セルゲイ・イワノフ

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ロシアの旗 ロシアの政治家
セルゲイ・イワノフ
Сергей Борисович Иванов
SergeiIvanov.jpg
セルゲイ・イワノフ(2010年5月)
生年月日 (1953-01-31) 1953年1月31日(64歳)
出生地 レニングラード
(現在のサンクトペテルブルク
出身校 レニングラード大学
前職 諜報員KGBエージェント)、ロシア連邦大統領府長官
現職 大統領特別代表(自然保護活動、環境問題、交通運輸担当)
称号 予備役大将
配偶者 イリーナ・イワノヴァ

在任期間 2011年12月22日 - 2016年8月12日
大統領 ドミートリー・メドヴェージェフ
ウラジーミル・プーチン

内閣 ミハイル・カシヤノフ内閣
第1次ミハイル・フラトコフ内閣
第2次ミハイル・フラトコフ内閣
在任期間 2001年3月28日 - 2007年2月15日
大統領 ウラジーミル・プーチン

在任期間 1999年11月15日 - 2001年3月28日
大統領 ボリス・エリツィン
ウラジーミル・プーチン
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2005年、戦勝60周年記念式典の軍事パレードにて

セルゲイ・ボリソヴィチ・イワノフロシア語: Сергей Борисович Иванов、ラテン文字転写の例:Sergei Borisovich Ivanov1953年1月31日 - )は、ロシア政治家。ロシア最初の文民出身の国防相として知られるほか、ほかに大統領府長官安全保障会議書記、第一副首相、副首相を歴任している。

KGBのエージェント(諜報員)出身で、いわゆる「シロヴィキ」人脈に連なる政治家の1人とされる[1][2]。軍人としての現在の階級は予備役大将

経歴[編集]

出自[編集]

1953年1月31日、ソビエト連邦ロシア共和国のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に生まれる。1975年レニングラード大学文学部を卒業。同期にウラジーミル・プーチンがおり、プーチンとイワノフは、同郷でレニングラード大学同窓でもある。

KGB[編集]

1976年KGBミンスク高等課程を修了し、KGBレニングラード局で勤務。その後、KGB第1総局(対外諜報)に移り、第101学校を卒業。1981年、二等書記官として駐ロンドンソビエト大使館に勤務したが、1983年スパイ容疑で国外追放。その外、KGBでは、フィンランドケニアで対外諜報活動を行っていた。

ソ連崩壊後は、KGBの解体に伴い、ロシア対外情報庁(SVR)に移り、プーチンがロシア連邦保安庁(FSB)長官に就任すると、1998年8月、FSB次官/分析・予測・戦略計画部長に登用された。

政治家[編集]

以後イワノフはプーチンと共に出世した。プーチンが1999年8月に首相に就任すると、同年11月に安全保障会議書記に就任する。プーチンが大統領に就任すると、2001年3月に国防相に任命される。ソ連時代も含めて、トロツキーを除き、ロシアでは、陸相海相・国防相は現役の軍人が務めていたが、イワノフは、史上初の文民の国防相である(KGB職員は軍人だが、2000年11月に予備役に編入されていた)。

国防相としては、ロシア軍にこれまでの徴兵制を改め、志願制を導入し、人員の削減による質的向上を図ろうとした。また、巡航ミサイルを中心とする戦略兵器の削減に意欲的であるとされる。また、ほかに、北朝鮮核兵器保有宣言をしたことに対して、イワノフは2005年2月13日ドイツミュンヘンで開かれた閣僚会議でロシアを代表して演説し、北朝鮮の選択は誤りであると批判した。同時に北朝鮮に核拡散防止条約(NPT)に留まり、6カ国協議に戻るように求めた。

その後、2005年11月14日から副首相(安全保障担当)を兼務する。2007年2月15日には第一副首相(専任)に昇格し、軍事産業だけでなく航空産業・ナノテクノロジー交通といった民間産業の育成を担当した。

イワノフは大統領補佐官のヴィクトル・イワノフとともに、プーチンの側近中の側近であり、同格となったドミトリー・メドヴェージェフ第一副首相とともにプーチンの大統領任期が切れた後の有力な後継候補と目されていたが、2007年12月10日、プーチンは後継の大統領候補に、同郷であるメドヴェージェフを指名。下馬評では、旧KGB人脈のイワノフを予測する声が比較的多く見られた。

2008年5月7日にメドヴェージェフ政権が発足し、翌8日にプーチンが首相に就任した後も、プーチンによって副首相に指名され、内閣に留任した。その後、2011年12月22日、メドヴェージェフ大統領によって下院議員に転身したセルゲイ・ナルイシキンの後継として大統領府長官に任命された[3]。2016年8月12日に退任。イワノフの一身上の都合と説明されたが、実質的な解任とも報じられた[4]。同時に、大統領令によって自然保護活動、環境問題、交通運輸担当の大統領特別代表に任命された[5]

北方領土を4度訪問している。2014年9月24日択捉島を訪問し、イトゥルップ空港を視察した。日本政府は菅義偉内閣官房長官が記者会見で遺憾の意を表明した[6]が、イワノフは9月25日、記者団に対して、「これは儀式的な踊りのようだ。私がそこへ行くと遺憾を耳にする... そして私はまたそこへ行く」と語った[7]

人物[編集]

妻帯、2児を有する。英語スウェーデン語を話す。余暇は釣りと散歩で過ごし、原語で探偵小説を読むのを好む。

小泉内閣発足以前に日の出の勢いを誇っていた鈴木宗男は、イワノフをプーチン政権最大のキーパーソンと位置づけており、早い段階で接触を図っていた。

なお、ソ連時代からの政治エリートでありながら、10代の頃には当時禁制であったビートルズのファンであったことを、2003年ポール・マッカートニー赤の広場で行ったコンサートの際にインタビューで答え、このコンサートにもプーチン大統領と伴に来場した。

二等「祖国に対する貢献に対する」勲章、「国家の国防能力と安全の強化への大きな個人的貢献に対する」勲章、カザフスタンの「ドストゥイク」(友好)勲章を受章。

脚注・出典[編集]

公職
先代:
セルゲイ・ナルイシキン
ナルイシキンは2011年12月20日付で離職、以後は副長官のウラジスラフ・スルコフが代行。
ロシアの旗 ロシア連邦大統領府長官
2011年 - 2016年
次代:
アントン・ヴァイノ
先代:
ドミートリー・メドヴェージェフ
ロシアの旗 ロシア連邦副首相
アレクサンドル・ジューコフアレクセイ・クドリンイーゴリ・セーチンセルゲイ・ソビャーニンと共同
2008年 - 2011年
次代:
ドミートリー・ロゴージン
先代:
ドミートリー・メドヴェージェフ
ロシアの旗 ロシア連邦第1副首相
ドミートリー・メドヴェージェフと共同
2007年 - 2008年
次代:
ヴィクトル・ズブコフ
イーゴリ・シュワロフ
先代:
ドミートリー・メドヴェージェフ
ロシアの旗 ロシア連邦副首相
アレクサンドル・ジューコフと共同
2005年 - 2007年
次代:
アレクサンドル・ジューコフ
セルゲイ・ナルイシキン
先代:
イーゴリ・セルゲーエフ
ロシアの旗 ロシア連邦国防相
第4代:2001年 - 2007年
次代:
アナトーリー・セルジュコフ
先代:
ウラジーミル・プーチン
ロシアの旗 ロシア連邦安全保障会議書記
第9代:1999年 - 2001年
次代:
ウラジーミル・ルシャイロ