ジークムント・イェーン

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ジークムント・イェーン
Sigmund Jahn cropped.jpg
宇宙飛行士
国籍 東ドイツの旗 東ドイツ
生誕 (1937-02-13) 1937年2月13日(79歳)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国 ザクセン州
他の職業 パイロット
階級 国家人民軍航空軍少将
宇宙滞在期間 7日20時間49分
選抜試験 1976 Intercosmos Group
ミッション ソユーズ31号ソユーズ29号
記章 Soyuz 31 mission patch.png

ジークムント・ヴェルナー・パウル・イェーンSigmund Werner Paul Jähn, 1937年2月13日 - )はドイツ民主共和国(東ドイツ)の軍人宇宙飛行士国家人民軍航空軍(東ドイツ空軍)に所属した。軍人としての最終階級は少将。

1978年8月26日ソ連ソユーズ31号に搭乗し、ドイツ人初の宇宙飛行士となった人物である。

経歴[編集]

ナチス・ドイツ時代のザクセン州フォークトラント郡ドイツ語版英語版モルゲンレーテ・ラウテンクランツドイツ語版英語版市で生まれ、1943年から1951年まで地元の学校に通った後、印刷職人としての職業訓練を受けた。1955年国家人民軍航空軍の前身である航空人民警察に兵士として入隊した。1958年、空軍士官学校を修了。

その後ソ連に留学して1966年から1970年にかけてモニノのY.A.ガガーリン名称空軍アカデミーでパイロットとしての教育を受けた。このため肖像写真では(東ドイツの国家人民軍ではなく)ソ連軍のパイロット資格章を制服の右胸に着用しているのが確認できる。

1976年に予備のパイロットエベルハルト・ケルナーとともにインターコスモス計画の最初の宇宙飛行士に選抜され、モスクワ郊外の星の街で二年間訓練を受けた。

サリュート6号宇宙ステーションでの任務のあと、ソユーズ29号によって地球に帰還。宇宙での滞在時間は7日と20時間49分であった。

軍人としての最終階級は少将。退役したのは1990年10月2日であり、これは東西ドイツ統一の前日である。また、彼の名が冠された小惑星も存在する。

1983年にはポツダムの地球物理学中央研究所 Zentralinstitut für Physik der Erde で、地球の遠隔探査を研究テーマとした論文を作成、物理学の博士号を授与されている。

1990年から彼は(もとは西の機関であった)DLR(ドイツ航空宇宙センター)のフリーランスのコンサルタントとして働き、それと並行して1993年からは欧州宇宙機関でユーロミール計画の準備も行なった。その後2002年に最終的にこの仕事からも退職した。

ソユーズ31号に乗り込むヴァレリー・ブィコフスキー船長とイェーン(1978年8月26日) 
ソユーズ29号で地球に帰還したブィコフスキーとイェーン(1978年9月3日) 
地球帰還後、東ベルリンで行われた記念パレードでのイェーン、ホーネッカー国家評議会議長、ブィコフスキー(1978年9月21日) 
演説をするイェーン(1981年) 
ジークムント・イェーン(2013年)とグレゴール・ギジ 

パーソナル[編集]

彼は結婚しており二人の子供がいる。ベルリン在住。趣味は読書と狩猟である。著書に「宇宙空間の開拓」(1983年)がある。

カール・マルクス勲章[1]および英雄称号ドイツ民主共和国英雄[2]名誉称号「ドイツ民主共和国宇宙飛行士」[3]を受章している。

他に、ソ連邦英雄レーニン勲章を受章。統一後のベルリンの名誉市民。

関連[編集]

  • ドイツ2003年2月に公開され、大ヒットした映画『グッバイ、レーニン!』にも登場し、物語上重要な役割を果たしている。なお同作品はドイツ歴代興行収入記録を更新し、ドイツ内外の様々な映画賞を受賞している。ちなみに同作品でイェーンを演じているのはスイスの俳優シュテファン・ヴァルツであり、本人ではない[4]

脚注[編集]

  1. ^ 東ドイツ最高位の勲章。ソ連のレーニン勲章に相当。
  2. ^ この称号を授与された者は全部で17人しかいない。同一人物が複数回受章しているので実際の受章者数はさらに少なくなる。彼以外の受章者はエーリッヒ・ホーネッカーレオニード・ブレジネフなどである。
  3. ^ これは彼のために創設された名誉称号である。
  4. ^ 同作品が日本公開された際の字幕では「S・イェーン」と表記されており、DVDで発売された際の吹替えでは「ジクムント」と発音されている。ノヴェライズ版においても「ジクムント」と表記されているが、「ズィークムント」が原語の発音に近い表記であると考えられる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]