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スリランカの首相の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スリランカの首相の一覧(スリランカのしゅしょうのいちらん)では、スリランカ首相の一覧を掲載する。

概説

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スリランカの首相ポストは、同国がセイロンとして独立を果たす1年前に作られた。それ以降、合計14名が首相に就任している。1972年に同国が共和制を採用する前、首相はスリランカ政府を代表する地位にあった。しかし、共和制採用後は半大統領制となり、国家元首である大統領がその地位を担うようになり、首相の権限は縮小された[1][2]。また、1977年までは首相が外務・防衛大臣を兼任していたが、同年に当時の大統領J・R・ジャヤワルダナ国防省外務省英語版に分割して以降は別の政治家が閣僚として国防相、外相を務めるようになった。

現在のスリランカ憲法では、首相は内閣の首班という立場であり、副大統領としての役割も有する。そのため、もし大統領が任期中に死亡した場合には首相が臨時の大統領を務め、その後議会での投票または大統領選挙によって後任の大統領が選任される。実際に1993年に現職の大統領ラナシンハ・プレマダーサが暗殺された際には当時首相を務めていたディンギリ・バンダー・ウィジェートゥンガが一時的に大統領を務めた[3]

2015年4月28日、当時のマイトリーパーラ・シリセーナ大統領は憲法第19次修正を承認し、大統領の首相解任権を削除した。一方で大統領は引き続き国家元首、内閣の首班、軍の最高指揮官の地位を維持した。

1947年のポスト創設から合計14名が首相に就任しており、うち1名は4期、2名は3期、他の2名は2期務めている。また首相経験者のうち5名はその後大統領に就任している[4]

歴史上最も多く首相として宣誓した回数が多いのはラニル・ウィクラマシンハの5回[5](1993年、2001年、2015年1月、同年8月、2018年)であるが、ダッドリー・シェルトン・セーナーナーヤカシリマヴォ・バンダラナイケも3回宣誓をしている。また過去に最高裁判所によって首相職を停止されたのはマヒンダ・ラージャパクサのみである[6][7][8]

一覧

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所属政党

      統一国民党(7)       スリランカ自由党(6)       シンハラ言語戦線(1)       スリランカ人民戦線(1)       人民統一戦線(1)

セイロン (1948年–1972年)

