした。

シルバはリハビリテーションと義足を付けての歩行に約2年を費やし、義足で歩行や走行を遜色なく行えるようになった。その結果、セミ・プロフェッショナルのサッカークラブ、レ・バスティーユ (Les Bastilles) に加入し、31試合に出場して40得点を挙げるまでになった[要出典]。またシルバはマラソン大会やチャリティのための競走に定期的に出場するようになった。シルバは2年間サッカーから離れたことで、より精神的にタフになり、また2006年の事故以来、身体面での強靭さや力が増し、良好な状態にあると語った[7][8]

事故後[編集]

2006年10月6日、ダリオ・シルバがウルグアイでサッカー関連職のオファーを受けたとするニュースが流れたが、シルバ本人はプレーヤー兼コーチとして現場に復帰したいとの意向を表明した[9]。また同年11月、イギリスの新聞デイリー・メールが、シルバがボート競技で2012年開催予定のロンドンオリンピック出場を目指していると報じた[10][11]

2009年1月13日、シルバは3年間のブランクを経てピッチ上に立った。「フンダシオン・ニーニョス・コン・アラス」 ("Fundación Niños Con Alas"、「翼のある子供たち基金」の意) のための、ウルグアイイレヴンチームとアルゼンチンイレヴンチームによるチャリティマッチへの出場のためであった[12]。シルバはピッチ上でプレーしたのみならず、ペナルティーキックで得点を挙げた。

成績[編集]

出場記録[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Redknapp lets Silva leave Pompey (英語) BBC Sport 2006.2.13付記事
  2. ^ a b Silva loses leg after car accident” (英語). CNN (2006.9.25付記事). 2010.5.4 0:04 (UTC)閲覧。
  3. ^ [ Uruguayan footballer Dario Silva seriously hurt in car crash] (英語) soccerfairy.com 2006.9.26付記事
  4. ^ Silva hurt in Uruguay car crash (英語) BBC Sport 2006.9.25付記事
  5. ^ ダリオ・シルバ、順調に回復も右足切断の事実はまだ知らず livedoor news 2006.9.27付記事。本記事中でラ・エスパニョーラ病院のスタッフは、患部に砂などが入り込んでいた事を明かしている。
  6. ^ Former Uruguay striker Silva has leg amputated (英語) ロイター
  7. ^ Silva leaves hospital after crash (英語) BBC SPORT 2006.10.5付記事
  8. ^ interview with Silva UEFA公式サイト [リンク切れ]
  9. ^ Dario Silva Feeling Optimistic About Future (英語) Goal.com(2007年9月30日時点のアーカイブ
  10. ^ Football Gossip, BBC Sport, November 11, 2006.
  11. ^ Silva Won’t Let Chip post anymore pictures of himself
  12. ^ Dario Silva Makes Amazing Comeback (英語) Goal.com 2009.1.13付記事

外部リンク[編集]