ソフィア・ルソワ

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ソフィア・ルソワ
Sofiâ Fedorìvna Rusova
ウクライナの教育者ソフィア・ルソワ
ソフィア・ルソワ (1874年)
Sofija Rusowa
人物情報
全名 ソフィア・フョードロヴナ・ルソワ
Sofiâ Fedorìvna Rusova
別名 Sofiâ Rusova
生誕 Sofia Lindfors
ロシア帝国チェルニーヒウ州
チェルニゴフ県ゴロドニア郡
オレシニア村(Oleshnia)
死没 (1940-02-05) 1940年2月5日(83歳没)
ベーメン・メーレン保護領プラハ
居住 ポーランドの旗プラハ
市民権 ロシアの旗
ウクライナの旗
国籍 ウクライナの旗ウクライナ
出身校 フンドクリーブ女子中等学校
配偶者 オレクサンドル・ルソフ
学問
活動地域 ポーランド、プラハ
研究分野 就学前教育高等教育国民教育、国語教育、女性の権利擁護者
研究機関 1919年– キエフ国立大学
1924年–1939年 ウクライナ高等師範学校 (uk)
特筆すべき概念 ウクライナにおける就学前教育
主な業績 国際女性会議 (1923)、全世界のウクライナ女性団体の代表組織名誉会長(初代)
主要な作品 ウクライナ女性評議会
影響を受けた人物 ミカイロ・ドラホマノフ (Mykhailo Drahomanov)
フェディル・ヴォフ (Fedir Vovk)
公式サイト
ソフィア・ルソワ財団(ウクライナ語)
脚注
国民的詩人タラス・シェフチェンコの詩集『コブザール』完全版を初めてウクライナ語で公刊。
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ソフィア・ルソワ (Sofia Rusova 旧姓 Lindfors、1856年2月18日 - 1940年2月5日) はウクライナの教育者で作家、女性の権利擁護者で政治活動家である[1][注釈 1]

幼少期[編集]

ソフィア・リンドフォル=ルソワはウクライナの当時ロシア帝国領だった旧チェルニゴフ県リプキー(Ripky)地区の寒村オレシニア (Oleshnya) 生まれ(現チェルニーヒウ州リプキー・ラヨン)[1]。父フェディル・リンドフォルはスウェーデン系で母アナ・ジェルヴェはフランス系、家族の日常会話はロシア語とフランス語で交わされていた。幼いときに姉ナタリアが10歳、兄ボロディミールが6歳で亡くなり、悲嘆にくれた母も肺炎で落命、姉のマリアは10代半ばで母親代わりをつとめることになった。一家でキーウに出た10歳のソフィアは、やがてキーウ初の女子ギムナジウムであるフンドクリーブ女子中等学校を卒業する[2]

教育者として[編集]

ルソワは教育者でありウクライナの国民教育に人生を捧げたことで著名であるが[1]、没後60年を経て功績が再認識され、70年を経て、ようやくその教育者としての功績や遺徳をしのぶ品々や日記が一般のウクライナの人々に公開された[3]

父は1871年に他界し、姉マリア27歳、兄31歳オレキサンドルとソフィアが遺された。姉妹は小さなアパートを借りるとふたりだけの生活が始まる。ふたりとも父を亡くした寂しさから胸に大きな穴が開いたように感じ、憧れの父をならって、何か公の役に立つ仕事がしたいと願うようになる。相談の結果、当時はキーウに託児所や幼稚園がまったくなかったため、いくつかの選択肢から幼稚園を開園することに決める。手本になるものもなく、ゼロからのスタートを切った姉妹は就学前教育のさまざまな手法や方法論を勉強して、幼稚園経営を実現に移す。こうして1872年、ソフィア (当時は未婚) とマリアのリンドフォル姉妹の手でキーウ市内初の幼稚園が開設され、姉が経営に当たる[2]

政治的活動[編集]

国民的詩人タラス・シェフチェンコの詩集『コブザール』 (en)[注釈 2]だが、ウクライナでは検閲を受け、事実上、文章の一部しか公刊されてこなかった。その背景には、次のような状況がある。

ウクライナの政治と軍事は1800年代にロシア帝国に自治権を掌握されて属国扱いを受け、やがて政治的にも属州に格下げされてウクライナ人は「小ロシア人」と呼ばれてしまう。ロシア帝国は1800年代後半には反ウクライナ感情を激しくあおり[5]、皇帝アレクサンドル2世の統治下、秘密裏にエムス法を発布し、ウクライナ語の印刷物の発行が禁止される。

だが、ウクライナの知識人はこれを完全版2巻で出版しようと決めていた。名誉ある任務はソフィア・ルソワと夫のオレキサンドル・ルソフに託され、ふたりはプラハに滞在し出版の準備を整える。シェフチェンコの手稿は、著名な人類学者考古学者でもあるフェディル・ヴォフ (Fedir Vovk)がウクライナ人の有志から集めた募金で原著者の兄弟から購入し、夫妻のもとに持ち込んだ。こうして発覚すると生命を落としかねない危険な作業を果たすと、夫妻はコブザール完全版をウクライナに持ち帰ることに成功する[6]

