ジョセフ・サイドゥ・モモ
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| ジョセフ・サイドゥ・モモ Joseph Saidu Momoh | |
| 任期 | 1985年11月28日 – 1992年4月29日 |
|---|---|
| 副大統領 | フランシス・ミナ アブ・バカール・カマラ アブドゥライ・コンテ |
| 出生 | 1937年1月26日 |
| 死去 | 2003年8月3日(66歳没) |
| 政党 | 全人民会議 |
| 受賞 | |
| 配偶者 | ファトマタ・モモ ハンナ・モモ |
| 子女 | ジョセフ・サイドゥ・モモ・ジュニア |
| 宗教 | キリスト教 |
| ジョセフ・サイドゥ・モモ Joseph Saidu Momoh | |
|---|---|
| 所属組織 |
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| 軍歴 | 1958年 - 1985年 |
| 最終階級 |
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ジョセフ・サイドゥ・モモ(英語: Joseph Saidu Momoh, 1937年1月26日 - 2003年8月2日)は、シエラレオネの軍人、政治家。同国第2代大統領(在任: 1985年11月28日 - 1992年4月30日)。
人物
[編集]ボンバリ地区ビンコロ出身。1958年に陸軍に入隊し、1973年に軍人のまま国会議員となる。
軍司令官であったモモは、一党独裁政治を布いていたシアカ・スティーブンス大統領の後継者に指名され、1985年5月に全人民会議(APC)の党首として選挙で大統領に就任した[1]。しかし、1990年には民主化運動が活発になり、一党独裁政治が崩壊した。更に、モモ政権の腐敗は革命統一戦線(RUF)の武装蜂起とシエラレオネ内戦を招いた[2]。
1992年、バレンタイン・ストラッサー大尉が軍事クーデターを首都・フリータウンで起こし、政権を追われたモモはギニアに亡命。2003年に死去。
脚注
[編集]- ↑ “シエラレオネ共和国(Republic of Sierra Leone)”. 外務省. 2019年1月14日閲覧。
- ↑ 岡野英之「シエラレオネ紛争--その特徴と「若者」に対する再解釈」『国際基督教大学学報. II-B, 社会科学ジャーナル』第62号、国際基督教大学、2007年3月、33-58頁、ISSN 0454-2134、NAID 110006684699。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 シアカ・スティーブンス |
第2代:1985年11月28日 – 1992年4月29日 |
次代 ヤヤ・カヌ (国家暫定統治評議会議長) |