ジョルジュ・ルー

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ジョルジュ・ルー
George Roux
宝島』の挿絵 (1885年)
本名 Alexandre-Georges Roux
誕生日 (1853-04-05) 1853年4月5日
出生地 フランスの旗 フランス王国ガンジュ
死没年 1929年1月29日(1929-01-29)(75歳)
死没地 フランスの旗 フランス共和国ヴェルサイユ
国籍 フランスの旗 フランス
芸術分野 イラスト絵画
代表作 ヴェルヌ作品の挿絵
受賞 『白と黒の国際展』銀賞
後援者 P-J・エッツェル
影響を受けた
芸術家
J-P・ローランス
A・カバネル
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サイン (1901年)

ジョルジュ・ルー (George Roux1853年4月5日 - 1929年1月29日) はフランス画家イラストレーター。作品の署名には合字による gRoux を用いた。

経歴[編集]

ジョルジュ・ルーとして知られるアレクサンドル=ジョルジュ・ルー(本名:Alexandre-Georges Roux)は、1853年4月5日に南フランスの旧ラングドック=ルシヨン地域圏エロー県ガンジュ(Ganges)で生まれた。ルーはジャン=ポール・ローランスアレクサンドル・カバネルに絵画の技法を学び、1880年の「サロン・デ・アルテスト・フランセ」(:fr) に絵画作品を出品した。

一方、イラストレーターとしても、ジュール・ヴェルヌ叢書驚異の旅」の23作品に挿絵を提供した。これはレオン・ベネットの25作品に次ぐ数である。また、当時ヴェルヌと縁の深かった人気作家、アンドレ・ローリー (パスカル・グルーセの別名義) の『大いなる紺碧』をはじめ、ジャン・エカール(:fr) の『カマルグの王』、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』、フェルディナン・ファーブル(:fr) の『タイユヴァン』(Taillevent) などのイラストも手がけた。

1886年にはパリで開催された第2回「白と黒の国際展」(:fr) に出品し、デッサン部門で銀賞を獲得した。1889年にはパリ万国博覧会の模様を描いた油彩画を残している。ジョルジュ・ルーは20世紀に入ってからも画業を続け、1929年1月29日、ヴェルサイユの自宅にて75歳で死去した。

2006年、オリヴィエ・デュマ(:fr) は、ジョルジュ・ルーとアレクサンドル=ジョルジュ・ルーが、性別を含めて異なる人物である可能性を指摘した。彼は研究者に署名を比較して実際に同一人物であることを確認することを求めている[1]

作品[編集]

ジュール・ヴェルヌ

※年号は初出

脚注[編集]

  1. ^ Olivier Dumas, Roux, l'illustrateur (ou l'illustratrice ? des derniers voyages..., Bulletin de la Société Jules-Verne no 158, 2e trimestre 2006, p. 55-56)
  2. ^ ジョルジュ・ルーが描いたピエール=ジュール・エッツェルの出版社『J.Hetzel & Cie.』の全面広告。若者に人気があるジュール・ヴェルヌ、トーマス・メイン・リード、アンドレ・ローリー(Paschal Grousset)などの名が見える。(出典:Wikimedia Commonsの画像解説)

外部リンク[編集]