セルゲイ・オルデンブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
セルゲイ・オルデンブルク

セルゲイ・フョードロヴィチ・オルデンブルクСерге́й Фёдорович Ольденбу́рг / Sergey Fyodorovich Oldenburg, 1863年9月26日 - 1934年2月28日)は、ロシア東洋学者

略歴[編集]

ピョートル1世の時代にメクレンブルクから移住・定着した貴族のオルデンブルク家ロシア語版出身。

ザバイカリエ州ネルチンスク地区に生まれる。

1885年ペテルブルク大学を卒業し、1889年にペテルブルク大学の講師、1894年には教授、ついでロシア科学アカデミーの常任書記、1900年には科学アカデミーの会員に選ばれている[1]

インドの古代文学・説話の研究者であり、1897年にロシア科学アカデミーの附属事業として大乗仏典出版会を発起して、「Bibliotheca Buddhica」を出版した。これは国際的規模の事業であり、1962年までで32冊が刊行されている[2]。ほとんど毎年ヨーロッパ各地を旅行し、仏教美術についての識見を広げ、ついにはレニングラード東洋美術館の館長を歴任するほどの権威となる。

リベラル派の政治家でも知られ、立憲民主党に属した。ロシア臨時政府では文化大臣も務めている。10月革命後は一時拘束された。その後は研究を続ける傍ら拘束された学者たちの釈放に尽力した。しかし、スターリン時代になると干渉を受けた。

レニングラードで死去。

孫のゾエ・オルデンブール英語版フランスへ亡命し、歴史学者・作家となった。

オルデンブルク探検隊[編集]

第一次探検[編集]

第1次(1909年 - 1910年)は、カラシャールクチャトルファンハミなどを調査した。

第二次探検[編集]

第2次(1914年 - 1915年)は、敦煌方面を調査探検した。

報告書[編集]

  • Russkaya Turkestanskaya ekspeditsiya, Kratkij Predvarjtel'nyi Otchet, 1914(ロシア・トルキスタン探検予備報告)

参考文献[編集]

  • 石浜純太郎「オルデンブルグ記念論文集」(『東洋史研究』1-2、1935年)
  • 江上波夫/マーロフ,S.E.「オルデンブルグ探検の回鶻文書」(『蒙古学』3、1938年)
  • 梅原末治「西域探検家の横顔:ルコック博士とオルデンブルグ先生」(『世界美術全集 月報』14、1952年)
  • 山本達郎「敦煌発見オルデンブルグ及びペリオ将来戸制田制関係文書10種」(『史学雑誌』69-12、1960年)
  • 土肥義和「オルデンブルグ蒐集の敦煌漢文文書」(『東洋学報』78-4、1997年)

脚注[編集]

  1. ^ 加藤九祚 『ユーラシア記』 法政大学出版局、1984年、113p。
  2. ^ 加藤九祚 『ユーラシア記』 法政大学出版局、1984年、114p。

外部リンク[編集]