ジョージ・ケリー (植物学者)

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ジョージ・ケリー英語: George Caley1770年6月10日1829年5月23日)は、イギリス植物学者である。8年間にわたり、オーストラリアで過ごし、オーストラリアの植物をイギリスに送った。

略歴[編集]

イギリスのヨークシャーの Cravenで馬商人の息子に生まれた。4年間ほどグラマースクールで学んだ後、父親の厩舎で働いた。馬の飼育書のハーブの記述に興味を持ち、独学で植物学を学んだ。植物学を学ぶため、仕事を変え、有名な植物学者、ウィリアム・ウィザリングと知り合い、マンチェスターの科学者のグループに入った。1795年にジョゼフ・バンクスに植物に関する仕事を求めて手紙を書き、キューガーデンなどで庭師の仕事を得て、植物学の知識を増やした。

1798年にバンクスからニューサウスウェールズ植民地(オーストラリア)で植物を収集する仕事に任じられ、1800年4月にシドニーに渡り、シドニーのParramattaに小屋を与えられ、小屋の周りに植物栽培のための庭園を作った。多くの博物学資料や植物をバンクスに送り、ニューサウスウェールズ植民地の状況や科学的事項を報ずる手紙を送った。ユーカリの研究をした最初の科学者の一人となった。1801年に軍人のウィリアム・グラント(James Grant)とウエスタンポートまで探検し、報告書、 "A journey to ascertain the Limits or Boundaries of Vaccary Forest" を執筆した。1804年に、3人の助手とブルーマウンテンズを踏破して、山の一つにバンクス山の名をつけた。1805年にはノーフォーク島を訪れた。

1808年にバンクスからさらにオーストラリアに留まることを望まれる手紙を受け取るが、1810年にイギリスに戻った。1816年にカリブ海セントビンセント島の植物園の学芸員に任じられた。1822年までその仕事を続け、翌年イギリスに戻った。

ラン科の属名、カレアナ属(Caleana)やヤマモガシ科の種 Banksia caleyiGrevillea caleyi などに献名されている。

参考文献[編集]

  • Serle, Percival (1949). "Caley, George". Dictionary of Australian Biography. Sydney: Angus and Robertson. Retrieved 2 October 2008.
  • Secord, Anne (1994). "Science in the pub: artisan botanists in early nineteenth-century Lancashire". History of Science 32: 277. ISSN 0073-2753.
  • Else-Mitchell, R. (1966). Caley, George (1770 - 1829). Australian Dictionary of Biography 1 (MUP). pp. 194–195.
  • Brummitt, R. K.; C. E. Powell (1992). Authors of Plant Names. Royal Botanic Gardens, Kew. ISBN 1-84246-085-4.
  • Webb, J., (2002), ‘Caley, George’, in R. Aitken and M. Looker (eds), Oxford Companion to Australian Gardens, South Melbourne, Oxford University Press, p. 124.