ジョンズ・ホプキンズ病院

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ジョンズ・ホプキンズ病院
ジョンズ・ホプキンズ大学医学部英語版
病院の位置が点で示されたボルチモアの地図
病院の位置が点で示されたボルチモアの地図
病院の位置をボルティモアの地図に示す
所在地
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国メリーランド州ボルティモア、オーリーンズ・ストリート1800番地[注 1][1]
座標 北緯39度17分51秒 西経76度35分33秒 / 北緯39.29738度 西経76.59239度 / 39.29738; -76.59239座標: 北緯39度17分51秒 西経76度35分33秒 / 北緯39.29738度 西経76.59239度 / 39.29738; -76.59239
組織
営利性 非営利病院
種類 教育
大学 ジョンズ・ホプキンズ大学医学部
医療
救急指定 Level I adult & pediatric trauma
ヘリパッド FAA LID: 0MD3 / 17MD
病床数 1,059床
歴史
開院 1889年
リンク
ウェブサイト hopkinshospital.org
hopkinsmedicine.org
他リンク ジョンズ・ホプキンズ・ベイビュー・メディカル・センター英語版
ジョンズ・ホプキンズ病院合同庁舎
Johns Hopkins Hospital Complex
Johns Hopkins Hospital.jpg
2012年9月撮影
所在地 メリーランド州ボルティモア、ノース・ブロードウェイ601番地[3]
座標 北緯39度17分51秒 西経76度35分33秒 / 北緯39.2974度 西経76.5924度 / 39.2974; -76.5924
面積 8エーカー (3.2 ha)
建設 1889年
建築家 カボット&チャンドラー他[注 2]
建築様式 クイーン・アン様式英語版
NRHP登録番号 75002094 [2]
NRHP指定日 1975年2月24日

ジョンズ・ホプキンズ病院: The Johns Hopkins Hospital; JHH)は、アメリカ合衆国メリーランド州ボルティモアに位置する、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部英語版附属の教育病院・生物医学研究施設である。病院は1889年に、慈善家ジョンズ・ホプキンズの遺産を使って設立された。この病院から生まれた専門診療科も多く、例えばハーヴェイ・クッシングが作った脳神経外科学アルフレッド・ブラロック英語版が創設した心臓外科学[4]レオ・カナーが創始した小児科学・小児精神科学[5][6]などが挙げられる。

ジョンズ・ホプキンズ病院は、世界で最も優れた病院のひとつとして広く認知されている[7]。病院は『USニューズ&ワールド・レポート』誌で、1991年から2011年まで21年連続でアメリカ合衆国一の病院と評価された。2016年 - 2017年版では、15の成人診療科と10の小児診療科で同ランキングにランクインし、メリーランド州1位、全国4位(メイヨー・クリニッククリーヴランド病院英語版マサチューセッツ総合病院に続いて4位)の評価を得た[8][9]

創設[編集]

ジョンズ・ホプキンズの肖像

ボルティモア出身の商人・銀行家だったジョンズ・ホプキンズは、1873年12月24日に、推計700万ドル(2017年の1.43億ドルに相当)の遺産を残して78歳で亡くなった[10]。ホプキンズはこの遺産で、自らの名前を冠した「ジョンズ・ホプキンズ大学」と「ジョンズ・ホプキンズ病院」を設立するよう遺言した。当時、ホプキンズの寄付はアメリカ史上最高額の篤志寄付金であった[11]

人生の終焉を迎えるに当たり、ホプキンズはボルティモア出身の著名な人物を12人選んで計画の実行人(信託者)に据え、死の1年前に「ボルティモアにある、ウルフ・モニュメント・ブロードウェイ・ジェファーソン通りで囲まれた、13 エーカー (53,000 )の土地を、病院建設用に」[注 3]譲り渡すとの覚え書きを信託者たちに送った。彼は病院について、「建築や配置の面で、この国やヨーロッパのどの施設にも引けを取らないもの」[注 4]になるよう望み、信託者たちには、「病院サービスの質を保証し、最も高潔で最も優れた技術を持つ内科医・外科医を確保する」[注 5]よう指示した[11]。また最も重要なこととして、「これが私の望みだと心の中へ常に留め置き、最終的に病院が、私が遺言で十二分に準備した大学附属の医学校の一角を成すことを目的とするよう」[注 6]言いつけた。患者のケア(病院を表す)と教育・研究(大学を表す)の両立を追求し、ホプキンズはアメリカ医学の変革へ向かう基礎を築いたのである。

