セバスチャン・サンタ・マリア

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セバスチャン・サンタ・マリア
Sebastian Santa Maria
基本情報
生誕 (1959-09-24) 1959年9月24日
出身地  チリ サンティアゴ
死没 (1996-10-20) 1996年10月20日(37歳没)
ジャンル ソフトロックジャズ
職業 ピアニスト、作曲家
担当楽器 ピアノ
共同作業者 ゾンビーズフランソワ・リンデマン

セバスチャン・サンタ・マリアSebastian Santa Maria1959年9月24日 - 1996年10月20日)は、チリスイス人のピアニストにして作曲家。1959年、チリ・サンティアゴに生まれ、8人兄弟の末っ子。サンチャゴ現代音楽学校へ入学し即興を学ぶ。16歳で地元のジャズクラブなどで生計をたてるようになり[1]、17歳でスイスのローザンヌへ移住。1978年、UBS優秀賞を受賞し才能を開花させた[2][3]

初期の活動[編集]

ローザンヌのクラブでピアニストとして演奏活動をはじめ、やがて作曲家として キャサリン・ララやベルナール・ラヴィリエヴィクター・ラズロ(アルバム『My Delicious Poisons』の「If I Could Love You More」)、イザベル・アジャーニへ楽曲を提供するようになった[4]

フランソワ・リンデマンとの共演[編集]

ボストンのバークリー音楽院で音楽を学びなおした後、再びスイスに戻り、1980年にフランソワ・リンデマンとピアノ・デュオを結成。1982年7月モントルー・ジャズ・フェスティバルで公演を行う[5]。ヨーロッパの批評家たちから「ゴールデン・フィンガーを持つ男」[6]として賞賛され、その活動がやがてユニークなアンサンブル「ピアノセブン」の結成へとつながっていく[7][8]。このコラボレーションはフランスとスイスのジャズ・シーンを大きく結びつける役割を果たした[3]

ゾンビーズへの参加[編集]

またイギリスのバンド、ゾンビーズにも参加し、1991年には『ニュー・ワールド』というアルバムで演奏を披露している。ゾンビーズのリード・ボーカルであるコリン・ブランストーンは「彼は世界クラスのピアニスト」と賛辞した[9]。彼の出身地でもある南米の影響を受けたリズミカルなサウンドは、チリを中心に南米で多くの支持を得た[10]。単独でのシングルとアルバムの制作も開始。1994年にファースト・アルバム『Latino』が、1997年にはセカンド・アルバム『Corpus』が発表されている(遺作)。

1996年に副腎白質ジストロフィーのためこの世を去った[3]

ディスコグラフィ[編集]

リーダー・アルバム[編集]

  • Piano-Duo (1982年、Plainisphare) ※with フランソワ・リンデマン
  • Piano-Duo (1983年、Plainisphare) ※with フランソワ・リンデマン。上記アルバムとは別内容
  • Piano-duo Inédits (1989年、Plainisphare) ※with フランソワ・リンデマン
  • Latino (1994年)
  • Corpus (1997年)

出典および注釈[編集]

  1. ^ 出典:「ヴォー美術財団の創造と創造のための基金:1997年4月28日〜5月17日のEspace Arlaud展」、ローザンヌ、コートBCUL:1VM 13501
  2. ^ セバスチャン・サンタ・マリア公式サイト”. セバスチャン・サンタ・マリアサイト運営委員会. 2018.6/26閲覧。
  3. ^ a b c ローザンヌ大学図書館セバスチャン・サンタ・マリアの項目”. ローザンヌ大学図書館. 2018年6月26日閲覧。
  4. ^ フランス国立図書館データベース(セバスチャン・サンタ・マリアの項目)”. フランス国立図書館. 2018年6月26日閲覧。
  5. ^ モントルー・ジャズ・フェスティバル(フランソワ・リンデマンの項目)”. モントルー・ジャズ・フェスティバル. 2018年6月26日閲覧。
  6. ^ ローザンヌ大学図書館”セバスチャン・サンタ・マリアの項目より引用 "l'homme aux doigts d'or"
  7. ^ ピアノセブン結成について"Claviers groupés", Le Matin, 1986/12/04, p. 16 "Nuits chaudes à Montreux", 24 Heures, 1984/06/12, p. 47
  8. ^ “Piano Seven: dernier tutti et puis s’en vont” (フランス語). Le Temps(スイス・新聞). (2017年3月8日). 2017-3-8. https://www.letemps.ch/culture/piano-seven-dernier-tutti-puis-sen 2018年6月26日閲覧。 
  9. ^ The Zombies' lead singer Colin Blunstone: "He was a world class piano player !" [1]
  10. ^ Gianadda, Jef, "Adieu l'artiste!", Le Matin, 1996/10/24, p. 17. Binggeli, Isabelle, "On the road again", Le Matin, 1991/07/01, p. 31

外部リンク[編集]