コンテンツにスキップ

タンクレード・ド・オートヴィル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タンクレード・ド・オートヴィル
Tancrède de Hauteville
タンクレード・ド・オートヴィルの石像

出生 990年頃
ノルマンディー、クタンス
死去 1041年頃
配偶者 ミュリエル
  フレデゼンド
子女 本文参照
家名 オートヴィル(アルタヴィッラ)家
テンプレートを表示

タンクレード・ド・オートヴィル(Tancrède de Hauteville, 990年頃 - 1041年頃)は、オートヴィル(アルタヴィッラ)家の始祖。イタリア語名ではタンクレーディ・ダルタヴィッラ(Tancredi d'Altavilla)となる。

生涯

[編集]

タンクレードの生涯についてはほとんど知られていない。コタンタン半島の街クタンスのノルマン系の一貴族であった彼は、おそらくオートヴィル=ラ=ギシャール(Hauteville-la-Guichard)の村を所有していた。タンクレードは2人の妻によって、12人もの息子を残し、その多くが南イタリアにおいて重要な諸侯となった。

1010年頃、ミュリエル(Murielle)との結婚では以下の子をもうけた(/の後はイタリア名)。

1025年にミュリエルが死ぬと、タンクレードはフレデゼンド(Frédésende)と2度目の結婚を行い、以下の子をもうけた。

  • ロベール・ギスカール/ロベルト・イル・グイスカルド(1015年 - 1085年) - プーリア伯、のちにプーリア公、カラブリア公、シチリア公。
  • モジェ/マルジェーロ(Mauger / Malgero, 1030年頃 - 1054/64年) - カピタナータ伯
  • ギヨーム/グリエルモ(Guillaume / Guglielmo, 1027年頃 - 1080年) - プリンチパート伯
  • アルフレッド/アルフレド(Alfred / Alfredo) - ノルマンディーに残留
  • ユベール/ウベルト(Hubert / Uberto) - ノルマンディーに残留
  • タンクレード/タンクレーディ(Tancrède / Tancredi) - ノルマンディーに残留
  • フレデゼンド/フレデセンダ(Frédésende / Fredesenda) - アヴェルサ伯・カプア公リッカルド1世と結婚[2]
  • フルメンティーノ(Frumentino)
  • ロジェ/ルッジェーロ(1031年 - 1101年) - シチリア伯、大伯(Gran Conte)と呼ばれた

残る幾人かの女子の名前は知られていない。

脚注

[編集]
  1. ↑ 山辺規子 『ノルマン騎士の地中海興亡史』 白水社、1996年、p.91
  2. ↑ J.J.Norwich, Die Wikinger im Mittelmeer, F.A.Brockhaus, 1968. p.312