スリランカの首相の一覧
スリランカの首相の一覧(スリランカのしゅしょうのいちらん)では、スリランカの首相の一覧を掲載する。
概説
[編集]スリランカの首相ポストは、同国がセイロンとして独立を果たす1年前に作られた。それ以降、合計14名が首相に就任している。1972年に同国が共和制を採用する前、首相はスリランカ政府を代表する地位にあった。しかし、共和制採用後は半大統領制となり、国家元首である大統領がその地位を担うようになり、首相の権限は縮小された[1][2]。また、1977年までは首相が外務・防衛大臣を兼任していたが、同年に当時の大統領J・R・ジャヤワルダナが国防省と外務省に分割して以降は別の政治家が閣僚として国防相、外相を務めるようになった。
現在のスリランカ憲法では、首相は内閣の首班という立場であり、副大統領としての役割も有する。そのため、もし大統領が任期中に死亡した場合には首相が臨時の大統領を務め、その後議会での投票または大統領選挙によって後任の大統領が選任される。実際に1993年に現職の大統領ラナシンハ・プレマダーサが暗殺された際には当時首相を務めていたディンギリ・バンダー・ウィジェートゥンガが一時的に大統領を務めた[3]。
2015年4月28日、当時のマイトリーパーラ・シリセーナ大統領は憲法第19次修正を承認し、大統領の首相解任権を削除した。一方で大統領は引き続き国家元首、内閣の首班、軍の最高指揮官の地位を維持した。
1947年のポスト創設から合計14名が首相に就任しており、うち1名は4期、2名は3期、他の2名は2期務めている。また首相経験者のうち5名はその後大統領に就任している[4]。
歴史上最も多く首相として宣誓した回数が多いのはラニル・ウィクラマシンハの5回[5](1993年、2001年、2015年1月、同年8月、2018年)であるが、ダッドリー・シェルトン・セーナーナーヤカとシリマヴォ・バンダラナイケも3回宣誓をしている。また過去に最高裁判所によって首相職を停止されたのはマヒンダ・ラージャパクサのみである[6][7][8]。
一覧
[編集]- 所属政党
統一国民党(7) スリランカ自由党(6) シンハラ言語戦線(1) スリランカ人民戦線(1) 人民統一戦線(1)
セイロン (1948年–1972年)
[編集]代 | 肖像 | 氏名 (生没年) 選挙区 |
任期 — 選挙 |
兼任 | 政党 (政党連合) |
内閣 | 脚注 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | D・S・セーナーナーヤカ දොන් ස්ටීවන් සේනානායක டான் ஸ்டீபன் சேனாநாயக்க D.S.Senanayaka (1883–1952) Mirigama |
1947年 9月24日 |
1952年 3月22日 |
外務・防衛大臣 | 統一国民党 | D. S. Senanayake | 3rd | [9] | ||
1947年 | ||||||||||
セイロン初の首相。任期中にイギリスからの独立を果たしたが[10]任期中に病死した。 | ||||||||||
2 | ダッドリー・セーナーナーヤカ ඩඩ්ලි සේනානායක டட்லி சேனநாயக்கா Dudley Senanayaka (1911–1973) Dedigama |
1952年 3月26日 |
1953年 10月12日 |
外務・防衛大臣 農業・土地大臣 保健・地方自治大臣 |
統一国民党 | Dudley Senanayake I | 3rd 4th |
[9] | ||
1952年 | ||||||||||
父D・S・セーナーナーヤカの死後、首相に任命される。1952年6月に実施された総選挙で勝利し、内閣解散をせずに任期を継続した。しかし翌年には首相を辞任している[11]。 | ||||||||||
3 | ジョン・コタラーワラ ශ්රිමත් ජෝන් කොතලාවල சேர் ஜோன் கொத்தலாவலை John Kotelawala (1897–1980) Dodangaslanda |
1953年 10月12日 |
1956年 4月12日 |
外務・防衛大臣 交通・土木大臣 |
統一国民党 | Kotelawala | 4th | [9] | ||
— | ||||||||||
任期中の1955年に国連へ加盟した[12][13]。 | ||||||||||
4 | ソロモン・バンダラナイケ සොලමන් වෙස්ට් රිජ්වේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක சாலமன் வெஸ்ட் ரிட்ஜ்வே டயஸ் பண்டாரநாயக்கா S. W. R. D. Bandaranaike (1899–1959) Attanagalla |
1956年 4月12日 |
1959年 9月26日 |
外務・防衛大臣 | スリランカ自由党 (人民統一戦線) |
S. W. R. D. Bandaranaike | 5th | [9] | ||
1956年 | ||||||||||
シンハラ・オンリー政策を実行し、公用語を英語とシンハラ語のみに変更した。任期中に暗殺される[14]。 | ||||||||||
5 | ウィジャヤナンダ・ダハナーヤカ විජයානන්ද දහනායක விஜயானந்த தகநாயக்கா Wijeyananda Dahanayake (1902–1997) Galle |
1959年 9月26日 |
1960年 3月20日 |
外務・防衛大臣 | シンハラ言語戦線 (人民統一戦線) |
