スベトラーナ・ボギンスカヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
スヴェトラーナ・ボギンスカヤ Gymnastics (artistic) pictogram.svg
国籍 ベラルーシの旗 ベラルーシ
旧国籍 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
EUNの旗 EUN
生誕地 ソビエト連邦:ベラルーシミンスク
身長 162cm[1]
体重 41kg[1]
代表 1987年 - 1991年(ソ連)
引退 1997年
 
獲得メダル
オリンピック
1992 団体
1988 団体
1988 跳馬
1988 ゆか
1988 個人総合
世界選手権
1991 インディアナポリス 団体
1991 インディアナポリス 平均台
1989 シュトゥットガルト 団体
1989 シュトゥットガルト 個人総合
1989 シュトゥットガルト ゆか
1992 パリ 跳馬
1991 インディアナポリス 個人総合
1987 ロッテルダム 団体
1987 ロッテルダム 平均台
テンプレートを表示

スヴェトラーナ・レオニドヴナ・ボギンスカヤ(Svetlana Leonidovna Boguinskaia、1973年2月9日 - )は、ベラルーシ出身の元体操競技選手

略歴[編集]

もともとフィギュアスケートをやっていたが、6歳で体操を始め、8歳からモスクワで指導を受ける。

ソビエト連邦代表として、1987年世界体操競技選手権ロッテルダム)で初のメダルを獲得した。翌年のソウル五輪でも、団体総合・跳馬の優勝を含む4つのメダルを獲得。しかし、五輪終了3日後に、コーチのリュボフィ・ベガックが自殺。プレッシャーから精神的に追いつめられていたこともあり、引退してしまう[2]

翌1989年に代表復帰。1989年世界体操競技選手権シュトゥットガルト)では、ついに個人総合優勝を果たす。1990年の欧州選手権では、個人全種目で優勝。体操選手としてはやや長身かつ女性らしい体型で、小柄で痩身の選手が活躍する時代にあって、優美で艶やかな演技に定評があった[2]

しかし、1991年にソビエト連邦が崩壊。翌1992年のバルセロナオリンピックには独立国家共同体(EUN)として出場し、十分とは言えない練習環境の中、ボギンスカヤもエースとして活躍。団体総合優勝10連勝[3] を達成し、ソ連の有終の美を飾った。個人総合では、チームメイトのタチアナ・グツーが番狂わせ[4] で優勝。接戦の末5位に終わったボギンスカヤは、グツーを抱きしめて祝福した。

競技選手を引退し、米国でショー出演やコーチをしていた。1994年になって、テレビで体操の国際大会を「観客」の側から見て感動し、現役復帰を決意[2]ドミニク・モセアヌとともにベラ・カロリーの指導を受けた[5]1995年世界体操競技選手権(福井県鯖江市)では個人総合16位だったが、1996年の欧州選手権個人総合で2位となった。同年のアトランタ五輪にも出場し、メダルこそ届かなかったが、個人総合で14位、跳馬で5位入賞した。

1997年に引退。2005年に世界体操殿堂入り。現在はアメリカのヒューストン在住。結婚し一男一女がある。

脚注[編集]

  1. ^ a b 1992年8月3日 朝日新聞「元女王も嘆く体操の“曲芸化”」
  2. ^ a b c 1996年7月26日 朝日新聞「人形 氷のような女王に笑顔」
  3. ^ ボイコット不参加の1984年ロス五輪を除く
  4. ^ 一カ国3人まで出場できた。予選でチーム内3位のロザリア・ガリエワが欠場し、4位だったグツーが急遽出場することになった。グツーはボギンスカヤの後継者として期待されていた。
  5. ^ 1996年7月10日 読売新聞「期待と興奮 アトランタ対決 世界のライバル、栄光へ闘志激突」

外部リンク[編集]