ウクライナの旅券 (1922年)
ソフィア・ルソワの旅券 (1922年・西ウクライナ人民共和国)

市民運動と政治運動に集中するにつれ、ソフィア・ルソワと夫は一度となく司直の追及を逃れサンクトペテルブルクへ脱出する。著述が「革命的な思想」であるという理由で、妻のソフィアは何度か逮捕されて獄中で過ごした。

1917年、ソフィア・ルソワは設立されたばかりのウクライナ中央議会に選出されると、教育省で就学前教育と成人教育に従事する。第一次世界大戦勃発時にはフレーベル教育研究所 (キーウ) で教育学教授を務め、戦後はイヴァン・オヒエンコ記念カームヤネツィ=ポジーリシクィイ国民大学で教育学を教えた。

ウクライナ女性の代表として、ルソワは複数の国際女性会議に出席[1]、またウクライナ女性評議会の創設メンバーであり初代名誉会長である[2]

世界女性会議に出席するウクライナ代表団。右から2人目がS・ルソワ(1923年ローマ)
2005年創設のソフィア・ルソワ記念章(ウクライナ教育科学省)[注釈 3]

ルソワは生涯、託児所と高等教育、人権と農民の政治運動を支持した。
1922年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国を出国するとプラハに逃れ、1924年から1939年までウクライナ高等師範学校(ウクライナ語)で教壇に立つ。

1940年2月5日プラハで死去、84歳。埋葬地はオルシャンスケー墓地[7]

功績と顕彰[編集]

ソフィア・ルソワの生誕160年を迎えた2016年、ウクライナで額面2フリヴニャ記念貨幣が発行され[注釈 4]、出身のリプキーでは学校の敷地に記念碑を建立、オレシニアの母校はソフィア・ルソワ小学校と改称。また2013年「世界観光の日」(9月27日)には、かねてからチェルニーヒウ州F・F・タルノウスカ顕彰館の専門家の監修のもと準備を進めてきた記念室が、ソフィア・ルソワ記念財団が入居する村内の建物で披露される[3]。家族や教育活動の資料、あるいは子孫から寄託された遺愛の品を展示し、ルソワの功績にちなんだ学術ワークショップを開催する。

主な著作[編集]

  • 革命論 Hervieu, Paul; Sofiâ Fedorìvna Rusova. 1906. V razgar revolûcii. サンクトペテルブルク: S. M. Muller.(ウクライナ語)OCLC 836730860 
  • 女性論 Sofiâ Fedorìvna Rusova. Našì viznačnì žìnki : lìteraturnì harakteristiki - silûeti : z nagodi ûvìlejnogo Ukraïns'kogo Žìnočogo Kongresu 1884-1934. Kolomiâ : "Žìnoča Dolâ", 1934.(ウクライナ語)OCLC 903327679 
  • 回顧録 Sofìâ Fedorìvna Rusova. Moï spomini. L'vìv : Vidavniča Kooperativa "Horticâ", 1937.(ウクライナ語)OCLC 840277125
  • Sofiâ Fedorìvna Rusova. Žittâ ukraïnśkogo ìdealìsta kìncâ XIX vìku Ol. Ol. Rusova.(S.l. : s.n., 1938)(ウクライナ語)OCLC 899921148
  • 教育学 Sofiâ Fedorìvna Rusova. Vibranì pedagogìčnì tvori. Kiïv : Osvìta, 1996.(ウクライナ語)OCLC 802101543

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 筆名はソフィア・フェドリブナ・ルソワ (Sofíya Fédorivna Rúsova) も使用。
  2. ^ 「ウクライナの物語を語る上で、その歴史と人々を歌う盲目のさまよえるミンストレル(*)のコブザールよりも、上手がいるだろうか?」(*=ミンストレルとは吟遊詩人)
    Who better to tell the story of Ukraine than a kobzar, one of the country's blind wandering minstrels that sang of its history and people?[4]
  3. ^ ソフィア・ルソワ記念章(ウクライナ語)ウクライナ教育科学省の顕彰(ウクライナ語)も参照。
  4. ^ 記念コインは2016年2月18日発行、ニッケルと銀の合金。表面にソフィア・ルソワの言葉が刻まれている。「すべての尊い人生には大きな星が明るく輝くべきなのです:故郷の幸せな運命という星が」(英訳からの転訳)
    表面:(上)ウクライナの小紋章。(右)半円形に配した国名 УКРАЇНА(ウクライナ語)、額面の表示-2 /ГРИВНІ(2 / フリヴニャ)、発行年2016年。(下)ソフィア・ルソワの言葉と左に啓発の象徴であるランプとウクライナ国立銀行造幣刻印[8]

出典[編集]