Dahanayake | 5th | [9] | ||
— | ||||||||||
バンダラナイケの暗殺に伴い首相に就任した。しかし党内の対立を収められなかったため、やむをえず議会を解散した[15]。 | ||||||||||
6 | ダッドリー・セーナーナーヤカ ඩඩ්ලි සේනානායක டட்லி சேனநாயக்கா Dudley Senanayaka (1911–1973) Dedigama |
1960年 3月21日 |
1960年 7月21日 |
外務・防衛大臣 | 統一国民党 | Dudley Senanayake II | 6th | [9] | ||
1960年3月 | ||||||||||
就任からわずか1ヶ月後には選挙で敗北したが、7月21日まで任期を継続した。 | ||||||||||
7 | シリマヴォ・バンダラナイケ සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே Sirimavo Bandaranayaka (1916–2000) |
1960年 7月21日 |
1965年 3月25日 |
外務・防衛大臣 | スリランカ自由党 | Sirimavo Bandaranaike I | 7th | [9] | ||
1960年7月 | ||||||||||
女性として世界で初めて首相に就任した[16]。就任当時は国会議員ではなかったが、8月20日に上院から承認された。 | ||||||||||
8 | ダッドリー・セーナーナーヤカ ඩඩ්ලි සේනානායක டட்லி சேனநாயக்கா Dudley Senanayaka (1911–1973) Dedigama |
1965年 3月25日 |
1970年 5月29日 |
外務・防衛大臣 | 統一国民党 | Dudley Senanayake III | 8th | [9] | ||
1965年 | ||||||||||
3期目の首相就任。単独過半数を獲得できなかったため、統一国民党以外の6政党と連立政権を樹立した。任期中は特に農業政策を重視[17]。 | ||||||||||
9 | シリマヴォ・バンダラナイケ සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே Sirimavo Bandaranayaka (1916–2000) Attanagalla |
1970年 5月29日 |
1972年 5月22日 |
外務・防衛大臣 計画・雇用大臣 |
スリランカ自由党 | Sirimavo Bandaranaike II | 9th | [9] | ||
1970年 | ||||||||||
任期中に共和制へ移行し、国号もセイロンからスリランカに変更となった[16]。 |
スリランカ民主社会主義共和国 (1972年–現在)
[編集]代 | 肖像 | 氏名 (生没年) 選挙区 |
任期 — 選挙 |
兼任 | 政党 (政党連合) |
内閣 | 脚注 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
(9) | シリマヴォ・バンダラナイケ සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே Sirimavo Bandaranayaka (1916–2000) Attanagalla |
1972年 5月22日 |
1977年 7月23日 |
外務・防衛大臣 計画・雇用大臣 |
スリランカ自由党 | Sirimavo Bandaranaike II | 10th | [9] | ||
— | ||||||||||
複数の企業を国有化し、特定の商品の輸入を制限した。しかしこれによって経済は不況に陥り、1977年選挙で敗北した[16]。 | ||||||||||
10 | J・R・ジャヤワルダナ ජුනියස් රිචඩ් ජයවර්ධන ஜூனியஸ் ரிச்சட் ஜயவர்தனா J. R. Jayawardana (1906–1996) Colombo West |
1977年 7月23日 |
1978年 2月4日 |
防衛大臣 計画・経済問題大臣 計画実行大臣 |
統一国民党 | Jayewardene | 11th | [9] | ||
1977年 | ||||||||||
1978年に半大統領制を導入し、その後自らが大統領に就任した[18]。 | ||||||||||
11 | ラナシンハ・プレマダーサ රණසිංහ ප්රේමදාස ரணசிங்க பிரேமதாசா Ranasinghe Premadasa (1924–1993) Colombo Central |
1978年 2月6日 |
1989年 1月2日 |
地方自治・住居・建設大臣 | 統一国民党 | Jayewardene | 11th 12th |
[9] | ||
— | ||||||||||
1978年の憲法改正によって首相の権限は大幅に制限された[19]。 | ||||||||||
12 | ディンギリ・バンダー・ウィジェートゥンガ ඩිංගිරි බණ්ඩා විජේතුංග டிங்கிரி பண்ட விஜேதுங்க Dingiri Banda Wijetunga (1916–2008) Kandy |
1989年 3月6日 |
1993年 5月7日 |
財務大臣 雇用・職業訓練大臣 |
統一国民党 | Premadasa | 13th | [9] | ||
1989年 | ||||||||||