ジョンズ・ホプキンズ病院オクタゴン病棟の外観

最初の病院建設計画は外科医のジョン・ショウ・ビリングス、建築デザインはジョン・ルドルフ・ニールンジー英語版がそれぞれ担当し、建設はボストンの会社カボット&チャンドラー(英: Cabot and Chandler)のエドワード・クラーク・カボット英語版により、クイーン・アン様式英語版で行われた[12]。病院は1889年に205万ドル(2017年の5584万ドルに相当[10])をかけて完成し、感染症の拡大を防ぐため、当時最先端の技術だった暖房・換気装置も導入された。

信託者たちは1889年5月7日の開業に合わせて、「ビッグ4」と呼ばれる腕利きの医師4人を創設メンバーとして招聘した。この4人とは、病理学者ウィリアム・H・ウェルチ英語版、外科医のウィリアム・スチュワート・ハルステッド、内科医のウィリアム・オスラー婦人科医ハワード・アトウッド・ケリー英語版だった[13]

1893年、ジョンズ・ホプキンズ大学は、初めて女子生徒を受け入れた医学校のひとつとなった[14]。共学移行決定の裏には、建設資金に用いられる予定だったボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の株式が、1889年の病院建設のみで使い切られてしまい、医学校を建てる資金が足りなくなったという経緯が存在した。元々の信託者の娘のうち4名が婦人団体として、女子生徒の受け入れを条件に医学校開設に必要な資金50万ドル(2017年の1362万ドルに相当[10])の寄付を申し出た[15]。数回の話し合いを経て、信託者たちは女性たち4人の支援を受けることを決定したが、「ビッグ4」のウィリアム・H・ウェルチのみが反対した。結局ウェルチも共学化を呑むことになるが、後に「ある種の共学化の必要性は、教育の品位を高めることでより明確になる。これは教育でも医学でも同じことだ・・・・・・私たちは共学化は成功だったと思っている、最初乗り気でなかった者も、今では共鳴して好意的に受け止めている」と書き綴っている[注 7]

最初の内科部長となったオスラーは研修医制度を始めた人物と考えられている。病院は現在でも、先輩医師の監督下で患者を診療しながら、専門診療科に関する発展した訓練を受けられる研修病院として活用されており、病院スタッフのほとんどがそういった研修医である。オスラーは、医学部の授業がほぼ講義のみだった時代にあって、医学生にコースの初期から実際の患者を診察させるアイデアを導入した。オスラーの医学教育に対する貢献は、「グランド・ラウンズ英語版」と呼ばれる制度の創設に繋がった (Johns Hopkins Medical Grand Rounds[17]。これは先輩内科医に、医学生の前で自分が直面した最も難しいケースについて討論させるという取り組みで、患者・生徒双方に利益があるものだった[17]。オスラーは墓石に刻むエピタフとして、「医学生に臨床教育の場を与えた」(英: "He brought medical students into the wards for bedside teaching.")とだけ刻んでほしいと述べたという[13]

最初の外科部長となったハルステッドは、この病院で医学や外科学への貢献をいくつも成し遂げた。例えば現代外科医療の根本である出血のコントロールや、正確な解剖学実習、無菌状態での手術、初の乳癌に対する乳房切除術などである(それまで乳癌との診断は、死亡宣告も同じだった)。ほかにも使い捨てゴム手袋の導入や、甲状腺胆管ヘルニア・消化管・動脈瘤手術の開発などの業績がある。ハルステッドは、アメリカ初の正式な外科医研修施設を発足させた人間でもある。

ケリーは自らの専門分野である婦人科学の発展に寄与した。彼は女性特有の病気に対する新しい外科手技を開発し、膀胱鏡をはじめとした多くの医療器具発明も行った。彼は癌治療に初めてラジウムを使った医師のひとりである[13]

ウェルチはウォルター・リード英語版など、当時の一流医師を数多く養成した。彼はアメリカ初の公衆衛生学校をホプキンズに創設している[13]

1912年ダイアモンド・ジム・ブレイディ英語版が22万ドル(2017年の558万ドルに相当[10])を寄付し、この資金を用いてジェームズ・ブキャナン・ブレイディ泌尿器科学研究所(英: The James Buchanan Brady Urological Institute)が創設された[18]

眼科医のウィリアム・ホランド・ウィルマーは、1925年にウィルマー眼科研究所(英: The Wilmer Eye Institute)を開設し、4年後に研究所用の建物が完成した。ウィルマーは1885年バージニア大学で M.D.(Doctor of Medicine)の学位を取得し、その後ニューヨークワシントンD.C.、そしてボルティモアで働いた医師であった[19]

