ジュリー・アンドリュース

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デイム・ジュリー・アンドリュース
Dame Julie Andrews
デイム・ジュリー・アンドリュース Dame Julie Andrews
1960年代宣伝写真
本名 Julia Elizabeth Wells
ジュリア・エリザベス・ウェルズ
生年月日 (1935-10-01) 1935年10月1日(88歳)
出生地 イングランドの旗 イングランド
サリー州ウォルトン・オン・テムズ
国籍 イギリスの旗 イギリス
身長 173 cm
職業 女優歌手作家演出家ダンサー
ジャンル 映画舞台
活動期間 1945年 -
配偶者 トニー・ウォルトン
1959年 - 1967年離婚
ブレイク・エドワーズ
1969年 - 2010年死別
著名な家族 エマ・ウォルトン・ハミルトン(娘)
ジェニファー・エドワーズ(義娘)
ジェフリー・エドワーズ(義息子)
アメリア・エドワーズ(養女)
ジョアンナ・エドワーズ(養女)
主な作品
映画
メリー・ポピンズ』(1964年)
サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)
ビクター/ビクトリア』(1982年)
プリティ・プリンセス』シリーズ(2001年、2006年)
舞台
マイ・フェア・レディ』(1956年 - 1962年)
 
受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1964年メリー・ポピンズ
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
2019年
AFI賞
生涯功労賞
2022年
英国アカデミー賞
新人女優賞
1965年『メリー・ポピンズ』
エミー賞
バラエティ/ミュージカル番組部門
1971年『Julie and Carol at Lincoln Center』
1972年ジュリー・アンドリュース・アワー
ノンフィクション・シリーズ部門
2003年『Broadway: The American Musical』
グラミー賞
子供のためのアルバム賞
1964年メリー・ポピンズ(サウンドトラック)
子供向けスポークン・ワード・アルバム賞
2010年『Julie Andrews' Collection of Poems, Songs and Lullabies』
特別賞
2010年 特別功労賞生涯業績賞
ゴールデングローブ賞
女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1964年『メリー・ポピンズ』
1965年サウンド・オブ・ミュージック
1982年『ビクター/ビクトリア』
全米映画俳優組合賞
生涯功労賞
2006年 映画界、演劇界への長年に渡る貢献に対して
その他の賞
ディズニー・レジェンド
1991年 映画出演
ハリウッド名声の歩道
映画
1979年 6901 Hollywood Blvd.
備考
大英帝国勲章
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デイム・ジュリー・アンドリュース(Dame Julie Elizabeth Andrews、デイム・ジュリー・エリザベス・アンドルーズDBE1935年10月1日 - )[1]は、イギリス生まれの女優歌手作家演出家ダンサー。2000年、エリザベス2世より舞台芸術の功績で大英帝国勲章に叙され、デイムの称号をつけて呼ばれる。

アンドリュースはウェスト・エンド・シアターで1948年にデビューした。また1954年の上演作品『ボーイ・フレンド英語版』でブロードウェイデビューし、両方ともトニー賞に彼女がノミネートされた『マイ・フェア・レディ』、『キャメロット英語版』で世間の名声を得た。1957年にはテレビで1億人以上が視聴したミュージカル『シンデレラ』に主演した。

アンドリュースはディズニー映画『メリー・ポピンズ』(1964年)で長編映画デビューし、アカデミー主演女優賞を獲得した。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけである。『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)では2回目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。後者の映画は現在でも最高興行収入を獲得した映画第3位である[2]。1964年から1967年の間、『卑怯者の勲章』、『ハワイ』、アルフレッド・ヒッチコック監督作品『引き裂かれたカーテン』、『モダン・ミリー』などでも人気を得て、当時の世界で一番成功した映画スターとなった[3]

1970年代、映画でのキャリアは『スター!』、『暁の出撃』、『夕映え』の興行の大失敗により鈍化していった。しかし、『テン』(1979年)がヒットし、『ビクター/ビクトリア』(1982年)では3回目のアカデミー賞ノミネートを果たした。1980年代の残りは、批評家などからは絶賛されたものの商業的に不成功だった 『That's Life!(英語版) 』と『デュエット・フォー・ワン英語版』に出演した。1990年代、彼女の名声は薄らいでいった。

