ジョージ・マードック

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ジョージ・ピーター・マードックGeorge Peter Murdock1897年3月11日 - 1985年3月29日)はアメリカ合衆国人類学者

来歴[編集]

コネチカット州メリデンで5代にわたって農業を営んでいた家族に生まれる。幼少時代のほとんどを家族の農業を手伝うことに費やし、伝統的な機械化されていない農耕知識を得た。1915年にアンドーバーのフィリップス・アカデミーを卒業し、イェール大学アメリカ史を修めた。その後ハーバード・ロースクールに入学した。しかし二年目に退学し、長い世界一周旅行に出発した。この旅行は彼の伝統的な物質文化に対する関心と組み合わさっていた。それから恐らくイェールのアルバート・ケラーの影響をいくらか受けていた。ケラーはマードックに人類学を研究することを勧めていた。イェール大学の人類学研究プログラムはまだウィリアム・サムナーの伝統を維持しており、コロンビア大学フランツ・ボアズによって広められていた歴史的個別主義とは全く異なる強調が行われていた。1925年に博士号を取得してイェールに残った。

もっとも初期の著作にさえマードックの特徴的なアプローチが見て取れる。独立した文化からのデータの検討を通して、人類学への経験的なアプローチを提唱した。データを統計的に検定することで仮説を検証する。彼は人類学者と言うよりもむしろ社会科学者であると自分を見なし、他の分野の研究者と対話し続けた。彼はイェール大学で通文化的なデータをまとめるために同僚や助手を集めた。通文化的アプローチがアメリカの助けになると考え、第二次大戦中にマードックと数人の同僚は海軍に入隊し、コロンビア大学ミクロネシアの文化についてハンドブックを書いた。ハンドブックを完成させた後、マードックと同僚士官は軍政官僚として太平洋地域に送られ、占領下の沖縄で約一年間働いた。

彼の戦前のフィールドワークは北西アメリカのハイダ族などの先住民を対象としていたが、マードックの関心はその時ミクロネシアに移っていた。1960年代まで散発的にフィールドワークを行った。マードックは1928年に(まだ人類学部がなかったので彼の学位は社会学部から得た)イェール大学の教員となった。1938年から1960年まで人類学科の学科長を努めた。彼は当時のイェールの定年年齢に達したが、ピッツバーグ大学社会人類学の教授職を提供された。長年暮らしたコネチカットを離れ、妻とともにピッツバーグに引っ越した。1973年に引退するまでピッツバーグ大学で働き、それから息子の近くのフィラデルフィアへ引っ越した。

後年、人類学者を不公正な批判から守るためのアメリカ人類学会の科学的自由委員会の委員長を務めたが、デイヴィッド・H・プライスによれば、「フーバーの情報者」と題された一章において、マードックはマッカーシズムに協力しアメリカ人類学会の情報をエドガー・フーバーに密かに提供していた。公正のために、マードックは彼の分野や大学において情報部と協力した唯一の人間ではなかったことを付け加えなければならない。20世紀の多くの期間、CIAやFBIのような機関は大学との緊密な関係を維持した。イェール大学は特に、(のちに)機関の職員の養成地として知られることになった。人類学や外交関係者は海外の調査旅行の後しばしば報告を求められた。

1948年に自分の通文化データをより有益な物とするために、イェール大学の外部の人間もそれを利用できるように決定した。米国社会科学研究会議に近づき、データをイェール大学に残すことを目的とした大学の組織、人間関係エリアファイルの設立のために資金援助を受けた。1954年にマードックはあらゆる文化で知られている概念のリスト、『世界の文化のアウトライン』を出版した。1957年に最初の通文化データを網羅した『世界の民族地理的サンプル』を公表した。565の文化から集められた30の要素について述べられていた。1962年から1967年にかけて学術誌エスノロジーに断続的に『エスノロジカルアトラス』としてデータを発表し、最終的に1200の文化から集めた100を越える要素を含むことになった。

1969年にダグラス・ホワイトとともに標準通文化サンプルを発展させた。それは慎重に選ばれた資料の裏付けがある186の文化の、今日では2000を越える要素に関するデータを含んでいる。1959年にアフリカの専門の経験がないにもかかわらず、『アフリカ』を出版した。アフリカの部族に関する有益な参考資料を挙げ、新しい分野として先史時代、特に植物の家畜化を論じた。しかしその一部の結論はかなりの批判を浴びた。1971年に、主に心理学者と人類学者からなる通文化的研究の学会を設立するために尽力した。

1962年にピッツバーグ大学から学術誌エスノロジーを創刊した。これは現在でも世界的に優れた人類学の学術誌のひとつとして知られている。

関連項目[編集]

参照文献[編集]