スシラ・カルキ
| スシラ・カルキ सुशीला कार्की | |
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2025年公式肖像 | |
| 生年月日 | 1952年6月7日(73歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 |
バナーラス・ヒンドゥー大学 トリブバン大学 |
| 前職 |
弁護士 裁判官 |
| 現職 | 政治家 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 配偶者 | ドゥルガ・プラサード・スベディ |
| 在任期間 | 2025年9月12日 - 現職 |
| 大統領 | ラム・チャンドラ・パウデル |
| 在任期間 | 2016年7月11日 - 2017年6月6日 |
| 在任期間 | 2009年1月22日 - 2017年6月6日 |

スシラ・カルキ(ネパール語: सुशीला कार्की, ラテン文字転写: Sushila Karki、1952年6月7日 - )は、ネパールの裁判官、弁護士、政治家。2016年7月から2017年6月までネパール最高裁判所長官を務めた。2025年9月12日から同国暫定首相[1]。暫定首相を含む場合、同国初の女性首相[2]。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1952年6月7日、農家の7人兄弟の長女として、ビラトナガル都市圏のシャンカルプルに生まれた。カルキの家族は、ネパール首相ビシュウェシュワル・プラサード・コイララと密接な関係を持っていた[3]。
ビラトナガルのマヘンドラ・モラン・カレッジで学び、20歳で文学士の学位を取得した。その後、高等教育を受けるためにインドへ渡り、バナーラス・ヒンドゥー大学で修士号を取得した。帰国後、カルキは法律を学び、1978年に26歳でトリブバン大学で法学士号を取得した[3]。
弁護士
[編集]1979年、カルキは弁護士としてのキャリアをスタートさせた。さらに1986年から1989年にかけて、ダーランのマヘンドラ・マルチプル・キャンパスで短期間助手教師として教鞭を執った。1988年から1990年までコシ地区弁護士会の会長を務めた。また、2002年から2004年までビラトナガル控訴弁護士会の会長も務めた。2004年12月19日には上級弁護士の称号を獲得した[3][4]。
最高裁判所
[編集]4年後の2009年1月22日には最高裁判所の臨時判事に任命され、さらに2年後の2010年11月18日には最高裁判所の常任判事に就任した[4]。2016年7月11日、最高裁判所長官に就任した。
2017年4月、当時与党であったネパール会議派とネパール共産党統一毛沢東主義派の議員らが、カルキに対する弾劾動議を提出した。彼らは、「カルキが下した反汚職機関の長を失格とする判決に偏向があった」と主張した。この動議によってカルキは直ちに職務停止となった。しかしその後、司法の独立を擁護する市民による抗議活動が起こり、さらにネパール最高裁自らが介入して手続きを停止した。数週間のうちに弾劾動議は撤回され、カルキは職に復帰した。その後の2017年6月、カルキは最高裁判所長官を退任した[3][4]。
暫定首相
[編集]2025年9月から始まったネパールのZ世代による抗議活動において、K.P.シャルマ・オリ首相は辞任に追い込まれた[1]。後任の首相を巡って、ラム・チャンドラ・パウデル大統領と抗議活動指導者、法律専門家も関与した協議が行われ、数日間の協議を経て、ネパール陸軍司令官が仲介した協議の結果生まれた妥協案が成立した[1]。その結果、元最高裁判所長官のカルキが暫定首相に就任することで合意し、9月12日に就任した[1]。
人物
[編集]ガンディー主義者と評される[4]。カルキと共に働いた人々は、彼女を勇敢で誠実な人物と評している[4]。ネパールZ世代の抗議活動においても、Z世代から清廉潔白なイメージがあるとして歓迎されている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Nepal gets first female PM after deadly unrest” (英語). BBC (2025年9月12日). 2025年9月14日閲覧。
- ^ “ネパール 暫定首相に初の女性 元最高裁判所長官を任命”. NHK (2025年9月16日). 2025年9月16日閲覧。
- ^ a b c d “Who Is Sushila Karki, Nepal's New PM With An India Connection” (英語). NDTV World (2025年9月12日). 2025年9月14日閲覧。
- ^ a b c d e “She made history as first woman chief justice of Nepal. Now as PM” (英語). カトマンズ・ポスト (2025年9月14日). 2025年9月14日閲覧。
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