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肖像 氏名
(生没年)
選挙区
任期

選挙
兼任 政党
(政党連合)
内閣 脚注
1 D・S・セーナーナーヤカ
දොන් ස්ටීවන් සේනානායක
டான் ஸ்டீபன் சேனாநாயக்க
D.S.Senanayaka
(1883–1952)
Mirigama
1947年
9月24日
1952年
3月22日
外務・防衛大臣 統一国民党 D. S. Senanayake 3rd [9]
1947年
セイロン初の首相。任期中にイギリスからの独立を果たしたが[10]任期中に病死した。
2 ダッドリー・セーナーナーヤカ
ඩඩ්ලි සේනානායක
டட்லி சேனநாயக்கா
Dudley Senanayaka
(1911–1973)
Dedigama
1952年
3月26日
1953年
10月12日
外務・防衛大臣
農業・土地大臣
保健・地方自治大臣
統一国民党 Dudley Senanayake I 3rd
4th
[9]
1952年
父D・S・セーナーナーヤカの死後、首相に任命される。1952年6月に実施された総選挙で勝利し、内閣解散をせずに任期を継続した。しかし翌年には首相を辞任している[11]
3 ジョン・コタラーワラ
ශ්‍රිමත් ජෝන් කොතලාවල
சேர் ஜோன் கொத்தலாவலை
John Kotelawala
(1897–1980)
Dodangaslanda
1953年
10月12日
1956年
4月12日
外務・防衛大臣
交通・土木大臣
統一国民党 Kotelawala 4th [9]
 —
任期中の1955年に国連へ加盟した[12][13]
4 ソロモン・バンダラナイケ
සොලමන් වෙස්ට් රිජ්වේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක
சாலமன் வெஸ்ட் ரிட்ஜ்வே டயஸ் பண்டாரநாயக்கா
S. W. R. D. Bandaranaike
(1899–1959)
Attanagalla
1956年
4月12日
1959年
9月26日
外務・防衛大臣 スリランカ自由党
(人民統一戦線英語版)
S. W. R. D. Bandaranaike 5th [9]
1956年
シンハラ・オンリー政策を実行し、公用語を英語とシンハラ語のみに変更した。任期中に暗殺される[14]
5 ウィジャヤナンダ・ダハナーヤカ
විජයානන්ද දහනායක
விஜயானந்த தகநாயக்கா
Wijeyananda Dahanayake
(1902–1997)
Galle
1959年
9月26日
1960年
3月20日
外務・防衛大臣 シンハラ言語戦線
(人民統一戦線英語版)
Dahanayake 5th [9]
 —
バンダラナイケの暗殺に伴い首相に就任した。しかし党内の対立を収められなかったため、やむをえず議会を解散した[15]
6 ダッドリー・セーナーナーヤカ
ඩඩ්ලි සේනානායක
டட்லி சேனநாயக்கா
Dudley Senanayaka
(1911–1973)
Dedigama
1960年
3月21日
1960年
7月21日
外務・防衛大臣 統一国民党 Dudley Senanayake II 6th [9]
1960年3月
就任からわずか1ヶ月後には選挙で敗北したが、7月21日まで任期を継続した。
7 シリマヴォ・バンダラナイケ
සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක
சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே
Sirimavo Bandaranayaka
(1916–2000)
1960年
7月21日
1965年
3月25日
外務・防衛大臣 スリランカ自由党 Sirimavo Bandaranaike I 7th [9]
1960年7月
女性として世界で初めて首相に就任した[16]。就任当時は国会議員ではなかったが、8月20日に上院から承認された。
8 ダッドリー・セーナーナーヤカ
ඩඩ්ලි සේනානායක
டட்லி சேனநாயக்கா
Dudley Senanayaka
(1911–1973)
Dedigama
1965年
3月25日
1970年
5月29日
外務・防衛大臣 統一国民党 Dudley Senanayake III 8th [9]
1965年
3期目の首相就任。単独過半数を獲得できなかったため、統一国民党以外の6政党と連立政権を樹立した。任期中は特に農業政策を重視[17]
9 シリマヴォ・バンダラナイケ
සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක
சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே
Sirimavo Bandaranayaka
(1916–2000)
Attanagalla
1970年
5月29日
1972年
5月22日
外務・防衛大臣
計画・雇用大臣
スリランカ自由党 Sirimavo Bandaranaike II 9th [9]
1970年
任期中に共和制へ移行し、国号もセイロンからスリランカに変更となった[16]


スリランカ民主社会主義共和国 (1972年–現在)