大統領ラナシンハ・プレマダーサから意表をついた首相任命を受け、本人自身も非常に驚いていた[3]。1990年3月28日に一度辞任したが、2日後の30日に再び首相に就任した。 | ||||||||||
13 | ラニル・ウィクラマシンハ රනිල් වික්රමසිංහ ரணில் விக்ரமசிங்க Ranil Wickremesinghe (1949–) Gampaha |
1993年 5月7日 |
1994年 8月19日 |
統一国民党 | Wijetunga | 13th | [9] | |||
— | ||||||||||
前大統領ラナシンハ・プレマダーサの暗殺後、新大統領に就任したウィジェートゥンガから首相に任命された[20]。 | ||||||||||
14 | チャンドリカ・クマーラトゥンガ චන්ද්රිකා බණ්ඩාරනායක කුමාරතුංග சந்திரிகா பண்டாரநாயக்கே குமாரதுங்கா Chandrika Kumaratunga (1945–) Gampaha |
1994年 8月19日 |
1994年 11月12日 |
スリランカ自由党 (人民連合) |
Wijetunga | 14th | [9] | |||
1994年 | ||||||||||
大統領選出馬し当選する前のおよそ3ヶ月間のみ首相を務めていた[21]。 | ||||||||||
15 | シリマヴォ・バンダラナイケ සිරිමාවො රත්වත්තේ ඩයස් බණ්ඩාරනායක சிறிமா ரத்வத்தே டயஸ் பண்டாரநாயக்கே Sirimavo Bandaranayaka (1916–2000) National List |
1994年 11月14日 |
2000年 8月9日 |
スリランカ自由党 (人民連合) |
Kumaratunga | 14th | [9] | |||
— | ||||||||||
娘であるチャンドリカ・クマーラトゥンガの大統領就任後、首相に指名された。2000年に自ら辞任している[16]。 | ||||||||||
16 | ラトナシリ・ウィクラマナカ රත්නසිරි වික්රමනායක ரத்னசிறி விக்கிரமநாயக்க Ratnasiri Wickremanayake (1933–2016) Kalutara |
2000年 8月10日 |
2001年 12月7日 |
スリランカ自由党 (人民連合) |
Kumaratunga | 14th 15th |
[9] | |||
2000年 | ||||||||||
シリマヴォ・バンダラナイケの首相辞任後、周りの予想通り首相に就任した[2]。 | ||||||||||
17 | ラニル・ウィクラマシンハ රනිල් වික්රමසිංහ ரணில் விக்ரமசிங்க Ranil Wickremesinghe (1949–) Colombo |
2001年 12月9日 |
2004年 4月6日 |
統一国民党 (統一国民戦線) |
Kumaratunga | 16th | [9] | |||
2001年 | ||||||||||
大統領チャンドリカ・クマーラトゥンガから解任され、総選挙によってウィクラマシンハ内閣は短命に終わった[22]。 | ||||||||||
18 | マヒンダ・ラージャパクサ මහින්ද රාජපක්ෂ மகிந்த ராசபக்ச Mahinda Rajapaksa (1945–) Hambantota |
2004年 4月6日 |
2005年 11月19日 |
幹線道路大臣 | スリランカ自由党 (統一人民自由同盟) |
Kumaratunga | 17th | [9] | ||
2004年 | ||||||||||
ウィクラマシンハの首相解任に伴う総選挙後、首相に任命された。その後2005年に行われた大統領選挙に当選し、首相は退任した[23]。 | ||||||||||
19 | ラトナシリ・ウィクラマナカ රත්නසිරි වික්රමනායක ரத்னசிறி விக்கிரமநாயக்க Ratnasiri Wickremanayake (1933–2016) National List |
2005年 11月19日 |
2010年 4月21日 |
スリランカ自由党 (統一人民自由同盟) |
Mahinda Rajapaksa | 17th | [9] | |||
— | ||||||||||
ラージャパクサの大統領就任後、首相に任命された[2]。 | ||||||||||
20 | D. M. ジャヤラトナ දිසානායක මුදියන්සේලාගේ ජයරත්න திசாநாயக்க முதியன்சேலாகே ஜயரத்ன D. M. Jayaratne (1931–2019) National List |
2010年 4月21日 |
2015年 1月9日 |
仏教・宗教問題大臣 | スリランカ自由党 (統一人民自由同盟) |
Mahinda Rajapaksa | 18th | [9] | ||
2010年 | ||||||||||
2010年4月の総選挙後、首相に任命された。 | ||||||||||
21 | ラニル・ウィクラマシンハ රනිල් වික්රමසිංහ ரணில் விக்ரமசிங்க Ranil Wickremesinghe (1949–) Colombo |
2015年 1月9日 |
2018年 10月26日 |
国家政策・経済問題大臣 | 統一国民党 (良い統治のための統一国民戦線) |
Sirisena I | 18th | [9] | ||
