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スコット・ブレット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スコット・ブレット
Scott Bullett
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウェストバージニア州マーティンズバーグ
生年月日 (1968-12-25) 1968年12月25日(55歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1991年9月19日
CPBL / 1998年4月17日
NPB / 2002年5月7日
最終出場 MLB / 1996年9月21日
CPBL / 1998年10月25日
NPB / 2002年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

スコット・ダグラス・ブレットScott Douglas Bullett , 1968年12月25日 - )は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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1988年ピッツバーグ・パイレーツと契約。1991年9月19日にメジャーデビュー。

1994年シカゴ・カブスに移籍し、翌1995年にメジャー再昇格。

1998年台湾統一ライオンズで1年間プレー。統一での登録名布雷特。同年は79試合出場で打率.303、36盗塁をマークした。

1999年はアメリカ独立リーグアレンタウン・アンバサダーズメキシカンリーグカンペチェ・パイレーツでプレーし[1]2000年メキシカンリーグレイノサ・ブロンコスでプレーして119試合出場・471打数で157安打(打率.333)・35本塁打・100打点・24盗塁を記録した[2]。翌2001年にはレイノサで83試合出場・305打数で104安打(打率.341)・18本塁打・72打点の成績を残したほか、一時はコロラド・ロッキーズ傘下の3Aに在籍し40打数19安打の成績を残した[2]

2001年11月にタイロン・ウッズ(当時は韓国・斗山ベアーズ在籍)の獲得を断念した中日ドラゴンズ浜松秋季キャンプのテストに合格し[3]、入団。打撃コーチ・佐々木恭介から「打率.270 - .280、本塁打20 - 25本は期待できる」と評価された[3][4]

2002年は、5月14日の広島東洋カープ戦(長良川球場)で来日初安打となる2点適時三塁打を右中間に放った[5][6]。翌日の同カード(福井県営球場)では初めて先発出場し[7]、1回裏に来日初本塁打を放つなど2打席連続本塁打を記録した[7][8]

体重約100kgの巨体ながら俊足[9]で、8月18日の読売ジャイアンツ戦ではナゴヤドームの5階席まで届く本塁打を放つ[10]などパワーも持ちあわせていた。一時期恐怖の2番打者として起用されたが、打率が低く[11][12]、レギュラーを獲得できないまま9月25日に退団が決まった[13]

2003年からは再びメキシカンリーグでプレーし、2006年に現役引退[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1991 PIT 11 5 4 2 0 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1 3 0 .000 .200 .000 .200
1993 23 59 55 2 11 0 2 0 15 4 3 2 0 1 3 0 0 15 1 .200 .237 .273 .510
1995 CHC 104 164 150 19 41 5 7 3 69 22 8 3 1 0 12 2 1 30 4 .273 .331 .460 .791
1996 109 177 165 26 35 5 0 3 49 16 7 3 1 1 10 0 0 54 2 .212 .256 .297 .553
1998 統一 79 336 300 56 91 19 3 9 143 64 36 7 0 1 32 5 3 67 5 .303 .375 .477 .852
2002 中日 49 154 149 19 30 8 1 7 61 15 2 1 0 0 5 0 0 45 3 .201 .227 .409 .637
MLB:4年 247 405 374 49 87 10 9 6 133 42 19 9 2 2 25 2 2 102 7 .233 .283 .356 .638
CPBL:1年 79 336 300 56 91 19 3 9 143 64 36 7 0 1 32 5 3 67 5 .303 .375 .477 .852
NPB:1年 49 154 149 19 30 8 1 7 61 15 2 1 0 0 5 0 0 45 3 .201 .227 .409 .637

記録

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NPB

背番号

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  • 47 (1991年、1993年)
  • 10 (1995年 - 1996年、1998年)
  • 49 (2002年)

脚注

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出典

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  1. ^ a b https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=bullet001sco
  2. ^ a b 竜、新外国人テスト」『中日スポーツ中日新聞社、2001年11月4日。オリジナルの2002年1月31日時点におけるアーカイブ。2020年1月3日閲覧。
  3. ^ a b 第3の外国人、合格 ブレッド2割7分、25本いける!」『中日スポーツ』中日新聞社、2001年11月12日。オリジナルの2002年1月31日時点におけるアーカイブ。2020年1月3日閲覧。
  4. ^ 手塚宣武 編『完全保存版 プロ野球セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2002』 第26巻第3号(通算264号)、日本スポーツ出版社〈『ホームラン』2002年3月号増刊〉、2002年3月31日、108頁。 
  5. ^ a b 中日が5割到達で4位に浮上…代打神野が勝ち越し打、小笠原が5勝目”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2002年5月14日). 2004年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  6. ^ a b 強竜今季初4連勝 5割の壁打ち破った!!”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年5月15日). 2002年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  7. ^ a b c 中日のブレット、今季初スタメンで大爆発2連弾”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2002年5月15日). 2004年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  8. ^ a b ブレット連発 竜4発5連勝初貯金”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年5月16日). 2002年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  9. ^ ブレット来日 走って守れる102キロ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年1月30日). 2002年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  10. ^ 弾丸ブレット 反撃口火弾 ナゴヤドーム5階席にズドン”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年8月19日). 2022年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  11. ^ ブレット「チーム内で競争する」”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年6月27日). 2002年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  12. ^ ブレット 1ヶ月残留テスト 力は魅力迷う首脳陣”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年8月29日). 2002年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  13. ^ 山田監督手応え 「攻める野球、戦う野球を理解していただけた」”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年9月26日). 2003年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  14. ^ 広島の苫米地ボー然…4発被弾の5失点KO”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2002年5月15日). 2004年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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