実績[編集]

ジョンズ・ホプキンズ大学で成し遂げられた医学的業績としては、まず、1966年にホプキンズ性同一性診療所(: The Hopkins Gender Identity Clinic)で実施された、アメリカ初の男性から女性への性別適合手術が挙げられる[20]

次の2つの発見は、医学・生物学領域で広く応用できる大発見でもある。1つ目は、ノーベル賞にも輝いた制限酵素の発見で、遺伝子工学分野誕生のきっかけとなった。2つ目は、脳内で自然産生されている脳内オピオイドの発見で、これは神経伝達物質の経路・機能研究興隆に大きく寄与した。

また、HeLa細胞と呼ばれる不死化した世界初のヒト培養細胞は、この病院で治療を受けていたヘンリエッタ・ラックスから1951年に採取され、組織培養研究を行っていたジョージ・オットー・ゲイが細胞株として樹立したものである[21]。病院ではポリオウイルスの3タイプが同定された。初のブルーベビー症候群英語版手術は、外科医アルフレッド・ブラロック英語版と、ホプキンズ大学卒業生で小児心臓学専門のヘレン・ブルック・タウシグ外科技術士英語版ヴィヴィアン・トーマス英語版の手で行われ、現代の心臓外科学へ大きく道を開いた[16][22]

運用[編集]

病院は、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部にある60棟の内、およそ20棟を使用している。全体では80の入口が存在し、毎週8万人ほどが診療に訪れる。病院の収容数は1,000床以上で、1,700人超の医師を含め、全体で3万人以上が病院で勤務している[23]2012年5月には、キャンパスの大規模再開発計画に伴い、2つの新たな診療棟が建設された。11億ドルが掛けられた、シャーロット・R・ブルームバーグ子どもセンター棟(: Charlotte R. Bloomberg Children’s Center tower)と、新しいシーク・ゼイド・タワー(英: The Sheikh Zayed Tower)の建設はこの計画の目玉である。メインのジョンズ・ホプキンズ病院に加えて、4つの関連病院と複数の外来ケア施設がワシントン・ボルチモア広域都市圏に存在するほか、フロリダ州セントピーターズバーグには子ども病院も存在する[24]

ランキング[編集]

病院は、『USニューズ&ワールド・レポート』誌のランキングで、2012年マサチューセッツ総合病院に抜かれて2位に後退するまで、21年連続でアメリカ合衆国一の病院と評価された。2013年にはアメリカ一の病院の座へ返り咲いている[25]2016年 - 2017年版では、アメリカ4位の評価を付けられている[26]

USニューズ&ワールド・レポート
診療科別評価(2016年 - 2017年版)[27]
国内順位 メリーランド州での順位 診療科
3 1 耳鼻咽喉科
4 1 老年科
2 1 神経学脳神経外科
4 1 泌尿器科
1 1 リウマチ科
4 1 精神科
3 1 眼科
5 1 消化器科・消化器外科
4 1 糖尿病科内分泌科
9 1 循環器病科心臓外科
9 1 腫瘍科
7 1 婦人科
13 1 呼吸器科
9 1 整形外科
5 1 腎臓科

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ : 1800 Orleans Street
  2. ^ 英: Cabot & Chandler; Et al.
  3. ^ 英: "thirteen acres of land, situated in the city of Baltimore, and bounded by Wolfe, Monument, Broadway and Jefferson streets upon which I desire you to erect a hospital."
  4. ^ 英: [a hospital] "which shall, in construction and arrangement, compare favorably with any other institution of like character in this country or in Europe"
  5. ^ 英: [to] "secure for the service of the Hospital, physicians and surgeons of the highest character and greatest skill."
  6. ^ 英: [to] "bear constantly in mind that it is my wish and purpose that the hospital shall ultimately form a part of the Medical School of that university for which I have made ample provision in my will."
  7. ^ 原文:"The necessity for coeducation in some form becomes more evident the higher the character of the education. In no form of education is this more evident than in that of medicine ... we regard coeducation a success; those of us who were not enthusiastic at the beginning are now sympathetic and friendly."[16]

出典[編集]