2015年 | Sirisena II | 19th | ||||||||
2015年に行われた大統領選挙で当選したマイトリーパーラ・シリセーナから首相に任命され、同年に行われた総選挙後も続投した。 | ||||||||||
22 | マヒンダ・ラージャパクサ මහින්ද රාජපක්ෂ மகிந்த ராசபக்ச Mahinda Rajapaksa (1945–) Kurunegala de facto |
2018年 10月26日 |
2018年 12月15日 |
財務・経済問題大臣 | スリランカ人民戦線 (統一人民自由同盟) |
Sirisena III | 19th | [9] | ||
— | ||||||||||
シリセーナ大統領によるウィクラマシンハ首相解任に伴い任命されたが、議会の支持を得ることができなかった。スリランカ最高裁判所からも大統領の首相解任権は失われているとの判決が出たため、ラージャパクサは2ヶ月と経たずにウィクラマシンハに首相を譲った[24]。 | ||||||||||
23 | ラニル・ウィクラマシンハ රනිල් වික්රමසිංහ ரணில் விக்ரமசிங்க Ranil Wickremesinghe (1949–) Colombo |
2018年 12月16日 |
2019年 11月21日 |
国家政策・経済問題大臣 | 統一国民党 (良い統治のための統一国民戦線) |
Sirisena IV | 19th | [9] | ||
– | ||||||||||
スリランカ憲政危機の後、首相に復帰した。 | ||||||||||
24 | マヒンダ・ラージャパクサ මහින්ද රාජපක්ෂ மகிந்த ராசபக்ச Mahinda Rajapaksa (1945–) Kurunegala |
2019年 11月21日 |
2022年 5月12日 |
財務大臣 都市開発・住居大臣 仏教・宗教問題大臣 |
スリランカ人民戦線 (スリランカ人民自由同盟) |
Gotabaya Rajapaksa I | 19th | [9] | ||
2020年 | Gotabaya Rajapaksa II | 20th | ||||||||
2019年大統領選挙で弟のゴーターバヤ・ラージャパクサが大統領に当選し、彼から任命を受けて首相に就任。1年後に行われた総選挙でも勝利した。 | ||||||||||
25 | ラニル・ウィクラマシンハ රනිල් වික්රමසිංහ ரணில் விக்ரமசிங்க Ranil Wickremesinghe (1949–) Colombo |
2022年 5月12日 |
(現職) | 財務大臣 | 統一国民党 (良い統治のための統一国民戦線) |
Gotabaya Rajapaksa IV | 20th | [9] | ||
– | ||||||||||
2022年7月13日にゴーターバヤ・ラージャパクサ大統領が国外に逃亡し、大統領代行に指名された。 | ||||||||||
26 | ディネーシュ・グナワルダナ දිනේෂ් ගුණවර්ධන தினேஷ் குணவர்தன Dinesh Gunawardena (1949–) Colombo |
2022年 7月22日 |
(現職) | 内務大臣 | 人民統一戦線 | Wickremesinghe | 20th | [9] | ||
– | ||||||||||
ウィクラマシンハの大統領就任に伴い任命された。 |
脚注
[編集]- ^ Jayanth, V. (2003年11月15日). “Sri Lanka's executive presidency”. The Hindu. 2004年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月5日閲覧。
- ^ a b c Sambandan, V.S. (2005年11月22日). “Ratnasiri Wickremanayake appointed Sri Lankan Premier”. The Hindu. 10 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ a b Dassanayake, M.B. (2008年9月22日). “Dingiri Banda Wijetunga - the journey to greatness”. Daily News. 27 September 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ Wanniarachchi, Lakruwan (2015年1月10日). “Sri Lanka's new president gets down to mending ties”. Business Insider AFP. 13 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月10日閲覧。
- ^ “Archived copy”. 22 December 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。26 December 2016閲覧。
- ^ “Sri Lankan court bars Rajapakse from working as PM”. DAWN (2018年12月4日). 30 October 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。30 October 2019閲覧。
