ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス
ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス José Eduardo dos Santos | |
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任期 | 1979年9月10日 – 2017年9月26日 |
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出生 | 1942年8月28日(77歳)![]() |
政党 | アンゴラ解放人民運動(MPLA) |
ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス(ポルトガル語: José Eduardo dos Santos, 1942年8月28日 - )は、アンゴラの軍人、政治家、革命家で第2代大統領。アンゴラ解放人民運動(MPLA)議長。1979年にアゴスティニョ・ネト初代大統領の後を継いで大統領となり、2017年9月に退任するまで38年間にわたる長期政権を維持した。これはアフリカでは赤道ギニアのテオドロ・オビアン・ンゲマ大統領に次ぐ長さであった[1]。
父は建設労働者。1956年学生時代にアンゴラ解放人民運動(MPLA)に加わる。しかし宗主国ポルトガルの弾圧を逃れ、1961年フランスに亡命を余儀なくされ、後にコンゴ共和国に逃れた。この頃からMPLA内で台頭し、副議長となる。また、亡命生活のため学業を中断していたが、ソ連に移りアゼルバイジャン石油化学大学(現、アゼルバイジャン石油アカデミー、Azerbaijan State Oil Academy)でエンジニアリングの学位を取得する。1970年アンゴラに帰国し、MPLAの軍事部門であるアンゴラ解放人民軍(Exército Popular de Libertação de Angola、EPLA)に所属、MPLAの第二政治・軍管区ラジオ送信担当に就任し、アンゴラ独立戦争に参加した。1974年第二管区電気通信担当副司令官となり、同時にMPLA外交担当コーディネーターに就任した。
1975年アンゴラはポルトガルから独立を果たしたものの、アンゴラは内戦に突入する。アンゴラ内戦初期に議長兼外交政策担当書記となり、1976年書記を交代した。
1979年9月アンゴラ初代大統領のアゴスティニョ・ネトが死去すると、後継大統領に就任した。
2013年12月15日、娘が企画したマライア・キャリーのコンサートに出席。マライア・キャリーの百万ドル(約1億円)とも指摘される出演料とともに話題になった[2]。
2016年3月、73歳の時に2年後の政界引退を表明[1]。2017年8月23日に実施された大統領選挙には出馬せず、9月26日に大統領を退任[3][4]。
出典[編集]
- ^ a b “アンゴラ現大統領、1979年就任以来約40年間政権を維持”. アフリカビジネスニュース. (2016年3月17日) 2016年4月28日閲覧。
- ^ “「独裁国で高額報酬」マライア・キャリーのコンサートに非難集中”. 産経新聞. (2013年12月22日) 2013年12月22日閲覧。
- ^ “38年の長期政権続いたアンゴラ、大統領に「黄金の引退プラン」を用意”. AFPBB News (フランス通信社). (2017年6月20日) 2017年9月27日閲覧。
- ^ “Angola’s first new president in 38 years vows to fight graft”. ロイター (ロイター). (2017年9月27日) 2017年9月27日閲覧。
公職 | ||
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先代: アゴスティニョ・ネト |
![]() 第2代:1979年 - 2017年 |
次代: ジョアン・ロウレンソ |
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