ジョン・シンクレア

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ジョン・シンクレア
ジョン・アンド・ヨーコプラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー・プラス・インビジブル・ストリングスの楽曲
収録アルバムサムタイム・イン・ニューヨーク・シティ
リリースアメリカ合衆国の旗1972年6月12日
イギリスの旗1972年9月15日
録音1971年11月1972年3月
ジャンルロック
時間3:28
レーベルアップルEMIEMIミュージック・ジャパン
作詞者ジョン・レノン
作曲者ジョン・レノン
プロデュースジョン・レノン、オノ・ヨーコフィル・スペクター

『ジョン・シンクレア』 (John Sinclair) は、ジョン・レノン1972年オノ・ヨーコと共同名義[注釈 1]で発表した、生前唯一の2枚組アルバムサムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』の収録曲である。

解説[編集]

ジョン・シンクレア(John Sinclair1941年10月2日生まれ)は、アメリカ合衆国反戦活動家で、1968年11月にミシガン州アン・アーバーで結党されたホワイトパンサー党英語版党首である[注釈 2]

アメリカ合衆国連邦政府は、1964年8月のトンキン湾事件をきっかけに北爆を開始して、ベトナム戦争に本格的に介入していった。第36代大統領リンドン・ジョンソン民主党政権は戦争を正当化し抗議行動を鎮圧する目的で、反戦活動家を薬物火器物を所持していたという理由だけで[注釈 3]逮捕していった。

1969年1月に第37代大統領リチャード・ニクソン共和党政権が始まると、反戦活動家の取り締まりはさらに強化された。同年、シンクレアはFBIおとり捜査で逮捕され、大麻煙草を2本所持していたという理由だけで通常よりも重い懲役10年もの実刑を受け、刑務所服役していた。本曲は彼の投獄に抗議して[注釈 4]、レノンが作詞・作曲したものである。

ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー[編集]

1971年12月10日、ホワイトパンサー党の活動拠点であるミシガン州アン・アーバーで、シンクレアを支援する『ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー英語版』が開かれた。レノンとオノも出演して当時未発表だった本曲を披露した。

その数日後にシンクレアは釈放され、その後、美術館に勤務した。

1972年には、ラリーの模様を収録したドキュメンタリー映画"Ten for Two: The John Sinclair Freedom Rally"[1]が公開された。

出演者[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ imdb.com”. 2024年1月24日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ 正式には「ジョン・アンド・ヨーコ/プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー・プラス・インビジブル・ストリングス」(英語: John & Yoko/Plastic Ono Band with Elephant's Memory plus Invisible Strings)という名義だった。
  2. ^ 1960年代半ばから1970年代前半にかけて、デトロイトを拠点に活動したロックバンドであるMC5のマネージャーだった。
  3. ^ 「と理由をつけて」
  4. ^ 社会活動家アビー・ホフマンは、同年8月15日から17日までの3日間(正確には8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、ニューヨーク州サリバン郡ベセルで40万人もの観客を集めて開かれたウッドストック・フェスティバルのステージに17日の夜明け前に乱入して、シンクレアの投獄に対する抗議の声を上げようとした。しかしステージに立っていたザ・フーピート・タウンゼントは、コンサートの進行を妨害されたことに激怒してホフマンにギターで殴りかかり、彼をステージから叩き出した。

外部リンク[編集]