  1. ^ a b c d Kubiyovych, Volodymyr (1993) (英語). Encyclopedia of Ukraine. Toronto: University of Toronto Press 
  2. ^ a b c Rusova, Sofia (1937) (ウクライナ語). Moi spohady(回顧録). Horticâ. ウクライナ、リヴィウ: Vidavniča Kooperativa. OCLC 840277125 
  3. ^ a b Opening of the Sofia Rusova Museum in Chernihiv” (英語). CHOIM.org (2013年9月27日). 2018年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月28日閲覧。
  4. ^ Shevchenko, Taras (2013年). “The Complete Kobzar, Published on Sep 28, 2013” (英語). 2015年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月23日閲覧。
  5. ^ Subtelny, Orest (1988) (英語). Ukraine: A History. University of Toronto Press 
  6. ^ Rusov, Oleksander (2011) (ウクライナ語). Shchodennyky ta spohady. Chernihiv, Ukraine 夫オレクサンドルの遺稿。
  7. ^ Hupalo, Serhiy (2006年2月28日). “The cross of a great Ukrainian woman” (英語). The Day. 2019年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月6日閲覧。
  8. ^ National Bank of Ukraine (2016年2月18日). “Sofia Rusova: Outstanding Personalities of Ukraine” (英語). National Bank of Ukraine. 2016年5月10日閲覧。 “Obverse: above, there is the Small Coat of Arms of Ukraine; to the right, there is the semicircular inscription УКРАЇНА (Ukraine), the indication of the face value - 2/ГРИВНІ (2/hryvnias), the year of issue - 2016, and underneath - Sofia Rusova`s saying: У ЖИТТІ КОЖНОЇ/ ШЛЯХЕТНОЇ ЛЮДИНИ/ МАЄ СВІТИТИ ВЕЛИКА/ ЯСНА ЗІРКА:/ ЩАСЛИВА ДОЛЯ/ РІДНОГО/ КРАЮ (There must be a big bright star shining in every honorable man`s life: a fortunate destiny of their native land); to the left, a lamp is depicted as a symbol of enlightenment; below, there is the mark of the Mint of the National Bank of Ukraine.”

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • ニコライ・コヴァレフスキ; Kowalewski, Nikolai『「ウクライナ」共和國ニ於ケル民族政策』、民族問題研究所、1938年NCID BN13805122
  • 「ウクライナ社會主義アカデミヤ」『露西亜月報』第76号、外務省調査局第二課 (編)、1940年、220-220頁、doi: 10.11501/1890683
  • 中井和夫「ウクライナの革命1917-1920--農民を軸にした一考察」『歴史学研究』第424号、歴史学研究会 (編)、1975年9月、1-18頁。ISSN 0386-9237
  • 中井和夫『ソヴェト民族政策史 : ウクライナ1917~1945』、東京 : 御茶の水書房、1988年、全国書誌番号:89001698
  • 樺山紘一; 長尾龍一; 見田宗介; 山脇直司; 宮島喬; 梶田孝道; 水島治郎; 中井和夫; 金子亨; 田中克彦; 高橋哲哉; 平山満紀; Blackmore, John T.; 田中節子; 鬼塚雄丞; 森政稔; 清水太郎; 柘植あづみ; 松原望『ヨーロッパのアイデンティティ』、新世社〈ライブラリ相関社会科学 1〉, サイエンス社(発売)、1993年。ISBN 4915787346
  • 中井和夫「ウクライナにおける国民統合の困難性:グローバリズム・リージョナリズム・ナショナリズム-21世紀における役割を模索するアジア-」『国際政治』、114号、1997年、135-150頁、L13頁。doi:10.11375/kokusaiseiji1957.114_135
  • 鈴木健夫; 谷澤毅; 佐久間弘展; 中野忠; 井上克洋; 内田日出海; 川崎亜紀子; 田村愛理; 松村岳志; 長與進; 島田竜登; 辻智佐子; 四方田雅史『地域間の歴史世界 : 移動・衝突・融合』、早稲田大学出版部〈早稲田大学現代政治経済研究所研究叢書 29〉、2008年。ISBN 9784657083050
  • ユネスコ; 環境テレビトラスト(制作); 村松泰子; 国広陽子『女性の社会進出 : フィジー・メキシコ・ウクライナ』、紀伊國屋書店 (販売元) 〈ビデオシリーズ「ミレニアムの女性たち」、200 女性と経済〉。ISBN 4877662693
    • ユネスコ; 環境テレビトラスト(TVEインターナショナル)(制作); 同日本委員会; 国広陽子; 村松泰子『女性の社会進出 : フィジー・メキシコ・ウクライナ』、)〈ミレニアムの女性たち〉、2000年。/ ユネスコ, 環境テレビトラスト 1 ; 1。
  • 造事務所『日本人が知らないヨーロッパ46カ国の国民性』、PHP研究所〈PHP文庫 そ4-23〉、2013年。ISBN 9784569760322
  • 服部倫卓; 原田義也『ウクライナを知るための65章』、明石書店〈エリア・スタディーズ 169〉、2018年。ISBN 9784750347325

外部リンク[編集]