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肖像 氏名
(生没年)
選挙区
任期

選挙
兼任 政党
(政党連合)
内閣 脚注
(9) シリマヴォ・バンダラナイケ
සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක
சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே
Sirimavo Bandaranayaka
(1916–2000)
Attanagalla
1972年
5月22日
1977年
7月23日
外務・防衛大臣
計画・雇用大臣
スリランカ自由党 Sirimavo Bandaranaike II 10th [9]
 —
複数の企業を国有化し、特定の商品の輸入を制限した。しかしこれによって経済は不況に陥り、1977年選挙で敗北した[16]
10 J・R・ジャヤワルダナ
ජුනියස් රිචඩ් ජයවර්ධන
ஜூனியஸ் ரிச்சட் ஜயவர்தனா
J. R. Jayawardana
(1906–1996)
Colombo West
1977年
7月23日
1978年
2月4日
防衛大臣
計画・経済問題大臣
計画実行大臣
統一国民党 Jayewardene 11th [9]
1977年
1978年に半大統領制を導入し、その後自らが大統領に就任した[18]
11 ラナシンハ・プレマダーサ
රණසිංහ ප්‍රේමදාස
ரணசிங்க பிரேமதாசா
Ranasinghe Premadasa
(1924–1993)
Colombo Central
1978年
2月6日
1989年
1月2日
地方自治・住居・建設大臣 統一国民党 Jayewardene 11th
12th
[9]
 —
1978年の憲法改正によって首相の権限は大幅に制限された[19]
12 ディンギリ・バンダー・ウィジェートゥンガ
ඩිංගිරි බණ්ඩා විජේතුංග
டிங்கிரி பண்ட விஜேதுங்க
Dingiri Banda Wijetunga
(1916–2008)
Kandy
1989年
3月6日
1993年
5月7日
財務大臣
雇用・職業訓練大臣
統一国民党 Premadasa 13th [9]
1989年
大統領ラナシンハ・プレマダーサから意表をついた首相任命を受け、本人自身も非常に驚いていた[3]。1990年3月28日に一度辞任したが、2日後の30日に再び首相に就任した。
13 ラニル・ウィクラマシンハ
රනිල් වික්‍රමසිංහ
ரணில் விக்ரமசிங்க
Ranil Wickremesinghe
(1949–)
Gampaha
1993年
5月7日
1994年
8月19日
統一国民党 Wijetunga 13th [9]
 —
前大統領ラナシンハ・プレマダーサの暗殺後、新大統領に就任したウィジェートゥンガから首相に任命された[20]
14 チャンドリカ・クマーラトゥンガ
චන්ද්‍රිකා බණ්ඩාරනායක කුමාරතුංග
சந்திரிகா பண்டாரநாயக்கே குமாரதுங்கா
Chandrika Kumaratunga
(1945–)
Gampaha
1994年
8月19日
1994年
11月12日
スリランカ自由党
(人民連合)
Wijetunga 14th [9]
1994年
大統領選出馬し当選する前のおよそ3ヶ月間のみ首相を務めていた[21]
15 シリマヴォ・バンダラナイケ
සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක
சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே
Sirimavo Bandaranayaka
(1916–2000)
National List
1994年
11月14日
2000年
8月9日
スリランカ自由党
(人民連合)
Kumaratunga 14th [9]
 —
娘であるチャンドリカ・クマーラトゥンガの大統領就任後、首相に指名された。2000年に自ら辞任している[16]
16 ラトナシリ・ウィクラマナカ
රත්නසිරි වික්‍රමනායක
ரத்னசிறி விக்கிரமநாயக்க
Ratnasiri Wickremanayake
(1933–2016)
Kalutara
2000年
8月10日
2001年
12月7日
スリランカ自由党
(人民連合)
Kumaratunga 14th
15th
[9]
2000年
シリマヴォ・バンダラナイケの首相辞任後、周りの予想通り首相に就任した[2]
17 ラニル・ウィクラマシンハ
රනිල් වික්‍රමසිංහ
ரணில் விக்ரமசிங்க
Ranil Wickremesinghe
(1949–)
Colombo
2001年
12月9日
2004年
4月6日
統一国民党
(統一国民戦線)