  1. ^ Getting to The Johns Hopkins Hospital”. 2014年12月20日閲覧。
  2. ^ National Park Service (2009-03-13). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. 
  3. ^ Johns Hopkins Hospital Complex”. National Park Service. 2014年12月20日閲覧。
  4. ^ Something the Lord Made - an HBO Film”. Johns Hopkins Medicine (2004年). 2012年3月9日閲覧。
  5. ^ The History of Johns Hopkins Medicine”. Johns Hopkins Medicine. 2012年3月9日閲覧。
  6. ^ Division of Child and Adolescent Psychiatry”. Johns Hopkins Medicine. 2012年3月9日閲覧。
  7. ^ Randi Henderson; Richard Marek (20 March 2001). Here is My Hope: A Book of Healing and Prayer: Inspirational Stories of Johns Hopkins Hospital. Doubleday. ISBN 978-0-385-50032-6. http://www.amazon.com/dp/product-description/0385500327 2012年3月9日閲覧。. 
  8. ^ Johns Hopkins Hospital in Baltimore, MD - Rankings, Ratings & Photos”. US News Best Hospitals. 2016年8月2日閲覧。
  9. ^ 2016-17 Best Hospitals Honor Roll and Overview”. 2016年8月2日閲覧。
  10. ^ a b c d Consumer Price Index (estimate) 1800–2014. Federal Reserve Bank of Minneapolis. February 27, 2014閲覧。
  11. ^ a b A. McGehee Harvey; Victor A. McKusick (1 May 1989). A Model of Its Kind: Volume 1 - A Centennial History of Medicine at Johns Hopkins. Baltimore: Johns Hopkins University Press. ISBN 978-0-8018-3794-4. 
  12. ^ Dorsey, John & Dilts, James D., Guide to Baltimore Architecture (1997) p. 203-4. Tidewater Publishers, Centreville, Maryland ISBN 0-87033-477-8
  13. ^ a b c d The Four Founding Physicians”. Johns Hopkins Medicine. 2012年3月9日閲覧。
  14. ^ Gerard N. Burrow, MD; Nora L. Burgess, MD (February 2001), “The evolution of women as physicians and surgeons”, The Annals of Thoracic Surgery, http://ats.ctsnetjournals.org/cgi/content/full/71/2_suppl/S27 2013年4月10日閲覧。 
  15. ^ “ジョンズ・ホプキンズ大学”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版. ブリタニカ百科事典. ブリタニカ・ジャパン. (2013). 
  16. ^ a b Women -- Or the Female Factor”. Johns Hopkins Medicine. 2016年12月27日閲覧。
  17. ^ a b History of Grand Rounds”. 2013年8月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。
  18. ^ “'Diamond Jim' gives $220,000 to Hospital”. The New York Times (NYTimes.com). (1912年8月13日). http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=F00817FA3D5417738DDDAA0994D0405B828DF1D3 2012年3月9日閲覧。 
  19. ^ Walter R. Parker, MD (1936). Dr. William Holland Wilmer. American Ophthalmological Society. pp. 20–23. PMC 1315552. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1315552/?tool=pmcentrez 2012年3月9日閲覧。. 
  20. ^ Laura Wexler (January–February 2007). “Identity Crisis”. Style Magazine (Baltimorestyle.com). http://www.baltimorestyle.com/index.php/style/features_article/fe_sexchange_jf07 2012年3月9日閲覧。 
  21. ^ Rebecca Skloot (2 February 2010). The Immortal Life of Henrietta Lacks. Random House Digital, Inc.. ISBN 978-0-307-58938-5. https://books.google.com/books?id=LBBhikJpLjwC 2013年4月9日閲覧。. 
  22. ^ Johns Hopkins Medical Milestones”. Johns Hopkins Medicine. 2012年3月9日閲覧。
  23. ^ Alex Dominguez (2010年9月16日). “Gunman kills self, mother at Johns Hopkins Hospital”. WPVI-TV英語版. http://abclocal.go.com/wpvi/story?section=news/national_world&id=7671435 2012年3月9日閲覧。 
  24. ^ Patient Care Locations”. Johns Hopkins Medicine. 2012年3月9日閲覧。
  25. ^ Honor Roll of Best Hospitals 2013-2013”. U.S.News and World Report. 2013年7月16日閲覧。
  26. ^ 2016-17 Best Hospitals Honor Roll and Overview”. 2016年8月2日閲覧。
  27. ^ “Best Hospitals Honor Roll 2016-2017”. U.S. News & World Report (usnews.com). (2016年8月1日). http://health.usnews.com/best-hospitals/area/md/johns-hopkins-hospital-6320180 2016年2月8日閲覧。 

発展資料[編集]

外部リンク[編集]