スリ (敬称)
スリまたはシュリー[注釈 1] (サンスクリット語：श्री； Shri）は、サンスクリット語に由来する語で、「光輝」「富」「繁栄」を意味し、主に敬称として用いられる。[1]
この語は、ヒンディー語をはじめとする南アジアおよび東南アジアの諸言語、さらにはフィリピンの諸言語において広く使用されている。地域ごとの音写慣習により、Sri、Sree、Shri、Shiri、Shree、Si、Seri など様々な表記が存在する。タミル語では「Tiru（திரு）」として発展した。
インド亜大陸および東南アジアでは、書き言葉・話し言葉の両方において、英語の「Mr.」に相当する丁寧な呼称として用いられる。
また、「スリ」は神々への尊称として、あるいは個人への敬称としても使用される。
ヒンドゥー教の女神ラクシュミーの別名でもあり、彼女を礼拝する際に用いられる神聖な図形は「Shri Yantra（श्री यन्त्र）」と呼ばれる。
語源
[編集]モニエル・ウィリアムズ辞典によれば、動詞「śrī」の語根には「煮る」「燃やす」「光を放つ」などの意味があるが、女性名詞としては「恩寵」「光輝」「美」「富」「繁栄」などの抽象的な意味を持つようになった。[2][3]
この語は形容詞としても用いられ、現代における敬称「スリ」の起源となっている。名詞「śrī」から派生した形容詞「śrīmat」（男性形：śrimān、女性形：śrīmatī）は、「光輝を有する者（神、人など）」を意味する。現代語では、既婚女性に対する敬称「Shrimati（略称：Smt）」として用いられ、また「Sushri（सुश्री）」は婚姻状況に関係なく女性一般に対して使用される。
用法
[編集]
「スリ」は、英語の「Mr.」「Ms.」に相当する丁寧な呼称である。[4]
また、ヒンドゥー教の神々に対する尊称として頻繁に用いられ、英語では「Holy」と訳されることもある。単独で用いられる場合、「スリ」は至高の意識、すなわち神を指すこともある。[要出典]
「スリ」は「Sridevi（श्रीदेवी）」としても知られ、ラクシュミーの別名である。[5][6]ヴェーダ文献では、「スリ」は女神として描かれ、神々が求める十の特質（食物、王権、神聖、国家、幸運、主権、高貴、力、正義、美）を具現化した存在とされる。後世のラクシュミー像は、このヴェーダ期の「スリ」と同一視されることが多い。[7]
現代の用例
[編集]文書の冒頭に「スリ」を中央揃えで記す慣習が広く見られる。
また、「Shri Shri」や「Shri Shri Shri」など、強調のために繰り返して用いられることもあり、王侯貴族の称号（例：Darbar Shri、Desai Shri、Thakur Shri）や、社会・精神運動「アーナンダ・マーガ（Ananda Marga）」の創始者「Shrii Shrii Anandamurti」の名にも見られる。
この敬称は、広く尊敬される対象や概念にも適用される。例えば、シク教の聖典『グル・グラント・サーヒブ』や、ラーマーヤナの演劇伝統「Ramlila」が制度として言及される際には「Shri Ramlila」と呼ばれる。
シク教の挨拶「サット・スリ・アカール；サット・スリ・アカール（グルムキー文字：ਸਤਿ ਸ੍ਰੀ ਅਕਾਲ）」は、「真理は神聖かつ永遠である」という意味であり、ここでの「Shri」は神性を表す。
他言語における使用例
[編集]南アジアおよび東南アジアの言語における「スリ」の表記と用法：
[編集]| 言語・文字体系 | 表記 | 備考 |
|---|---|---|
| ベンガル語・アッサム語（ベンガル文字） | শ্রী | 伝統的な敬称。 |
| バリ語 | jaimin | ジャワ語と同様、王族の名に冠される接頭辞。稲作文化の女神にも関連。 |
| ビルマ語 | သီရိ（thiri）、သရေ（tharay） | タミル語の用法と関連。 |
| ディベヒ語（モルディブ） | ސިރީ（siree または sirī） | スルタンや王の正式称号に使用。 |
| グジャラート語 | શ્રી | 敬称として使用。 |
| グルムキー文字（パンジャーブ語） | ਸ਼੍ਰੀ | シク教の宗教文書などに見られる。 |
| ジャワ語 | ꦱꦿꦶ（Sri）、または ꦯꦿꦶ、ꦯꦿꦷ | 王族や尊敬される人物（例：ジョグジャカルタ王 Sri Sultan Hamengkubuwono）への敬称。「Sri Bhaginda（陛下）」や稲の女神 Dewi Sri にも使用。現代では人名（例：財務相 Sri Mulyani、海兵隊士官 Sri Utomo）や地名・機関名（Sriwijaya Air、Sriwijaya University）にも広く用いられる。 |
| カンナダ語 | ಶ್ರೀ（Sri または Sree） | 敬称として一般的。 |
| クメール語 | ស្រី（Srey）、សេរី（Serey） | 敬称または人名に使用。 |
| ラーオ語 | ສີ（Si）、ສຣີ（Sri または Sree） | 敬称として使用。 |
| マレー語（マレーシア語・インドネシア語） | ジャウィ文字：سري、ラテン文字：Seri（マレーシア語）／Sri（インドネシア語） | マレー王国やスルタン国の敬称（例：ブルネイ国王 Paduka Seri Baginda Sultan Hassanal Bolkiah、マレーシア国王 Seri Paduka Baginda）。地名（Bandar Seri Begawan、Siak Sri Indrapura）や人名（Sri Mulyani、Sri Utomo、Sri Prakash Lohia）にも使用。最古の記録は4世紀のムラワルマン碑文「srimatah sri-narendrasya, kundungasya mahatmanah（高貴なる王クドゥンガ）」に見られる。 |
