ゼムフィラ

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ゼムフィラ(2009年)

ゼムフィラロシア語: Земфира, 1976年8月26日 - )は、ロシア歌手。本名はゼムフィラ・タルガトヴナ・ラマザノヴァ(ロシア語: Земфи́ра Талга́товна Рамаза́новаタタール語: Земфира Тәлгать кызы Рамазанова

生い立ち[編集]

ソビエト連邦バシキール共和国ウファで誕生した[1]ヴォルガ・タタールの家系で、父は歴史の教師、母は医師であった。

幼少の頃に音楽学校に入学。7歳で曲を書き初めた。この頃にブラックサバスクイーンナザレスを聞いた。ウファにある芸術系の大学に入学して声楽を専攻、通いながらバーやレストランで音楽の演奏をした。

キャリア[編集]

芸術系の大学を卒業後、本格的に音楽活動を始めた。1999年にデビューアルバム『Земфира』をリリースしてメジャーデビューを果たし、アルバムはヒットした。次いで2000年に2枚目のアルバム『Прости Меня Моя Любовь』は大ヒットし、ゼムフィラとしては最も売れ行きを伸ばしたアルバムになった。2004年モスクワ大学哲学を学んでいたがすぐに中退した。

2022年2月24日ロシアがウクライナに侵攻した際には「今日は誰にとっても苦しい日」とコメント[2]。3月17日には2005年の「撃たないで」という曲を動画で公開。シンセサイザー弾き語りするゼムフィラの声に、ウクライナ侵攻による戦火やロシア国内の反戦デモの映像が重ね合わされている[2]。ゼムフィラは自身のYouTubeからこの曲など2曲を除き全曲を削除した[2]。3月24日の公演後にロシアを脱出したと伝えられている[2]

同年10月9日キプロスリマソールでのコンサートで戦争反対を訴えた。「今日は戦争が始まって228日目です。現実となった地獄の228日目。今までずっといろいろ考えて、自分に問いかけていたんです。ステージ上で話すのは好きではないし、どうすればいいかわからない。しかし、私は毎日、この戦争が終わるように、私の国がこの戦争を止めるように祈っています」と聴衆に語りかけ、「撃たないで(Не стреляйте)」を歌ったという[3][4][5]

ディスコグラフィー[編集]

発売年 アルバム名
1999 Земфира
2000 Прости меня моя любовь
2002 Четырнадцать недель тишины
2005 Вендетта
2007 Спасибо
2013 Жить в твоей голове
2021 Бордерлайн

脚注[編集]

  1. ^ Zemfira Allmusic
  2. ^ a b c d “ロシア歌姫「撃たないで」 侵攻非難、動画に反響”. 時事通信. (2022年3月18日). オリジナルの2022年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220920003929/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022031800769&g=int 2022年9月20日閲覧。 
  3. ^ Земфира: «Я каждый день молюсь, чтобы моя страна прекратила эту войну»” (ロシア語). The Insider (2022年10月10日). 2022年10月10日閲覧。
  4. ^ Земфира со сцены: "Молюсь, чтобы моя страна прекратила войну"” (ロシア語). Радио Свобода (2022年10月10日). 2022年10月10日閲覧。
  5. ^ https://twitter.com/zolotorevskiyb/status/1579239087160315905”. Twitter (2022年10月10日). 2022年10月10日閲覧。

外部リンク[編集]