- ^ Kuruwita, Rathindra; Rasheed, Zaheena (2018年12月3日). “Sri Lanka temporarily bars Rajapaksa from acting as PM”. Al Jazeera (Colombo). オリジナルの2019年10月30日時点におけるアーカイブ。 2022年3月17日閲覧。
- ^ “Sri Lanka court denies Rajapakse authority to act as PM”. AFP (2018年12月3日). 30 October 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。30 October 2019閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa “Prime Ministers”. Parliament.lk. 18 January 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。4 January 2014閲覧。
- ^ “Senanayake, Don Stephen (1884–1952)”. The History Channel. 27 May 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ Kurukularatne, Buddhika (2007年6月19日). “Dudley – the reluctant Prince”. Daily Mirror. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ Rajasingham, K.T. (2001年11月17日). “Sri Lanka: The Untold Story”. Asia Times Online. 2018年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月6日閲覧。
- ^ “国連加盟国加盟年順序”. 国連広報センター. 2022年3月16日閲覧。
- ^ “Bandaranaike, Solomon West Ridgeway Dias”. history.com. 2008年10月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Short Term”. Time (1959年12月14日). 26 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月11日閲覧。
- ^ a b c d “Sirimavo Bandaranaike: First woman premier”. BBC News (2000年10月10日). 6 December 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ de Silva, Neville. “A Prime Minister who knew his onions”. UK Lanka Times. 29 January 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月6日閲覧。
- ^ “Former Sri Lanka president dies, leaves mixed legacy”. CNN (1996年11月1日). 2008年10月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ Crossette, Barbara (1988年12月21日). “MAN IN THE NEWS: Ranasinghe Premadasa; Sri Lankan At the Top”. The New York Times. 2008年10月5日閲覧。
- ^ “Profile: Ranil Wickramasinghe”. BBC News (2005年11月22日). 2 August 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ “Hon Chandrika Bandaranaike Kumaratunga (1994–2005)”. Government of Sri Lanka. 3 June 2004時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ “Sri Lanka”. The History Channel. 22 May 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ “President's Profile”. The President's Fund of Sri Lanka. 4 July 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ “Sri Lanka parliament passes no-confidence motion against Mahinda Rajapaksa” (2018年11月14日). 29 August 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。16 December 2018閲覧。