| マラヤーラム語 | ശ്രീ（Sri または Sree） | 敬称として使用。 |
| メイテイ語（マニプリ語） | ꯁ꯭ꯔꯤ（shri/sree/sri/sree） | 敬称として使用（例：Shri Biren、Shri Shri Govindaji Temple）。 |
| ネパール・バサ語 | 𑐱𑑂𑐬𑐷（Sri） | 敬称として使用。 |
| オリヤー語 | ଶ୍ରୀ | 敬称として使用。 |
| フィリピン諸語／バイバイン文字 | ᜐ᜔ᜇᜒ（Sri、Si、Sree） | 古代インド化国家における支配者の敬称（例：Sri Lumay、Sri Bata Shaja、Sripada、Sikatuna）。 |
| シンハラ語 | ශ්රී（Sri または Sree）、ශ්රී（Sri または Sree）、සිරි（Siri） | 「光輝」を意味し、地名「スリランカ（Sri Lanka）」にも使用。 |
| タミル語 | ஸ்ரீ（Sri または Sree） | 同義語「திரு（Tiru）」も使用される。 |
| テルグ語 | శ్రీ（Sri または Sree） | 敬称として一般的。 |
| タイ語 | ศิริ（Siri）、ศรี（Sri、Sree、Si） | 多くの地名に使用される。 |
| ベトナム語／チャム語 | Chế | チャム族における敬称の接頭辞のベトナム語音写。 |
地名における使用例
[編集]「スリ（श्री）」という敬称は、多くの地名に組み込まれている。以下はその一部である：
- シュリーハリコータ（Sriharikota）：インドの地名。
- スリマンガル（Srimangal）：バングラデシュの地名。
- スリセーラム（Srisailam）：アーンドラ・プラデーシュ州にあるシヴァ寺院。ヒンドゥー教における最も神聖な巡礼地の一つ。
- スリカークラム（Srikakulam）：アーンドラ・プラデーシュ州北部の町。
- スリー・シティ（Sri City）：アーンドラ・プラデーシュ州とタミル・ナードゥ州の州境に位置する統合型都市。
- シュリー・クシェートラ（Shri Kshetra）：オリッサ州のプリーにあるジャガンナート寺院の別称。ヒンドゥー教の四大聖地（チャール・ダーム）の一つ。
- スリー・マンディラ（Sree Mandira）：ジャガンナート（クリシュナ）を祀る有名なヒンドゥー寺院。オリッサ州プリーの沿岸部に所在。
- スリランカ（Sri Lanka）：インド南端に位置する島国。
- スリ・ペルンブドゥール（Sri Perumbudur）：タミル・ナードゥ州の町。
- スリランガム（Sri Rangam）：タミル・ナードゥ州ティルチラーパッリ市内の島状地域。
- スリナガル（Srinagar）：「ナガル」は「都市」を意味し、ジャンムー・カシミール連邦直轄地の首都。
- スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ（Sri Jayawardenapura Kotte）：スリランカの行政首都。
- スリ・マハー・ボーディ（Sri Maha Bodhi）：スリランカ・アヌラーダプラのマハメウナ庭園にある聖なる菩提樹。
- スリヴィジャヤ（Srivijaya）：インドネシア・スマトラ島を中心としたかつての王国。
- シアク・スリ・インドラプラ（Siak Sri Indrapura）：インドネシア・リアウ州シアク県の県都。かつてのスルタン国の所在地。
タイ・ラオス・東南アジアにおける地名
[編集]タイ語では「ศรี（Sri）」と表記され、通常「Si」と音写される。以下は代表的な地名：
- プラナコーン・シー・アユッタヤー（Phra Nakhon Si Ayutthaya / พระนครศรีอยุธยา）：アユッタヤー市および県の正式名称。
- ナコーン・シー・タマラート（Nakhon Si Thammarat / นครศรีธรรมราช）：市および県。
- シーサケート（Sisaket / ศรีสะเกษ）：市および県。
- シーラーチャー（Si Racha / ศรีราชา）：タイの町。ホットソース「シラチャー」の名称の由来。
- ワット・シー・サケット（Wat Si Saket）：ラオス・ヴィエンチャンにある寺院。
その他の地域
[編集]- バンダル・スリ・ブガワン（Bandar Seri Begawan）：ブルネイの首都。
- セリ・メナンティ（Seri Menanti）：マレーシア・ヌグリ・スンビラン州の王都。
- バンテアイ・スレイ（Banteay Srei）：カンボジア・アンコール遺跡にある10世紀のヒンドゥー寺院。
- スレイ・サントール（Srey Santhor）：カンボジア・コンポンチャム州の郡。
- セレイ・サオポアン（Serei Saophoan）：カンボジア・バンテアイ・メンチェイ州の州都。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ Other spellings include Shree, Sri, Sree, Shrih and śrī.
