ダニロヴグラード
ダニロヴグラード ![]() Danilovgrad/Даниловград | |||
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位置 | |||
![]() モンテネグロにおけるダニロヴグラードの位置 | |||
座標 : 北緯42度33分4秒 東経19度6分14秒 / 北緯42.55111度 東経19.10389度 | |||
行政 | |||
国 | ![]() | ||
基礎自治体 | ダニロヴグラード | ||
市長 | Branislav Đuranović (DPS) | ||
人口 | |||
人口 | (2003年現在) | ||
基礎自治体域 | 16,523人 | ||
人口密度 | 33人/km2 | ||
市街地 | 5,208人 | ||
その他 | |||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
市外局番 | +382 20 | ||
ナンバープレート | DG | ||
公式ウェブサイト : danilovgrad.me |
ダニロヴグラード(モンテネグロ語・セルビア語: Danilovgrad/Даниловград)はモンテネグロ中部の町および基礎自治体である。2003年現在の人口は市街で5,208人、基礎自治体全体では16,253人であった。ダニロヴグラードは、モンテネグロの2大都市であるポドゴリツァとニクシッチを結ぶ幹線道路沿いにあり、ゼタ川の肥沃な谷間に位置する。地元の名家にちなみ、ビイェロパヴリッチ(Bjelopavlići)平原と呼ばれることもある。
歴史[編集]
ダニロヴグラードには9世紀から10世紀頃のペタール・ゴイニコビッチ期 (en) の要塞が残されている。9世紀、ヴラスティミロヴィッチ朝 (en) のムティミル公 (en) により宮殿が建てられた。要塞はまた、12世紀のネマニッチ朝期の重要な中心地でセルビア正教会の創設者である聖サワとして知られるラストコの生誕地として信じられている。ダニロヴグラードはモンテネグロの首都にすることを目的とし設立している。1870年にモンテネグロ王国国王ニコラ1世によって計画都市として建設された。しかしながら、その後はニクシッチやポドゴリツァをそれぞれベルリン会議によりボスニアやアルバニアから取得したことによりその意義が低下した。ダニロヴグラードの名称はニコラ1世の前任者である伯父のモンテネグロ公ダニーロ1世 (en) にちなむ。
人口・民族構成[編集]
- 民族構成(2003年)
- モンテネグロ人 - 67.84%
- セルビア人 - 25.51%
みどころ[編集]
ダニロヴグラード自治体内にはオストログ修道院 (en) があり正教の著名な巡礼場所でもあり遠方からも信者が訪問する。修道院はビイェロパヴリッチ平原を見渡す切り立った崖の上にあり[1]、ダニロヴグラードからニクシッチ方面へ15km行った場所にある。他の名所としてはジュドレバオニク修道院とゼタ要塞(Glava Zete)などがある。
交通[編集]
ダニロヴグラードはポドゴリツァとニクシッチのほぼ中間に位置しており、幹線道路によって結ばれている。ポドゴリツァ空港からは30km離れた場所にある。
脚注[編集]
- ^ 『地球の歩き方 2017〜18 中欧』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、371頁。ISBN 978-4-478-06007-0。