ソドム百二十日あるいは淫蕩学校

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ソドム百二十日あるいは淫蕩学校
Les Cent Vingt Journées de Sodome ou l’École du libertinage
モーリス・エーヌによる1931年の版
モーリス・エーヌによる1931年の版
作者 マルキ・ド・サド
フランスの旗 フランス
言語 フランス語
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ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(ソドムひゃくにじゅうにちあるいはいんとうがっこう、フランス語: Les Cent Vingt Journées de Sodome ou l’École du libertinage[1])は1785年マルキ・ド・サドバスティーユ牢獄で著した未完の小説である。サドの最初の本格的な作品だった。

悪事と放蕩によって莫大な財産を有する4人の男が、フランス中から拉致してきた美少女美少年達と深い森の城館で120日に及ぶ性的拷問的饗宴を繰り広げる物語が、性倒錯暴力善悪反道徳無神論といったテーマと共に描かれている。小説として完成しているのは序章と第一部のみであり、第二部から第四部は草案の域にとどまっているが、これは時間的・状況的制約のみならず、作者が「想像力を超えたものを表現する」ことができなかった可能性も指摘されている[2]

原稿の歴史[編集]

バスティーユ牢獄の「巻紙」

1785年10月22日に、サドはバスチーユ牢獄中で本書の清書を始める[3]。作品の押収を避けるため、幅12センチの小紙片を糊付けして作った長さ12.1メートルの薄い巻紙の両面に小さくぎっしり詰まった文字で清書する作業は、午後7時から10時の間に行われ、11月28日に完成した。

だがフランス革命勃発の直前、1789年7月2日、サドはブリキ管を使って即席で作ったメガホンで壁の下に集まった群集を扇動しようとし、その結果、7月4日の午前1時、自身の言葉によると「蛆虫のように裸のままで」シャラントン精神病院へと連れ去られた。このため、彼はこの原稿を含む全ての私物をバスティーユに置き去りにせざるを得なかった。7月14日、牢獄は陥落し、略奪・破壊の後、サドの原稿も紛失してしまった。このような作品の喪失はサドに、その言葉によると、「血の涙」を流させた。

だがサドの死後、アルヌー・ド・サン=マキシミンがバスチーユ牢獄のサドの一室で『ソドム』の巻紙を発見し、後にヴィルヌーヴ=トラン家が3代に亘って所有することとなった。原稿は19世紀末にベルリンの精神科医イヴァン・ブロッホへ売却され、ブロッホは1904年にオイゲン・デューレンの偽名で最初の版を公刊したが、これは多数の転写ミスを含む粗悪な品質だった。ブロッホの死後、1929年にモーリス・エーヌがシャルル・ド・ノアイユ子爵の委託を受け原稿を入手、1931年から1935年にかけて、検閲を避けるため「愛書家の購読者」限定で出版し、その品質からこれが真正の原典版と考えられている。

のち1985年に、草稿は子爵の子孫によって売却され、ジュネーブの(主にエロティックな)稀覯書蒐集家であるジェラルド・ノルトマン(1930-1992)の手に渡った。草稿は2004年になって初めて、ジュネーブ近郊のマーチン・ボードマー基金[4]にて公開された。

あらすじと登場人物[編集]

ルイ14世治世の終わり頃、殺人と汚職により莫大な財産を有する、45歳から60歳の4人の悪徳の限りを尽くした放蕩者達、ブランジ公爵、公爵の兄弟である司教、キュルヴァルの法院長財務官デュルセが真冬にシュヴァルツヴァルトの古城シリング城に集まり、彼ら4人の絶対権力の下に置かれた42人の犠牲者、4人の遣り手婆、8人の絶倫男と共に閉じ籠る。

犠牲者は4人の妻(それぞれがそれぞれの娘と婚姻している)と、両親の下から誘拐された若い少年少女たちである。4人の遣り手婆=「語り女」たちが、1ヶ月交代で1人150話ずつ計600の倒錯した物語を語り、主人たちはしばしばその場でそれを実行に移す。作品は日誌の形で構成され、4ヶ月と「単純(性交を伴わない)」「複合」「犯罪」「殺人」の4種の情熱に対応した4部からなる(第1部は完成されているが、残りは草案のみ)。犠牲者はありとあらゆる性的虐待と恐ろしい拷問の末に大半が殺される。

評価[編集]

