ダニエレ・バニョーリ
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基本情報 | ||||
国籍 |
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生年月日 | 1953年10月25日 | |||
出身地 | マントヴァ | |||
没年月日 | 2024年12月27日 (71歳没) | |||
ラテン文字 | Daniele Bagnoli |
ダニエレ・バニョーリ(Daniele Bagnoli、1953年10月25日 - 2024年12月27日)は、イタリアのバレーボール指導者。マントヴァ出身。指導者のブルーノ・バニョーリは弟。
来歴
[編集]マントヴァのユースチーム、セリエA2のクラブチームで10年以上に渡る指導を経て、1993年、セリエA1のモデナの監督に就任。1年目の1994年にコッパ・イタリア優勝を飾ると、1995年、1997年にリーグ優勝とコッパ・イタリア優勝の2冠を達成、欧州チャンピオンズリーグでは2連覇を飾った。
1998年から2シーズン、2001年から6シーズン監督を務めたトレヴィーゾでは、これまでに培った経験と指導力を発揮し、トレヴィーゾをA1の強豪クラブへと育て上げ、6度のリーグ優勝、4度のコッパ・イタリア優勝、5度のスーパーカップ優勝、3度の欧州チャンピオンズリーグ優勝、CEVカップ優勝へと導いた。
2007年、ロシアスーパーリーグ・ディナモ・モスクワの監督に就任し、2008年のリーグ優勝、ロシア・カップ優勝、スーパーカップ優勝の3冠を達成。
2009年2月、ウラジミール・アレクノ辞任の後、しばらく不在であったロシア代表監督に正式に就任。同年ワールドリーグでチームに銅メダルをもたらした。
2024年12月27日に病気により死去。71歳没[1]。
指導歴
[編集]パッラヴォーロ・マントヴァ(1980-1982年)
パッラヴォーロ・マントヴァ(1982-1985年)
ポリスポルティーバ・ヴィルジーリオ(1986-1990年)
ガレリオ・ジオバレー(1992-1993年)
パッラヴォーロ・モデナ(1993-1997年)
ローマ・バレー(1997-1998年)
シスレー・トレヴィーゾ(1998-2000年)
パッラヴォーロ・モデナ(2000-2001年)
シスレー・トレヴィーゾ(2001-2007年)
ディナモ・モスクワ(2007-2009年)
バレーボールロシア男子代表(2009-2010年)
パッラヴォーロ・モデナ(2011-2012年)
フェネルバフチェSK(2012-2013年)
マタン・ヴァラミン(2013-2014年)
アル・ラヤーン(2014-2015年)
スファクシアン(2016年)
バレーボールドイツ男子代表(2016年)
トップ・バレー(2016-2017年)
ウラル・ウファ(2017-2018年)
カリポ(2019年)
脚注
[編集]- ^ “Addio a Daniele Bagnoli, leggendario condottiero della Sisley volley” (イタリア語). TrevisoToday (2024年12月27日). 2024年12月28日閲覧。