ジョン・アレン・K・ジーグラス

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ジョン・アレン・K・ジーグラスは、1960年詐欺罪で逮捕され有罪、服役後に香港に国外追放された白人の男性受刑者。名前、経歴、国籍などはすべて自称で、正式なものかは不明。


1959年10月、韓国人の内妻を伴い入国。

1960年1月、丸の内警察署により詐欺罪の容疑で逮捕される。

チェース・マンハッタン銀行東京支店から偽造小切手で約20万円、トラベラーズ・チェックで140米ドル(当時の邦貨換算5万400円)を、韓国銀行東京支店から10万円、合計約35万円を詐取したとして、チェース・マンハッタン銀行東京支店から告訴されていたことを受けてのもの。

取り調べには警視庁公安部外事課があたり、のちに危機管理の専門家として知られる[[佐々淳行]]も担当した。

通常なら警視庁刑事部捜査第三課の所管となるのが自然だが、逮捕後、ジーグラスは自らを『ネグシ・ハベシ国の移動大使で、アメリカの諜報機関員だ』『外交特権の侵害だから、すぐに釈放しろ』と主張。国の場所を問われると地図でエチオピアのちょっと南のあたりを指し、アラビア文字に似ているものの解読不能な「ネグシ・ハベシ語で書いてある」と本人が主張する、週刊誌サイズほどもある巨大なパスポートも所持していた。

パスポートの資格を証明する欄には「ネグシ・ハベシ国国連代表部・特命全権大使」かつ「移動大使(Roving Ambassador…一か国に駐在しないで各国を歴訪して歩く大使)」と書いてあると語った。

このため、外事課が捜査を担当した。

照会の結果、”パスポート”はどこの国が発行した外交旅券でもなく、本人の偽造と判明したが、台北の日本大使館が1959年にビザをこのパスポートに対して発行、東南アジア諸国の日本公館のスタンプが押されており、政府内で問題になった。

経歴について<b>「アメリカで生まれ、チェコスロバキア、ドイツを経てイギリスに行き、そこで高校を卒業。第二次世界対戦では英空軍のパイロットで、ドイツ軍の捕虜になったこともある。戦後は中南米で暮らした。その後韓国で米軍の諜報機関員となり、やがてタイやベトナムでパイロットをやった。それからアラブ連合の特殊任務につき、エチオピアの国境近くにあるネグシ・ハベシ国の外交官となった。日本に来たのは、アラブ大連合の日本人義勇兵募集という極秘任務遂行のため」</b>と述べたが、最終的に関係各国に紹介し、すべて事実無根と判明。ホテルから押収した印鑑、つまりジーグラス本人の印鑑と、旅券に押されていた発行責任者の印が一致し、パスポートの偽造も立証された。

東京地方検察庁は「国籍不明」として起訴し、国選弁護人も、被告がどこの誰だかわからないまま弁護に当たった。

1960年8月10日、懲役1年の判決が下った判決公判の日に、法廷で隠し持っていたガラスの破片で両腕の血管を切り自殺未遂をする。全治10日の軽傷で済んだ。そのような事態になると判決が無効となり、裁判はやり直しになると誤解した節があるという。

服役中、当時の原文兵衛警視総監を相手に、横領罪による処罰と100万ドルの損害賠償を求めた民事提訴を行う。

佐々が当時の秦野章公安部長に改めて説明した際は「この忙しいのにそんなバカな話聞いてる暇ねーよ、いい加減にしろっ」と言われ、誣告罪や名誉棄損罪での逆提訴も検討されたが「警察は忙しい」として見送られた。

懲役1年のジーグラスが出所したとき「国外退去処分」とされたが。どこに送還すべきかは分からず結局、日本に入国した時の最終寄港地だった香港に送還された。

その後どうなっているかは、回想した佐々淳行も「知らない」としている。


参考文献[編集]

  • 佐々淳行「私を通りすぎたスパイたち」文藝春秋 2016年

脚注[編集]