ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー

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ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー

ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー(John Van Antwerp MacMurray, 1881年10月6日 - 1960年)は、アメリカ合衆国外交官政治家

生涯[編集]

1881年10月6日、マクマリーはニューヨーク州スケネクタディにおいて、ジュニアス・ウィルソン・マクマリー (Junius Wilson MacMurray) とヘンリエッタ・ウィスウォール・ヴァン・アントワープ (Henrietta Wiswall Van Antwerp) の第4子として誕生した[1][2]

国務次官補時代のマクマリー

マクマリーは国務省の外交部に入り、1917年11月10日日本東京領事館で参事官となった[3]。マクマリーは1919年まで参事官を務めた[4]。1919年から1924年まで国務省極東部長[4]1924年11月18日、マクマリーはカルビン・クーリッジ大統領から国務次官補に任命され、翌11月19日に着任した[5]。マクマリーは上院休会中の任命であったため、1925年1月3日にあらためて上院の承認を受けた。マクマリーは1925年5月19日まで国務次官補を務めた。

1925年4月9日、マクマリーは駐中国公使に任命された[6]。マクマリーは1925年7月15日に着任したが、上院休会中の任命であったため、1925年12月17日にあらためて上院の承認を受けた。マクマリーは1929年11月22日に退任した。

1933年8月28日、マクマリーは駐エストニア公使、駐ラトビア公使、および駐リトアニア公使に任命された。信任状の奉呈はラトビア1933年12月13日[7]リトアニア1933年12月20日[8]エストニア1934年1月4日[9]行われた。マクマリーはラトビアのリガに居住した。マクマリーは上院休会中の任命であったため、1934年1月15日にあらためて上院の承認を受けた。マクマリーは1936年2月12日に駐エストニア公使、駐ラトビア公使を退任し、翌3月13日に駐リトアニア公使を退任した。

1936年1月24日、マクマリーは駐トルコ大使に任命された[10]。マクマリーは1936年3月16日に着任し、1941年11月28日まで駐トルコ大使を務めた。

マクマリーは1960年に死去した。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
ランスフォード・スティーヴンズ・ミラー
アメリカ合衆国国務省極東部長
1919年 - 1924年
次代:
ネルソン・ジョンソン
外交職
先代:
ジェイコブ・グールド・シャーマン
在中華民国アメリカ合衆国特命全権公使
1925年7月11日 - 1929年11月22日
次代:
ネルソン・ジョンソン
先代:
ロバート・スキナー
在ラトビアアメリカ合衆国特命全権公使
1933年12月13日 - 1936年2月12日
次代:
アーサー・ブリス・レイン
先代:
ロバート・スキナー
在リトアニアアメリカ合衆国特命全権公使
1933年12月20日 - 1936年2月13日
次代:
アーサー・ブリス・レイン
先代:
ロバート・スキナー
在エストニアアメリカ合衆国特命全権公使
1934年1月4日 - 1936年2月12日
次代:
アーサー・ブリス・レイン
先代:
ロバート・スキナー
在トルコアメリカ合衆国特命全権大使
1936年3月16日 - 1941年11月28日
次代:
ローレンス・アドルフ・スタインハート