スズキ・LJ50型エンジン

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LJ50(エルジェイごじゅう)は、かつてスズキ自動車が製造していた、自動車ガソリンエンジンである。

本項においては、当エンジンの前身であるL50、および横置きトランスミッション用のT4AT5AT5Bについてもあわせて解説する。

主要項目[編集]

概要と沿革[編集]

パワー競争の申し子[編集]

1958年に発売された富士重工スバル360以来、軽自動車大衆車として、日本のモータリゼーションの発展を支えていた。しかし、1967年本田技研工業から、4ストロークエンジンを持ち、31psグロス値)を誇るホンダ・N360が発売されると、それまでの普及型自動車の性格から一変、軽自動車は熾烈な出力向上競争におかれる事になった。

スズキも強力形エンジンとしてLC10型を登場させ、フロンテのスポーツモデルでは36psを達成した。しかし、空冷だったことからいわゆる熱ダレ(シリンダーヘッド過熱により出力が低下する状態)が避けられず、主力車種であるフロンテ、キャリイ、そして過酷な運用条件を強いられるジムニー用として、水冷エンジンの開発が進められた。

こうして1971年LC10Wはフロンテのマイナーチェンジと共に登場した。 LC10Wは水冷直列3気筒で、排気量356cc。スポーツモデルは37psを発生し、これを搭載したフロンテは、当時の1500ccクラス並と言われた[要出典]

排ガス規制と550cc化[編集]

他社においては、自動車排出ガス規制のクリアの為、構造上未燃焼ガスの放出が避けられない2ストロークエンジンから、4ストロークエンジンへの移行が進んだ。しかし、ホンダとは逆に4ストロークエンジンの技術に乏しいスズキは、2ストロークに固執せざるを得なかった。また、商品的に見ても、トルクが減少し扱いづらくなる4ストローク化は出来れば避けたかった。

そこで、掃気時の未燃焼ガスの排気ポート流出を防ぐロータリーエキゾーストバルブを設置。これにエキスパンションチャンバーを併用することにより、未燃焼ガスの放出を抑制。2ストロークエンジンでありながら昭和51年排気ガス規制を達成。形式は新たにL50となった。他社が断念したスポーツエンジンもこれをクリアした。

1976年(昭和51年)、軽自動車の枠が引き上げられ、エンジンの排気量は360cc未満から、550cc未満へと拡大された。これは、4ストロークエンジンへの移行促進を狙ったものだが、既に2ストロークで排ガス規制を通過したスズキは、わざわざ4ストロークにする必要がなかった。キャリイやジムニーなどのトルクの必要な車種への要請から、主に商用車用として2ストロークエンジンを継続する事となった。

新規格に対応する為、L50エンジンをベースに、1シリンダー追加し、排気量を539ccとした。これがLJ50である。

横置きトランスミッション用として、RR用のT4A(443cc)およびT5A(539CC)、FF用のT5B(同)がある。LJ50型とT5A型を比較すると基本設計の共通点は多いものの、クランクケースが大きく異なるだけでなく、ポートタイミングやポートサイズも異なり、ボア・ストロークとも同一でありながらシリンダーブロックも全く別のものである(雑誌「ジムニースーパースージー」No.052(2009年6月号)の記事に比較写真あり)。

スポーツエンジンは廃止され、26psあるいは28psのトルク重視のものに統合されたが、2ストローク3気筒という構成から、スペックの割にトルク感があり、また騒音は、音圧は大きいものの、音質は穏やかな連続音だった。当初は、キャリイ、ジムニーに搭載。いずれもCCIS(Cylinder Crank Injection and Selmix)採用の分離給油で、使い勝手はオイルの補充以外、当時の他社4ストローク車と変わらなかった。

F5Aの登場[編集]

排ガス規制を無事に乗り切ったスズキだったが、もはや世の流れは4ストローク化に傾いており、これに逆らう事は出来なかった。また、LJ50自身、ディストリービューターもポイント式のままで、排ガス規制に追われている間に、その他の面で時代に取り残されてしまっていた。

スズキの4ストロークエンジンとしては、設計的には旧いが、信頼性が高く、ジムニー8(SJ20)に使用されていた、F型があった。この4気筒のF8Aをベースに、1気筒減じて、550ccにスケールダウンしたF5Aが、LJ50系に変わるスズキの軽自動車用エンジンとして、フロンテとアルトを置き換えた。

しかし、セルボ、キャリイ、ジムニーは相変わらずLJ50(セルボはT5A)を搭載し続けた。

SJ30[編集]

1982年にセルボが、1985年にキャリイがそれぞれフルモデルチェンジし、エンジンはF5Aへとそれぞれ交代した。

そんな中、1981年に、ジムニーがフルモデルチェンジ(SJ30系)、F5Aでは未だトルクを満足できない為、LJ50を継承した。これが日本最後の2ストロークエンジン搭載4輪車の新規登録形式となった1983年、大マイナーチェンジ(SJ30-2)でついに点火系がフルトランジスタ化され、出力を28psへと僅かに向上、実用トルク域での改善はスペック値以上のものがあった[要出典]

1986年、ジムニーにもついにF5A搭載車が登場(JA71系)。しかし、EPIターボでトルクを稼ぐ形態だった為、低速でのターボラグから実用に不満があり、SJ30も併売とされた。

終焉[編集]

1987年、日本最後の2ストローク4輪車となるジムニーSJ30-5型にマイナーチェンジ。

軽自動車の規格拡大が行われることになり、排気量は550cc未満から660cc未満へと引き上げられた。これに伴い、F5Aはボアを拡大しF6Aとなる。ジムニーも大マイナーチェンジを伴いつつF6A化。これにより従来の泣き所であったターボ非作動時の低回転域のトルクの細さと、小排気量から来る大きなターボラグが解消された。

1988年、SJ30国内向け生産終了。ただし在庫車の販売は続けられる。

1990年軽自動車規格拡大と共にF6Aジムニー(JA11系)発売。入れ替わりにSJ30はカタログ落ちした。

主な搭載車両[編集]

T5B搭載車(SS30S型)はF5A搭載車(SS40S型)と併売。
キャリイバン(現在のエブリイ)も含む。