スコット・ライディ
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アリゾナ州 |
生年月日 | 1968年10月26日(56歳) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1989年 MLBドラフト2巡目 |
初出場 |
MLB / 1993年5月18日 NPB / 1996年3月30日 |
最終出場 |
MLB / 1993年10月3日 NPB / 1996年8月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ドナルド・スコット・ライディ(Donald Scott Lydy , 1968年10月26日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物
[編集]1989年のMLBドラフト2巡目(全体の56番目)でオークランド・アスレチックスに指名され契約。1993年にメジャーデビューを果たすが、メジャー経験はこのシーズンだけで長らくマイナー生活が続いた。1996年に福岡ダイエーホークスへ入団。開幕前には前年まで2年間在籍したケビン・ライマーの残留が決まっていたが、「走攻守三拍子揃った野手」という触れ込みのライディをダイエー側はとり、ライマーは解雇された。背番号はライマーが着けていた47となった。
シーズンに入ると前年までライマーが守っていた右翼手で起用された。6月半ば頃から故障で欠場がちになるが、代わりに外野に入った大道典良が巧打を見せたため[1]、後半戦は故障が治っていても二軍生活が続き、シーズン終了後に解雇となった。
以降はマイナーリーグや独立リーグでプレーし、2001年に引退。その後、2007年に独立リーグで現役復帰したが、1年限りで再び引退した[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1993 | OAK | 41 | 111 | 102 | 11 | 23 | 5 | 0 | 2 | 34 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 1 | 39 | 1 | .225 | .288 | .333 | .622 |
1996 | ダイエー | 81 | 285 | 249 | 29 | 70 | 11 | 1 | 7 | 104 | 29 | 11 | 4 | 3 | 2 | 28 | 1 | 3 | 60 | 2 | .281 | .358 | .418 | .776 |
MLB:1年 | 41 | 111 | 102 | 11 | 23 | 5 | 0 | 2 | 34 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 1 | 39 | 1 | .225 | .288 | .333 | .622 | |
NPB:1年 | 81 | 285 | 249 | 29 | 70 | 11 | 1 | 7 | 104 | 29 | 11 | 4 | 3 | 2 | 28 | 1 | 3 | 60 | 2 | .281 | .358 | .418 | .776 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場・初先発出場:1996年3月31日、対福岡ダイエーホークス1回戦(千葉マリンスタジアム)、7番・右翼手で先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:1996年3月31日、対福岡ダイエーホークス2回戦(千葉マリンスタジアム)、2回表に小宮山悟から左越ソロ
背番号
[編集]- 49 (1993年)
- 47 (1996年)
脚注
[編集]- ^ 大道は「ライディが戻ってきたら長打力に劣る自分はまたレギュラーから外れるだろうから(ただし、ライディの長打力が際立っていたわけではない)、流し打ちに徹するしかない」と考えていたという。[要出典]
- ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=lydy--001don