この作品を最初に出版したブロッホ博士は、ありとあらゆる性的フェティシズムの徹底的なカテゴリ化には「医学者や、法学者や、人類学者たちにとって……科学的な重要さがある」と評している。ブロッホは『ソドム百二十日』をリヒャルト・フォン・クラフト=エビングの『性的精神病理』と同等に考えていた。フェミニズムの著述家シモーヌ・ド・ボーヴォワールは1955年にフランス当局がサドの主要4作品の破壊を企てた時に『我々はサドを焚書にすべきなのか?』というエッセイを書いて『ソドム百二十日』を弁護した。

他方、同じくフェミニズムの著述家であるアンドレア・ドウォーキンはこの作品が「不潔なポルノグラフィ」であり、作者はミソジニー(女性嫌悪)の体現であり、また特に強姦拷問殺人が男性の人物によって専ら(全てではないが)女性の犠牲者に対して行われるのであると断罪した。

著名なサド研究家であるアリス・ラボルドは、ドウォーキンが「テクストの風刺小説的な要素を意図的に誤読している」と攻撃した。さらに、ラボルドはサドの言葉遣いや人格の、象徴するのではなく意味する機能に重点を置いた『ソドム百二十日』観を唱道した。ラボルドにとってはテクストの「女性嫌悪的な」要素は、社会批判とフランス語の言語体系の再発明の両方の手段となった。

アンジェラ・カーターは著書『The Sadeian Woman』において『ソドム百二十日』の2人の登場人物について詳細に論じ、サドは「道徳的なポルノグラファー」であると解説している。

カミール・パーリアはサドの作品をとりわけ「ジャン=ジャック・ルソーへの風刺的回答」であり、より一般的には啓蒙思想時代の、人間の生まれながらの善性という概念への風刺的回答であると見做している。この本に登場する性暴力の多くはジル・ド・レイバートリ・エルジェーベトの悪名高い歴史的な事例から引き出されたものである。

日本語訳[編集]

映画作品[編集]

サロ、またはソドムの120日』(邦題『ソドムの市』)
1975年製作、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督、舞台をファシズム末期のイタリアに置き換えた映画。同時代人の多くはこれを史上最も物騒な映画だと考えが、この映画には強姦食糞、四肢切断などの恐怖シーンこそあれ、実際に小説に出て来る邪悪な営為にはほとんど触れていない。世界各国で上映禁止とされた。

脚注[編集]

  1. ^ プレイヤード叢書版によると「原稿では題名は数字で『ソドムの120日』と書かれていた。モーリス・エーヌ、ジブレ・レリやその他の註釈者の大部分もこの特殊な表記を忠実に尊重している。アニー・ル・ブリュンやジャン=ジャック・ポヴェールによる新版では(中略)表記の現代化のために文字に置き換えており、我々もこの表記を採用する。」(note 1 de la page 13 figurant page 1,134 du tome I des Œuvres de Sade de la Bibliothèque de la Pléiade, 1990, 1363 pages, ISBN 2-07-011190-3.)
  2. ^ Michel Delon, Sade en son temps, Éditions Textuel, 2007.
  3. ^ 澁澤龍彦は、作品自体はサドがバスチーユ牢獄に移された前後、「1784年いっぱいと、1785年10月までの期間」を費やして執筆されたと推測している。(澁澤龍彦『サド伯爵の生涯』209頁)
  4. '^ Fondation Bodmer - La bibliothèque Gérard Nordmann, Éros invaincu

参考文献[編集]

  • Marquis de Sade, Les 120 journées de Sodome ou L'école du libertinage, vol. XIII avec des préfaces de Maurice Heine, de A. Hesnard, de Henri Pastoureau et de Pierre Klossowski, in <<...Œuvres complètes du Marquis de Sade...>> en XV volumes, Cercle du Livre précieux (hors commerce), Paris, 1964
  • Gilbert Lely, Vie du marquis de Sade (avec un examen de ses ouvrages), vol. I et II (avec une postface d'Yves Bonnefoy), in << Œuvres complètes du Marquis de Sade >> en XV volumes, Cercle du Livre précieux (hors commerce), Paris, 1964. Rééditions partielles : Jean-Jacques Pauvert éditions, Paris, 1965 ; avec une préface de Philippe Sollers, éditions du Mercure de France, Paris, 2004 ISBN 2715225326
  • Annie Le Brun, Petits et grands théâtres du marquis de Sade, Paris Art Center, Paris, 1989

関連項目[編集]

外部リンク[編集]