ソマリ青年同盟

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Somali Youth League
Ururka Dhalinyarada Soomaaliyeed
عصبة الشبيبة الصومالية
設立者 ヤシン・ハジ・オスマン・シェルマルケ英語版
創立 1943年 (1943)
解散 1969年 (1969)[1]
本部所在地 モガディシュソマリア
政治的思想 ソマリア国粋主義
大ソマリア主義
公式カラー           , ,
党旗
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ソマリ青年同盟(ソマリせいねんどうめい、ソマリ語: Ururka Dhalinyarada Soomaaliyeedアラビア語: عصبة الشبيبة الصومالية‎、SYL)、ソマリ青年クラブは、ソマリア建国当時の政党。ソマリアが独立した1960年から、1969年に陸軍少将バーレがクーデターを起こすまで、与党だった。

歴史[編集]

今日のソマリアの南半分は、第二次世界大戦まで、イタリア領だった(イタリア領ソマリランド)。第二次世界大戦早々の1941年にイギリスが占領し、1950年までイギリスの支配下となった。一方、ソマリアの北半分は19世紀以降イギリス領だった。

イギリス占領時の1943年、ソマリ青年クラブが旧イタリア領ソマリランドの行政中心都市モガディシュに誕生した[2]。当時は13名が参加した。ソマリアは氏族の結束が強いが、ソマリ青年クラブは珍しく氏族を超えた組織であり、構成はダロッド氏族4名、バナディール人英語版5名、ハウィエ氏族(アブガール英語版支族)3名、イサック氏族1名だった。党首はダロッド氏族のヤシン・ハジ・オスマン・シェルマルケ英語版

初期の党方針は、「狂気の宗教指導者」とイギリスから呼ばれたソマリアの英雄サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサンの影響を多大に受けた。これは、党の基礎を作った人物アブドゥルカディル・サカワディンの影響でもあった[2]。ソマリ青年クラブは、高学歴の警察官や公務員を中心に勧誘が進められた。

1945年、ポツダム会談の結果、イタリア領ソマリランドがイタリアに返還されないことが確定した[3]

1948年、アブドゥラー・イッサが党首となり、党名をソマリ青年同盟に変え、4部署に再編成された[2]。ソマリ青年同盟の活動基盤はソマリア北部だったが、活動範囲は イギリス領ソマリランド(と旧イタリア領ソマリランド)にとどまらず、今日のエチオピアオガデンケニア北東州など、ソマリ族居住地域全域にも及んだ。

ソマリ青年同盟の基本活動方針は、ソマリ族居住地域全域の統一(大ソマリア主義)だった。その他、初等教育の充実、ソマリ語の標準語化、ソマリ族居住地域の利益保護、イタリア支配復活阻止などが挙げられた。また、自部族贔屓も禁止された。

当時、ソマリ青年同盟以外の政党としては、イサック族を中心とするソマリ国民同盟(Somali National League、SNL)、ディル英語版氏族とダロッド氏族を中心とする統一ソマリ党(United Somali Party、USP)があった。

ソマリ青年同盟は活動範囲をソマリ族居住地域全域に広げた。エチオピアのジジガにも支部を作りエチオピアからの独立運動を起こしたため、エチオピア政府から結党禁止と国外退去を命じられている[4]

1949年11月、国際連合は、旧イタリア領ソマリランドをイタリアの信託統治とすることを決議、翌4月1日にイタリア信託統治領ソマリアが成立した。ただし、この信託統治は、ソマリアの10年以内の独立を支援するものとされた[5][6]

一方、イギリス領ソマリランドは依然としてイギリスの保護領だったが、1960年6月26日に独立した。その5日後の1960年7月1日[7]、イタリア信託統治領ソマリアもイギリスの斡旋[8][9][10]で独立し、両者が結びついてソマリア共和国となった。国を率いたのは、初代大統領となったアデン・アブドラ・ウスマンの他、議会議長のハジ・バシル・イスマイル・ユスフ英語版、初代首相のアブディラシッド・アリー・シェルマルケ、信託統治時代から行政に携わっていたアブドゥラヒ・イッサ英語版ムハンマド・ハジ・イブラヒム・エガルハジ・バシル・イスマイル・ユスフ英語版[11][12][13]など、いずれもソマリ青年同盟の党員だった。以後もクーデターが起こる1969年まで、ソマリア大統領、総理、議会議長の職をソマリ青年同盟が独占した。1961年7月20日、国民投票により、前年に起案された憲法が承認された[14]

