ダハボン

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ダハボン
Dajabón
ドミニカ共和国復興戦争英語版記念碑。
ダハボンDajabónの位置(ドミニカ共和国内)
ダハボンDajabón
ダハボン
Dajabón
座標: 北緯19度34分0秒 西経71度42分36秒 / 北緯19.56667度 西経71.71000度 / 19.56667; -71.71000
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
ダハボン州
創立 1776年
自治体 1864年
命名 ダハボン川
面積[1] 253.41km2 (97.8mi2)
標高[2] 35m (115ft)
人口 (2012)[3] 25,983人
 - 人口密度 102.5人/km² (265.6人/mi²)
 都市部 18,725人
  カニョンゴ (Cañongo) を含む

ダハボン (Dajabón) は、ハイチとの国境に面している、ドミニカ共和国ダハボン州の州都。人口2.6万人ほどの市場町であり、イスパニョーラ島の中央山脈(コーディレラ・セントラル英語版)の北麓に位置している。

町の建設は1771年から1776年にかけて行なわれた。1776年トゥーサン・ルーヴェルチュールによって創建されたとする説もある[4]。しかし、ドミニカ独立戦争英語版中に町は放棄されて荒廃した。ドミニカ復興戦争英語版後の1865年から、再び住民が定住するようになった。

ダハボンは、ダハボン川に面しているが、この川は1690年にスペインとフランスの軍勢が戦闘を行なったことから、フランス語では「虐殺の川」を意味するマサクル川 (Rivière du Massacre) として知られている。この戦闘の時期には、フランス領植民地総督だったピエール=ポール・タラン・ド・クシも、今日のハイチ北部の町リモナーデフランス語版近郊で戦われた「サバナ・レアル・デ・ラ・リモナーダ (Sabana Real de la Limonada) の戦い」で戦死している[5]

ダハボンは、ダハボン川に架かる橋によって、ハイチ側の、より大きな町クアナミンテ英語版と結ばれている。火曜日と金曜日には、ハイチ側の住民が一時的に国境を越えて橋を渡り、ダハボンで商品を販売する市が立つ[6]。販売される品物の大部分は、衣類、靴、乾物類、什器類などである。ハイチ人たちは国境から100ヤード以上離れることは許されていないが[6]、市の立つ日には、町の西外れの数エーカーの範囲が、混雑した市場となる。3000人ほどの売り手に対し、3万人ほどの買物客が訪れるともいう[7]。ハイチ人たちだけでなく、ドミニカ人もこの市場に出て、地元産の野菜などの食物を売る。

地名の由来[編集]

ダハボンという地名の由来については諸説があり、ひとつの説は、川で「ダハオ (Dajao)」という魚が豊富にとれたため、「良い」を意味するフランス語の「bon」が付けられて地名となったとするものであるが、ほかにも、先住民のタイノ族がこの地域一帯を「ダハボーン (Dahaboon)」と称していたとする説などがある[8]

脚注[編集]

  1. ^ Superficies a nivel de municipios, Oficina Nacional de Estadistica
  2. ^ De la Fuente, Santiago (1976) (Spanish). Geografía Dominicana. Santo Domingo, Dominican Republic: Editora Colegial Quisqueyana. 
  3. ^ Censo 2012 de Población y Vivienda, Oficina Nacional de Estadistica
  4. ^ Franklin Dominguez (2008年2月15日). “Dajabón y Juana Méndez, Ciudades Gemelas”. El Masacre. 2015年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月4日閲覧。 “¡Ahora Bien! Nuestra investigación ha llegado hasta la puerta del Padre de la Historia Haitiana, el Dr. Jean Price Mars, quien dice que “Dajabón fue fundada en el año 1776, por el general Tounssaint Lourverture, perteneciendo al Cantón de Fort Liberted, se recuerda que anteriormente muchas familias tenían sus documentos en el archivo de Cabo Haitiano, Conocimos el caso de Patriota Santiago Rodríguez Masagó, el cual se encontró su acta nacimiento, declarada en Cabo Haitiano. Como nacido en Dajabón, un 10 de mayo de 1810.”
  5. ^ Gobernadores de la Isla de Santo Domingo (see page 375 for information on the battle of the Sabana Real de la Limonada in 1690)
  6. ^ a b DAJABÓN MARKET - The markets: commercial exodus”. Other Markets. 2015年12月29日閲覧。 “Today, thousands of people cross from Haiti on Tuesdays and Fridays to buy and sell products in so-called ‘international fairs’ in Dominican border towns. … On market days Haitian vendors and buyers can cross the border without producing a passport or visa. However, they are restricted to stay within 100 yards of the border.”
  7. ^ Auf dem Weg zum Markt in Dajabon Zeit online
  8. ^ de Anglería, Pedro Mártir (1989). Décadas del Nuevo Mundo (vol. 1). Santo Domingo: Sociedad Dominicana de Bibliófilos, p. 356.

外部リンク[編集]

  • Dajabon, Encyclopædia Britannica