スルガスペイン

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スルガスペイン
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1987年4月1日
死没 1995年3月6日(旧9歳没)
フイリツプオブスペイン
ダイトクホマレ
母の父 セルテイツクアツシユ
生国 日本の旗 日本北海道静内町)
生産 飛野牧場
馬主 古澤秋信
伊藤昭次
調教師 花塚進(宇都宮)
→宗形健次(上山)
→蛯名末五郎(大井)
競走成績
生涯成績 32戦23勝[1]
獲得賞金 1億4953万円
勝ち鞍

金盃(1993年)

樹氷賞(1991年)
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スルガスペインとは、サラブレッドの日本の競走馬である。北関東競馬上山を通じて、当時のサラブレッド競走馬日本新記録となるデビュー以来14連勝を達成。のちに南関東へ転ずると金盃を制したほか、帝王賞でも2年連続で3着するなどの活躍を見せた。1995年金盃競走中に故障を発生し、予後不良と診断され安楽死処分となっている。上山時代はその圧倒的な強さから上山のオグリキャップ[2]の異名もとった。

※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。

戦績[編集]

宇都宮時代[編集]

宇都宮競馬場の花塚進厩舎に入厩したスルガスペインの競走馬としての初出走は遅く、4歳のも終わろうかという1990年8月31日のことだった。すでに新馬戦、未出走戦はない時期であったから4歳の条件戦に出走することとなったが、2着に1馬身差、3着馬は2秒以上引き離す走りをみせて軽快に初出走初勝利を挙げる。その後は古馬と混じって下級条件戦を1ヶ月に1~2走のペースで順調に使われると、一度も敗れることがないまま翌1991年4月23日、5歳となったスルガスペインは宇都宮でのC2戦でデビュー以来10連勝を達成した[3]。奇しくもこの同じ日、船橋競馬場ではアクチブハトリが同様にデビュー以来10連勝を決めており、下級条件馬でありながらスルガスペインはこのアクチブハトリとともに、当時『Furlong』上に設けられていたニュース短信コーナーで取り上げられている[4]

上山時代[編集]

このレースを最後に、スルガスペインは「かなりの金額」[5]で、イナリトウザイの馬主として名を上げ当時は地方競馬で屈指の大物馬主であった伊藤昭次へとトレードされる。この新オーナーの意向により、スルガスペインは上山の宗形健次調教師の元へと転出することとなった。スルガスペインは上山デビュー戦も4馬身差で楽勝すると、この新天地でも順調に勝ち進んでいく。そして1991年7月23日のC1級戦。他陣営がその強さに畏れをなしたことより回避馬が続出、6頭立てとなった[6]この競走を2着馬に10馬身以上の大差をつける圧勝劇で制し、ついに当時のサラブレッド競走馬日本新記録となるデビュー以来14連勝を飾った[7]

しかしながら、夏負けでの調整不足が祟って[8]、次走となった8月27日のB2級戦では逃げるユキヒメジョウをハナ差で差し損ねてしまう。連勝記録のさらなる更新はならなかったが、それでも体調を整えて臨んだ翌月のB3級戦では再び8馬身差の快勝。さらには公営開催新潟競馬場で行われたB2級戦の新潟山形対抗戦に遠征すると、ここでも2着を10馬身以上千切る圧倒的な強さを見せつけた。それから、スルガスペインはその目標を上山競馬下半期のグランプリ競走だった樹氷賞へと向ける。宗形調教師ら関係者にとっても2300mの長丁場だけが不安要素だったが[9]、小雪がちらつく12月の寒さの中、スルガスペインは横綱競馬で3コーナーで先頭に立つと、続くフレツシユエプソム以下をあっという間に突き放していく。最終的に8馬身の着差をもって、この大一番を制した。そしてこのレースを最後に、スルガスペインは大井競馬場の蛯名末五郎調教師のもとに移籍する。

南関東時代[編集]

帝王賞へ[編集]