出典
[編集]- ^ “Shri”. Lexico. Oxford English Dictionary. 2019年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月30日閲覧。
- ^ Turner, Sir Ralph Lilley; Dorothy Rivers Turner (January 2006) [1962]. A comparative dictionary of the Indo-Aryan languages.. London: Oxford University Press. p. 736. オリジナルの15 December 2012時点におけるアーカイブ。 2010年4月22日閲覧. "śhrīˊ 12708 śhrīˊ feminine ' light, beauty ' R̥gveda, ' welfare, riches ' Avestan (Iranian) Pali Prakrit sirī – feminine, Prakrit sī – feminine ' prosperity '; Marāṭhī – s honorific affix to names of relationship (e.g. āj̈ā – s, ājī – s) Jules Bloch La Formation de la Langue Marathe Paris 1920, page 412. – Sinhalese siri ' health, happiness ' (Wilhelm Geiger An Etymological Glossary of the Sinhalese Language Colombo 1941, page 180) a loanword from Pali <-> See addendum śrḗyas –, śrḗṣṭha – . See Addenda: śrīˊ – occurring for the first time in Addenda : śrīparṇī – ."
- ^ Apte, Vaman Shivaram (1957–59). Revised and enlarged edition of Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English dictionary. Prasad Prakashan. p. 1575. "1 Wealth, riches, affluence, prosperity, plenty; ... -2 Royalty, majesty, royal wealth;... -3 Dignity, high position, state;... -4 Beauty, grace, splendour, lustre;... -5 Colour, aspect; ... -6 The goddess of wealth, Lak-ṣmī, the wife of Viṣṇu;... -7 Any virtue or excellence. -8 Decoration. -9 Intellect, understanding. -1 Super- human power. -11 The three objects of human existence taken collectively (धर्म, अर्थ and काम). -12 The Sarala tree. -13 The Bilva tree. -14 Cloves. -15 A lotus. -16 The twelfth digit of the moon. -17 N. of Sarasvatī, (the goddess of speech). -18 Speech. -19 Fame, glory. -2 The three Vedas (वेदत्रयी);... -m. N. of one of the six Rāgas or musical modes. -a. Splendid, radiant, adorning. (The word श्री is often used as an honorific prefix to the names of deities and eminent persons; श्रीकृष्णः, श्रीरामः, श्रिवाल्मीकिः, श्रीजयदेवः; also celebrated works, generally of a sacred character; श्रीभागवत, श्रीरामायण)&c.; it is also used as an auspicious sign at the commencement of letters, manuscripts &c"
- ^ Howard Measures (1962). Styles of address: a manual of usage in writing and in speech. Macmillan. pp. 136, 140 2011年1月19日閲覧。
- ^ Lochtefeld, James G. (2001l) (英語). The Illustrated Encyclopedia of Hinduism. The Rosen Publishing Group, Inc. p. 640. ISBN 978-0-8239-3179-8
- ^ “Lakshmi | Goddess of Wealth, Fortune & Prosperity | Britannica”. Encyclopædia Britannica (英語). 26 September 2023. 2023年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2023年10月1日閲覧.
- ^ Herman, Phyllis K.; Shimkhada, Deepak (2009-03-26) (英語). The Constant and Changing Faces of the Goddess: Goddess Traditions of Asia. Cambridge Scholars Publishing. pp. 56. ISBN 978-1-4438-0702-9. オリジナルの2023-06-21時点におけるアーカイブ。 2022年12月3日閲覧。