ジョセフ・サイドゥ・モモ

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ジョセフ・サイドゥ・モモ(Joseph Saidu Momoh,1937年1月26日 - 2003年8月2日)は、シエラレオネ軍人大統領(在任:1985年11月28日 - 1992年4月30日)である。

人物[編集]

ボンバリ州ビンコロ出身。1958年に陸軍に入隊し、1973年に軍人のまま国会議員となる。

軍司令官であったモモは、一党独裁政治を布いていたシアカ・スティーブンス大統領の後継者に指名され、1985年5月に全人民会議(APC)の党首として選挙で大統領に就任した[1]。しかし、1990年には民主化運動が活発になり、一党独裁政治が崩壊した。更に、モモ政権の腐敗は革命統一戦線(RUF)の武装蜂起とシエラレオネ内戦を招いた[2]

1992年バレンタイン・ストラッサー大尉が軍事クーデター首都フリータウンで起こし、政権を追われたモモはギニア亡命2003年に死去。

脚注[編集]

  1. ^ シエラレオネ共和国(Republic of Sierra Leone)”. 外務省. 2019年1月14日閲覧。
  2. ^ 岡野英之「シエラレオネ紛争--その特徴と「若者」に対する再解釈」『国際基督教大学学報. II-B, 社会科学ジャーナル』第62号、国際基督教大学、2007年3月、33-58頁、ISSN 04542134NAID 110006684699 
先代
シアカ・スティーブンス
シエラレオネの大統領
1985年 - 1992年
次代
ヤヤー・カヌ
(暫定)