年が明けて6歳となって早々の1月末、スルガスペインは大井競馬場で行われた準重賞のベイサイドカップでハナセール以下の有力馬を破り、南関東競馬での緒戦を勝利で飾った。この際、当初は的場文男騎手[10]、ついで高橋三郎騎手へ騎乗が依頼されたが同騎手はハナセールへの騎乗を優先して断っており、結果的に以後長らくスルガスペインと苦楽を共にすることとなる佐々木竹見騎手が手綱を取っている。続いて同じく準重賞のスプリングカップを連勝し、いよいよスルガスペインは当時ブリーダーズゴールドカップオールカマーとともに数少ない中央・地方交流競走であった[11]帝王賞へと進む。ここまでの戦績は22戦21勝2着1回、総獲得賞金4772万円という、ほとんど完璧なものであった。

この年の帝王賞はすでに8歳ながら実績は随一のダイコウガルダンが1番人気に推され、前年の東京王冠賞馬であるハシルショウグンが2番人気。中央組からこの年のフェブラリーハンデを含む3連勝で波に乗っていたラシアンゴールドが3番人気に入り、スルガスペインはこの3頭に次ぐ4番人気となっている。レースの方では逃げる東海から遠征のハヤブサモンにぴったりつける2番手で追走すると、いつも通りほとんど追わないまま3コーナー入り口で先頭へたった。1馬身ほどのリードで直線に入ると、ダイコウガルダン、ラシアンゴールドがびっしり競り合いながら迫り、さらには大外から近走不振で6番人気となっていたナリタハヤブサも突っ込んでくる中を懸命に粘って先頭を守る。だがゴール板直前、実況の及川サトルアナウンサーが「いーいレースになった!」と叫んだその瞬間、スルガスペインはラシアンゴールド、続いてナリタハヤブサに交わされていき、3着の結果に終わった[12]

なお、このレースから2週間ほどあとの4月27日水沢競馬場トウケイニセイがデビュー以来14連勝を達成し、スルガスペインのそれと並んだ[13]。その後も順調に連勝を続け、最終的にその記録を18にまで伸ばしている。

二度目の挑戦[編集]

帝王賞ののち、スルガスペインは大井記念で重賞制覇を狙うも、ハシルショウグンに5馬身差を付けられる3着に終わった。その後はいったん長期の休養を取り、12月頭のかちどき賞で休み明け緒戦を迎える。ここを逃げ切ると続く東京大賞典でもハナを奪ったが、的場文男騎乗のヤマサンキングが2周目向こう正面半ばで一気に捲り上げ競りかけてくる厳しい展開が響き[14]、牝馬のドラールオウカンの4着に敗れた。だが翌春、7歳となって伝統の重賞金盃で始動したスルガスペインは、2番手から早めに動く競馬で抜け出すとそのまま快勝。ようやく南関東での重賞初制覇を果たした[15]。これに勢いをつけたスルガスペインは、昨年に引き続き帝王賞へと出走する。

この帝王賞では中央競馬カリブソングナリタハヤブサが人気となり、南関東側の大将格としてスルガスペインと前年の二冠馬グレイドショウリが3番人気をほぼ分け合った。レースではスルガスペインが逃げをうち、以下ダイカツジョンヌハシルショウグンと続く。直線に入ったところでいったんは後続を2馬身ほど突き放したが、残り200mを過ぎたあたりでふたたび差が縮まっていく。中ほどからダイカツジョンヌ、さらに外から的場文男騎乗のハシルショウグンがぐいぐいと迫り、ほぼ一列になったところがゴール板前。スルガスペインは、昨年と同じく3着に敗れた[16]

その後[編集]

この帝王賞ののち、スルガスペインはいったん緩めたあと7月末の関東盃に出走したが、まったくいいところがない9着に沈む。ぶっつけでの参戦となったグランドチャンピオン2000では早田秀治騎手に乗り変わったが、叩いて出ても道中5番手が精一杯とそれまでの快足ぶりがみられないまま[17]、1着から4.4秒差のブービーに敗れた。その後は長期休養に入り、ふたたび翌年の関東盃に出走したが12頭中12着とやはり結果は芳しくなかった。