1964年、ソマリ青年同盟の党首がムハンマド・ハジ・イブラヒム・エガルに交代。同年3月30日に独立後初の国政選挙が行われ、ソマリ青年同盟は123議席の内の69を取って絶対多数となった。残りの議席は11の政党で分けられた。

1967年、大統領がソマリ青年同盟のシェルマルケに交代。5年後の1969年3月に行われた総選挙でもソマリ青年同盟は第1党となり、シェルマルケが引き続き大統領となった。

1969年10月15日にシェルマルケ大統領が暗殺され、陸軍少将のモハメド・シアド・バーレがクーデターを決行、ソマリアを制圧する。ソマリアは、バーレを議長とする最高革命評議会英語版 (SRC) の支配下となった[15][16]。バーレはクーデター前の政府要人を逮捕し、政党を禁止した[17]。さらには議会と最高裁判所を解散して憲法も停止した[18]。これにより、ソマリ青年同盟も事実上解散した。

要人[編集]

大統領[編集]

首相[編集]

議会議長[編集]

ソマリ青年の日[編集]

ソマリ青年同盟ができた1943年5月15日にちなんで、ソマリアでは毎年5月15日が「ソマリ青年の日」とされ、祝賀会が行われる。2014年には政府代表を始めとした人が集まり、71回目の祝賀会が行われた[19]

脚注[編集]

  1. ^ Metz, Helen C. (ed.) (1992), “Politics”, Somalia: A Country Study, Washington, D.C.: Library of Congress, http://countrystudies.us/somalia/72.htm 2013年4月1日閲覧。 
  2. ^ a b c I. M. Lewis, A pastoral democracy: a study of pastoralism and politics among the Northern Somali of the Horn of Africa, (LIT Verlag Münster: 1999), p.304.
  3. ^ Federal Research Division, Somalia: A Country Study, (Kessinger Publishing, LLC: 2004), p.38
  4. ^ Bernhard Lindahl (2005年). “Local history in Ethiopia(j)”. 2016年10月10日閲覧。
  5. ^ Aristide R. Zolberg et al., Escape from Violence: Conflict and the Refugee Crisis in the Developing World, (Oxford University Press: 1992), p.106
  6. ^ Henry Louis Gates, Africana: The Encyclopedia of the African and African American Experience, (Oxford University Press: 1999), p.1749
  7. ^ Encyclopaedia Britannica, The New Encyclopaedia Britannica, (Encyclopaedia Britannica: 2002), p.835
  8. ^ The beginning of the Somali nation after independence Archived 2008年4月23日, at the Wayback Machine.
  9. ^ The dawn of the Somali nation-state in 1960
  10. ^ The making of a Somalia state
  11. ^ Aden Abdullah Osman the founding father
  12. ^ The founding father of Somalia
  13. ^ A tribute to the Somalia founding father, its president in 1960s[リンク切れ]
  14. ^ Greystone Press Staff, The Illustrated Library of The World and Its Peoples: Africa, North and East, (Greystone Press: 1967), p.338
  15. ^ J. D. Fage, Roland Anthony Oliver, The Cambridge history of Africa, Volume 8, (Cambridge University Press: 1985), p.478.
  16. ^ The Encyclopedia Americana: complete in thirty volumes. Skin to Sumac, Volume 25, (Grolier: 1995), p.214.
  17. ^ Metz, Helen C. (ed.) (1992), “Coup d'Etat”, Somalia: A Country Study, Washington, D.C.: Library of Congress, http://countrystudies.us/somalia/20.htm 2009年10月21日閲覧。 .
  18. ^ Peter John de la Fosse Wiles, The New Communist Third World: an essay in political economy, (Taylor & Francis: 1982), p.279.
  19. ^ “SOMALIA: Somali Youth day celebrated in Garowe”. Raxanreeb. (2014年5月15日). http://www.raxanreeb.com/2014/05/somalia-somali-youth-day-celebrated-in-garowe/ 2014年5月16日閲覧。 

参考文献[編集]

  • パブリックドメイン この記事にはパブリックドメインである、米国議会図書館各国研究が作成した次の文書本文を含む。Library of Congress Country Studies.

外部リンク[編集]