Kumaratunga 16th [9]
2001年
大統領チャンドリカ・クマーラトゥンガから解任され、総選挙によってウィクラマシンハ内閣は短命に終わった[22]
18 マヒンダ・ラージャパクサ
මහින්ද රාජපක්ෂ
மகிந்த ராசபக்ச
Mahinda Rajapaksa
(1945–)
Hambantota
2004年
4月6日
2005年
11月19日
幹線道路大臣 スリランカ自由党
(統一人民自由同盟)
Kumaratunga 17th [9]
2004年
ウィクラマシンハの首相解任に伴う総選挙後、首相に任命された。その後2005年に行われた大統領選挙に当選し、首相は退任した[23]
19 ラトナシリ・ウィクラマナカ
රත්නසිරි වික්‍රමනායක
ரத்னசிறி விக்கிரமநாயக்க
Ratnasiri Wickremanayake
(1933–2016)
National List
2005年
11月19日
2010年
4月21日
スリランカ自由党
(統一人民自由同盟)
Mahinda Rajapaksa 17th [9]
 —
ラージャパクサの大統領就任後、首相に任命された[2]
20 D. M. ジャヤラトナ
දිසානායක මුදියන්සේලාගේ ජයරත්න
திசாநாயக்க முதியன்சேலாகே ஜயரத்ன
D. M. Jayaratne
(1931–2019)
National List
2010年
4月21日
2015年
1月9日
仏教・宗教問題大臣 スリランカ自由党
(統一人民自由同盟)
Mahinda Rajapaksa 18th [9]
2010年
2010年4月の総選挙後、首相に任命された。
21 ラニル・ウィクラマシンハ
රනිල් වික්‍රමසිංහ
ரணில் விக்ரமசிங்க
Ranil Wickremesinghe
(1949–)
Colombo
2015年
1月9日
2018年
10月26日
国家政策・経済問題大臣 統一国民党
(良い統治のための統一国民戦線)
Sirisena I 18th [9]
2015年 Sirisena II 19th
2015年に行われた大統領選挙で当選したマイトリーパーラ・シリセーナから首相に任命され、同年に行われた総選挙後も続投した。
22 マヒンダ・ラージャパクサ
මහින්ද රාජපක්ෂ
மகிந்த ராசபக்ச
Mahinda Rajapaksa
(1945–)
Kurunegala de facto
2018年
10月26日
2018年
12月15日
財務・経済問題大臣 スリランカ人民戦線
(統一人民自由同盟)
Sirisena III 19th [9]
シリセーナ大統領によるウィクラマシンハ首相解任に伴い任命されたが、議会の支持を得ることができなかった。スリランカ最高裁判所からも大統領の首相解任権は失われているとの判決が出たため、ラージャパクサは2ヶ月と経たずにウィクラマシンハに首相を譲った[24]
23 ラニル・ウィクラマシンハ
රනිල් වික්‍රමසිංහ
ரணில் விக்ரமசிங்க
Ranil Wickremesinghe
(1949–)
Colombo
2018年
12月16日
2019年
11月21日
国家政策・経済問題大臣 統一国民党
(良い統治のための統一国民戦線)
Sirisena IV 19th [9]
スリランカ憲政危機の後、首相に復帰した。
24 マヒンダ・ラージャパクサ
මහින්ද රාජපක්ෂ
மகிந்த ராசபக்ச
Mahinda Rajapaksa
(1945–)
Kurunegala
2019年
11月21日
2022年
5月12日
財務大臣
都市開発・住居大臣
仏教・宗教問題大臣
スリランカ人民戦線
(スリランカ人民自由同盟)
Gotabaya Rajapaksa I 19th [9]
2020年 Gotabaya Rajapaksa II 20th
2019年大統領選挙で弟のゴーターバヤ・ラージャパクサが大統領に当選し、彼から任命を受けて首相に就任。1年後に行われた総選挙でも勝利した。
25 ラニル・ウィクラマシンハ
රනිල් වික්‍රමසිංහ
ரணில் விக்ரமசிங்க
Ranil Wickremesinghe
(1949–)
Colombo
2022年
5月12日
(現職) 財務大臣 統一国民党
(良い統治のための統一国民戦線)
Gotabaya Rajapaksa IV 20th [9]
2022年7月13日にゴーターバヤ・ラージャパクサ大統領が国外に逃亡し、大統領代行に指名された。
26 ディネーシュ・グナワルダナ
දිනේෂ් ගුණවර්ධන
தினேஷ் குணவர்தன
Dinesh Gunawardena
(1949–)
Colombo
2022年
7月22日
(現職) 内務大臣 人民統一戦線 Wickremesinghe 20th [9]
ウィクラマシンハの大統領就任に伴い任命された。

