ゼムノビッチ・ズドラヴコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ズドラヴコ・ゼムノヴィッチ Football pictogram.svg
名前
本名 ズドラヴコ・ゼムノヴィッチ
ラテン文字 Zdravko Zemunović
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1954-03-26) 1954年3月26日(65歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
当項目参照
監督歴
当項目参照
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ゼムノビッチ・ズドラヴコことズドラヴコ・ゼムノヴィッチZdravko Zemunović, 1954年3月26日 - )は、セルビア (旧ユーゴスラビア)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。

来歴[編集]

現役時代はFKテレオプティックFKチュカリチュキなどでプレー。膝の故障もあって、1986年に32歳で引退する。

現役引退後、ベオグラード大学体育学部にてコーチングライセンスを取得。ユーゴスラビア1部リーグでは3つのクラブで監督を歴任し、全クラブで優勝、昇格を経験。

FKテレオプティックの監督時代にイビチャ・オシムと知り合い、親交を深めた。これは当時、彼が監督をしていたテレオプティックがオシムの指揮していたパルチザン・ベオグラードのサテライトチーム(Bチーム)であったためであり、その後パルチザン・ベオグラードのスタッフの一員としてオシムと共に1992年キリンカップで初来日している。

内戦の激化から夫人が日本への留学を希望したため、1995年に来日。鳥栖フューチャーズでアシスタントコーチを務めた後、主に千葉県でアマチュアチームで指導を行った。

1999年清水エスパルスのユース・ジュニアユース総監督に就任。翌2000年、清水のユース監督に就任し、枝村匠馬杉山浩太らを指導。スティーブ・ペリマンの監督解任により同年12月にトップチームの監督に就任。天皇杯ではいきなり準優勝し、2001年ゼロックス・スーパーカップも制覇した。また、2001年の天皇杯では優勝を果たした。

オズワルド・アルディレス以来のパスサッカー路線を堅持しつつフィジカルの強化を図り、当時DFだった戸田和幸をボランチにコンバートしてブレイクさせるなど独自色を出し、2001年は両ステージともに4位、天皇杯では優勝を果たすなど、翌年の躍進が期待された。特に三都主アレサンドロ市川大祐という攻撃的なウイングバックと強力なヘディングが持ち味のバロンを最大限に活かしたサイドアタック、スーパーサブとして横山貴之を再生し前シーズンの約2倍の62得点を上げた。

帰国後、当時セルビア・モンテネグロ1部リーグに所属するラド・ベオグラードで監督を務めた。2005年に再来日し、千葉県サッカー協会テクニカルアドバイザーとしてアマチュアの指導にあたっている。2012年には日本国籍外の者ではピエール・リトバルスキー張外龍金光浩チョウ貴裁尹晶煥金鍾成以来7人目のJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。既に日本の永住ビザも取得しているという。

2006 FIFAワールドカップ日本代表が惨敗した時には、「ジーコの後任にふさわしいのは?」とのマスコミからの問いに、「外国人ならイビチャがベスト」と答えた。実際にオシムが日本代表監督に就任すると、今度はドラガン・ストイコビッチらと共に代表スタッフ入り濃厚と報道される。結局日本代表チームには加わることはなかったが、オシムのJリーグの試合視察時への同行や相談役として、チームの外から彼をサポートした。

2016年よりVONDS市原の監督に就任。12年ぶりの監督復帰となる[1]

2018年11月、退任が発表された[2]

2019年1月21日、茨城県水戸市の少年クラブであるポルターラ水戸サッカークラブのテクニカルディレクターに就任[3]

2019年12月11日、FC岐阜の監督に就任[4]

人物・評価[編集]

選手歴[編集]

指導歴[編集]

  • 1988年 - 1990年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 BSKバタイニッツァ:監督
  • 1990年 - 1992年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 FKテレオプティック:監督
  • 1992年 - 1994年 ユーゴスラビアの旗 FKヴォジュドヴァッツ英語版:監督
  • 1995年 日本の旗 鳥栖フューチャーズ:コーチ
  • 1999年 - 2008年 日本の旗 清水エスパルス
    • 1999年:ユース、ジュニアユース総監督
    • 2000年:ユース監督
    • 2000年12月 - 2002年:監督
    • 2001年 - 2008年:テクニカルアドバイザー
  • 2003年 - 2004年 セルビア・モンテネグロの旗 FKラド・ベオグラード:監督
  • 2005年 - 現 在 日本の旗 千葉県サッカー協会:テクニカルディレクター
  • 2016年 - 2018年 日本の旗 VONDS市原:監督
  • 2019年 - 現在 日本の旗 ポルターラ水戸サッカークラブ:テクニカルディレクター
  • 2020年 - 日本の旗 FC岐阜:監督

タイトル[編集]

  • 1988/89年 - セルビアリーグ
  • 1988/89年 - ユーゴスラビアカップ、セルビアチャンピオンシップ
  • 1991/92年 - セルビアリーグ
  • 1991/92年 - ユーゴスラビアカップ、セルビアチャンピオンシップ
  • 2001年 - ゼロックス・スーパーカップ
  • 2001年 - 第81回天皇杯
  • 2002年 - ゼロックス・スーパーカップ

出典[編集]

  1. ^ “ゼムノビッチ・ズドラブコ氏 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), VONDS市原, (2015年12月17日), http://vonds.net/2015/12/17/6124/ 2016年2月21日閲覧。 
  2. ^ “ゼムノビッチ・ズドラブコ監督 退任のお知らせ” (プレスリリース), VONDS市原, (2018年11月1日), http://vonds.net/2018/11/01/26145/ 2019年1月2日閲覧。 
  3. ^ “ゼムノビッチ氏クラブテクニカルアドバイザー就任のお知らせ” (プレスリリース), ポルターラ水戸サッカークラブ, (2019年1月21日), http://www.portalamsc.com/article/detail.php/389/477954 2019年3月6日閲覧。 
  4. ^ “ゼムノビッチ ズドラブコ氏、FC岐阜監督就任のお知らせ” (プレスリリース), (2019年12月11日), https://www.fc-gifu.com/news_information/54463.html 2019年12月11日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]