そしてさらに半年休んだ末に、すでに9歳となっていたスルガスペインは再び大井競馬場へと舞い戻る。舞台はかつて自身が重賞勝利を挙げた金盃、そして鞍上には当時売り出し中の若手騎手であった内田博幸騎手が起用された。久々にスタートの出も悪くなく、ハナこそ佐々木竹見騎手騎乗のハナブサトップに奪われたものの、続く2番手の好位につける。ところが向こう正面半ばで突然故障を発生し、そのまま競走を中止。予後不良の診断となり、安楽死の処分が取られた[18]

血統表[編集]

スルガスペイン血統(オーエンテューダー系(ハイペリオン系) / 4代内アウトブリード (血統表の出典)

フイリツプオブスペイン
Philip of Spain
1969 黒鹿毛
父の父
Tudor Melody
1956 黒鹿毛
Tudor Minstrel 1944 Owen Tudor 1938
Sansonnet 1933
Matelda 1947 Dante 1942
Fairly Hot 1939
父の母
Lerida
1961 鹿毛
マタドア
Matador 1953
Golden Cloud 1941
Spanish Galantry 1945
Zepherin 1945 Pylon 1933
Gulabi 1941

ダイトクホマレ
1974 栗毛
セルテイツクアツシユ
Celtic Ash
1957  栃栗毛
Sicambre 1948 Prince Bio 1941
Sif 1936
Ash Plant 1948 Nepenthe 1938
Amboyna 1943
母の母
エロイーズ
1961 栗毛
パールダイヴアー
Pearl Diver 1944
Vatellor 1933
Pearl Cap 1928
エンパイヤ 1956 ブラツクウヰング Black Wing 1946
クモシズ 1946

父フィリップオブスペインはオーエンテューダーテューダーミンストレルへと続く快足馬の系譜の末裔。牝系はメジロボサツメジロドーベルを出したデヴオーニアからの傍流である。

脚注[編集]

  1. ^ 内競走中止1戦
  2. ^ 地元の一般紙によりつけられたもの。地方競馬全国協会『Furlong』1992年2月号、40頁。なお、蛇足ながらスルガスペインの毛色は鹿毛であり、オグリキャップはデビュー戦をマーチトウショウの2着に敗れている。
  3. ^ この間、一度だけ内田利雄騎手に乗り変わったほかは、一貫してデビュー戦にも騎乗した当時の宇都宮競馬リーディングジョッキー青木秀之騎手が騎乗している。
  4. ^ 地方競馬全国協会『Furlong』1991年6月号。
  5. ^ 地方競馬全国協会『Furlong』1991年9月号、62頁。
  6. ^ そのため、本来はメイン前の第10競走で行われるはずだったレースが第4競走へと移されている。地方競馬全国協会『Furlong』1991年9月号、62頁。
  7. ^ 従来の記録であるデビュー以来13連勝は、金沢競馬所属のリワードサンダー(外部リンク)、荒尾競馬所属のフアインバンド(外部リンク)が達成したもの。なお、両頭ともその中に地元重賞での勝ち星を含んでいる。
  8. ^ 地方競馬全国協会『Furlong』1991年10月号。
  9. ^ 地方競馬全国協会『Furlong』1992年2月号、40頁。
  10. ^ 直前の落馬により騎乗できず。
  11. ^ そのほか1995年以前のものとしては、1年限りの施行ながら名古屋市制100周年記念が施行されている。
  12. ^ レース結果はラシアンゴールド、ナリタハヤブサの1着同着
  13. ^ ただし、スルガスペインの出現後「2匹目のドジョウ」を狙ってか各地の地方競馬場で連勝馬が出現。日本一の記録自体はすでに更新されており、当時は16連勝となっていった。
  14. ^ http://www.tokyocitykeiba.com/special_page/special2013yearend/daisyouten_history.php
  15. ^ 『優駿』1993年5月号、日本中央競馬会、122頁
  16. ^ 『優駿』1993年6月号、日本中央競馬会、124頁
  17. ^ 地方競馬全国協会『Furlong』1993年12月号。
  18. ^ 地方競馬全国協会『Furlong』1995年5月号。

外部リンク[編集]