脚注

[編集]
  1. ^ Jayanth, V. (2003年11月15日). “Sri Lanka's executive presidency”. The Hindu. 2004年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月5日閲覧。
  2. ^ a b c Sambandan, V.S. (2005年11月22日). “Ratnasiri Wickremanayake appointed Sri Lankan Premier”. The Hindu. 10 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  3. ^ a b Dassanayake, M.B. (2008年9月22日). “Dingiri Banda Wijetunga - the journey to greatness”. Daily News. 27 September 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  4. ^ Wanniarachchi, Lakruwan (2015年1月10日). “Sri Lanka's new president gets down to mending ties”. Business Insider AFP. 13 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ2015年1月10日閲覧。
  5. ^ Archived copy”. 22 December 2016時点のオリジナルよりアーカイブ26 December 2016閲覧。
  6. ^ Sri Lankan court bars Rajapakse from working as PM”. DAWN (2018年12月4日). 30 October 2019時点のオリジナルよりアーカイブ30 October 2019閲覧。
  7. ^ Kuruwita, Rathindra; Rasheed, Zaheena (2018年12月3日). “Sri Lanka temporarily bars Rajapaksa from acting as PM”. Al Jazeera (Colombo). オリジナルの2019年10月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191030040929/https://www.aljazeera.com/news/2018/12/sri-lanka-temporarily-bars-mahinda-rajapaksa-acting-pm-181203103521819.html 2022年3月17日閲覧。 
  8. ^ Sri Lanka court denies Rajapakse authority to act as PM”. AFP (2018年12月3日). 30 October 2019時点のオリジナルよりアーカイブ30 October 2019閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa Prime Ministers”. Parliament.lk. 18 January 2014時点のオリジナルよりアーカイブ4 January 2014閲覧。
  10. ^ Senanayake, Don Stephen (1884–1952)”. The History Channel. 27 May 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  11. ^ Kurukularatne, Buddhika (2007年6月19日). “Dudley – the reluctant Prince”. Daily Mirror. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  12. ^ Rajasingham, K.T. (2001年11月17日). “Sri Lanka: The Untold Story”. Asia Times Online. 2018年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月6日閲覧。
  13. ^ 国連加盟国加盟年順序”. 国連広報センター. 2022年3月16日閲覧。
  14. ^ Bandaranaike, Solomon West Ridgeway Dias”. history.com. 2008年10月4日閲覧。[リンク切れ]
  15. ^ Short Term”. Time (1959年12月14日). 26 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月11日閲覧。
  16. ^ a b c d Sirimavo Bandaranaike: First woman premier”. BBC News (2000年10月10日). 6 December 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  17. ^ de Silva, Neville. “A Prime Minister who knew his onions”. UK Lanka Times. 29 January 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月6日閲覧。
  18. ^ Former Sri Lanka president dies, leaves mixed legacy”. CNN (1996年11月1日). 2008年10月4日閲覧。[リンク切れ]
  19. ^ Crossette, Barbara (1988年12月21日). “MAN IN THE NEWS: Ranasinghe Premadasa; Sri Lankan At the Top”. The New York Times. 2008年10月5日閲覧。
  20. ^ Profile: Ranil Wickramasinghe”. BBC News (2005年11月22日). 2 August 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  21. ^ Hon Chandrika Bandaranaike Kumaratunga (1994–2005)”. Government of Sri Lanka. 3 June 2004時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  22. ^ Sri Lanka”. The History Channel. 22 May 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  23. ^ President's Profile”. The President's Fund of Sri Lanka. 4 July 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
  24. ^ Sri Lanka parliament passes no-confidence motion against Mahinda Rajapaksa” (2018年11月14日). 29 August 2019時点のオリジナルよりアーカイブ16 December 2018閲覧。