タファリャ

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Tafalla

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Tafalla.jpg
Bandera de Navarra.svg ナバーラ州
Bandera de Navarra.svg ナバーラ県
面積 98.29 km²
標高 421m
人口 10,966 人 (2014年)
人口密度 111.57 人/km²
住民呼称 tafallés, sa
Tafallaの位置(スペイン内)
Tafalla
Tafalla
スペイン内のタファリャの位置
Tafallaの位置(ナバーラ州内)
Tafalla
Tafalla
ナバーラ県内のタファリャの位置

北緯42度31分44秒 西経1度40分25秒 / 北緯42.52889度 西経1.67361度 / 42.52889; -1.67361座標: 北緯42度31分44秒 西経1度40分25秒 / 北緯42.52889度 西経1.67361度 / 42.52889; -1.67361

タファリャスペイン語:Tafalla)は、スペインナバーラ州ムニシピオ(基礎自治体)。

地理[編集]

州都パンプローナから35km離れている。タファリャ市街には2つの重要なルートが通っている。一つはパンプローナとピレネー山脈とをつなぐ南北のルート、もう一つはサングエサエステーリャをつなぐ東西のルートである。

高速道や自由道が通じており、鉄道もある。

歴史[編集]

ローマ時代のタファリャがどの名で呼ばれていたか不明である。アラビア語での地名アル=タファイラ(Al-Tafaylla、耕作地)が現在の名の語源である。

タファリャの名が初めて歴史上に登場したのは10世紀、アリブ・イブン・サドの年代記において、コルドバカリフ、アブデラマン3世(es)が924年にパンプローナ王国へ遠征を行ったという記述においてである。1043年、アラブと同盟したアラゴン王ラミロ1世に対抗し、タファリャ住民がパンプローナ王ガルシア・サンチェス3世に加勢し勝利した後、貢献したタファリャ住民は王によって貴族に列せられた。サンチョ・ラミレスはタファリャに初の司法権を授け、1157年にナバラサンチョ6世が、1255年にテオバルド2世がこれを再確認した。サンチョ7世はタファリャ住民に対する自治権をさらに拡大した。カルロス3世は1418年と1423年に市場を開く権利を与え、コルテスをタファリャで開いた。ナバーラ内戦では、タファリャはカルロス3世の血統を支持するとし、侵略者からナバラの正統な王(ビアナ公カルロス)を守ろうとカスティーリャ=アラゴン連合軍と対峙した。

フェリペ4世はタファリャに都市の地位を与え、1636年にはコルテスを開いた。半島戦争においては、パンプローナに近い戦略上の要所として1808年にフランス軍に占領された。カルリスタ戦争でも国王軍とカルリスタ軍との間で侵攻・奪還を繰り返した。

経済[編集]

タファリャ住民のおよそ68%が製造業に従事する。農業に従事するのは人口の約6%だが、ウシを中心とした畜産業が行われている。

人口[編集]

タファリャの人口推移 1900-2014
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[1]、1996年 - [2]

脚注[編集]

外部リンク[編集]