セダ・バラ

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セダ・バラ
Theda Bara
セダ・バラTheda Bara
本名 Theodosia Burr Goodman
生年月日 1885年7月29日
没年月日 1955年4月7日(満69歳没)
出生地 オハイオ州シンシナティ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 Charles Brabin (1921-1955)

セダ・バラTheda Bara、本名:Theodosia Burr Goodman、1885年7月29日 - 1955年4月7日)は、アメリカ合衆国女優サイレント時代に人気のあった女優で、"The Vamp" というニックネームを持つハリウッド初のセックスシンボル。"The Vamp" は "Vampire" を省略した単語で、男を誘惑し食い物にしようとする女性を指す。オハイオ州シンシナティ出身。

概要[編集]

父親はポーランド生まれのユダヤ人、母親はスイス生まれのユダヤ人。当時の女性としては珍しくシンシナティ大学で2年学んでから俳優になるためにニューヨークに移った。

芸名の Theda Bara は"Arab Death"(アラブの死)のアナグラムであると言われたが、 Theda は本名 Theodosia を短縮したもので、Bara は母方の祖母の名前である。

FOXは、バラを売り出すためにプロフィールを捏造した。たとえば、ピラミッドのふもとで生まれ、親がフランス人の芸術家とそのエジプト人の愛人であり、超自然的な力を持つ巫女だった、など他にも色々なバリエーションで、バラの出自を『演出』した。

1908年に舞台 "The Devil" でブロードウェイにデビュー。数年の間あちこちの劇団のツアーに参加した後、映画へ活路を見出そうと色々なキャスティング・オフィスを周り、1914年に映画デビューしたが最初はエキストラであった。しかし翌年の『愚者ありき』で男を次々に破滅させる妖婦を演じ、一夜にしてスターとなる。若い女優が主役を張ることが多かったハリウッドで、30歳近くになっていた当時のバラの成功は、異例であった。

1914年から1926年の間に40本以上の映画に出演したが、残っている作品は3つしかない。バラ出演作品のヒットにより、FOXは最も成功した映画スタジオの一つとなった。

多くの映画で、バラは透き通る際どいコスチュームを身に着けた。そのような衣装は1930年代にヘイズ・コードの導入以降は禁止され、徐々に彼女の映画に対する大衆の興味も失われていったが、今日に至るまで、たびたびポピュラー・ソングにバラの名前が登場するなど、今もその影響は強い。

映画監督 Charles Brabin との結婚5年後の1926年に映画界を引退。ハリウッドに未練のなかったバラは一度も復帰しなかった。パブリック・イメージとは違って気立てもよく、読書や美術館を好む女性であった。料理上手でもあった彼女の家は、映画界の人物が好んで訪れる場所でもあったという。

1955年、ロサンゼルスで癌により死去した。

主な出演作品[編集]

  • 愚者ありき (1914)
  • クロイツェル・ソナタ (1915)
  • カルメン (1915)
  • ロミオとジュリエット (1916)
  • 猛虎の如き女 (1917)
  • シーザーの御代(クレオパトラ) (1917)
  • 椿姫 (1917)
  • サロメ (1918)
  • 野心に囚われた女 (1919)
  • 愛の試練 (1925)

文献[編集]

  • Eve Golden, Vamp : The Rise and Fall of Theda Bara, New York: Emprise Publishing Inc., 1996. ISBN 1-887322-00-0 / Vestal Press, 1997, ISBN 1-879511-32-0(外部リンクに抜粋あり)
  • Ronald Genini, Theda Bara: A Biography of the Silent Screen Vamp, With a Filmography, Jefferson, North Carolina and London: McFarland & Company, 1996, ISBN 0-7864-0202-4, [1]

学術的参考文献[編集]

  • 山口菜穂子 「『愚者ありき』のトランスアトランティック「ヴァンプ ― アメリカ映画史初期から古典期への過渡期における性の地政学」、杉野健太郎編『映画とネイション』(映画学叢書[監修加藤幹郎]、ミネルヴァ書房、2010年)所収。

外部リンク[編集]