アンドリュースの映画でのキャリアは『プリティ・プリンセス』(2001年)とその続編『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』(2004年)、アニメーション映画『シュレック』シリーズ(2004年 - 2010年)、『怪盗グルーの月泥棒 3D』の成功でもう一度復活した。彼女の4オクターブもの、非常に印象的な声域は、1997年の喉の手術によって失われてしまった。2003年にはサッグハーバー英語版のベイ・ストリート・シアターで彼女の最初のブロードウェイ成功作である『ボーイ・フレンド英語版』が公演され、演出家を務めた。

アンドリュースは児童作家でもあり、2008年に、ロンドン大空襲の思い出などが含まれている自伝『Home: A Memoir of My Early Years』を出版した。

アンドリュースはアカデミー賞を1度受賞している他に、英国アカデミー賞を1度、ゴールデングローブ賞を5度、グラミー賞を3度、エミー賞を2度、そしてディズニー・レジェンドケネディ・センター名誉賞の受賞経験がある。2002年、「100名の最も偉大な英国人」に59位で選出された。

生い立ち[編集]

ジュリア・エリザベス・ウェルズ(Julia Elizabeth Wells)[4]は、1935年10月1日、イギリスのロンドン近郊サリー州エルムブリッジのウォルトン・オン・テムズ英語版で生まれた[5]。母親のバーバラ・ワード・ウェルズ(旧姓モリス)は、金属加工木工の学校教師のエドワード・チャールズ・"テッド"・ウェルズと結婚した。しかし、アンドリュースは母親が彼女が知らない友人とよく会っているのを不思議に思っていた[6][7]。1950年にアンドリュースは本当の父親は別の人だと母に教えられたが[8][9]、2008年に自伝が出版されるまで公表されなかった[10]

第二次世界大戦が勃発した頃、バーバラとテッド・ウェルズは別々の道を行くことになる。バーバラがテッド・アンドリュースとエンターテイメンツ・ナショナル・サービス・アソシエーション(ENSA)で軍隊の慰問をしていた頃、ロンドン大空襲によってサリーに疎開してきた子供達を支援したテッド・ウェルズであったが、しばらくして二人は離婚した。バーバラがテッド・アンドリュースと、そしてテッド・ウェルズがサリーのヒンチリー・ウッド英語版の戦時工場で織物の仕事をしていた元ヘアスタイリストと、両者とも1939年に再婚した[8][9]

アンドリュースはしばらくテッド・ウェルズと弟のジョンと住んでいたが、1940年頃、テッド・ウェルズは才能のある娘に巧妙なトレーニングを受けさせた方が良いと考え、彼女の母親と継父のところに行かせた。2008年に出版された自伝によると、ジュリーはテッド・アンドリュースを「テッドおじさん」と呼んでいたのだが、彼女の母親に継父を「お父さん」と呼びなさいと言われ、呼び名を変えた。しかしジュリーはまだ幼く、テッド・ウェルズのことを忘れられなかったため、この呼び名を嫌ったという。

アンドリュースは、彼女の家族は「とても貧乏でロンドンのスラム街に住んでいた」「その頃は私が人生で一番苦労した時期です。(very poor and we lived in a bad slum area of London, That was a very black period in my life.)」と語っている。彼女の継父は乱暴で、アルコール依存症であった[10]。テッド・アンドリュースは酔って、彼の継娘とベッドを共にしようと二回も試みたため、アンドリュースは部屋に鍵をかけるようになった[10]。しかし、母親と継父による公演の成功と共に、生活に余裕ができたためもう少し良い地域に住めるようになり、まずベックナム、そして戦争の終結とともにアンドリュースの故郷であるハーシャム英語版に順に移っていった。そしてアンドリュースの家族は昔母方の祖母が家政婦として勤めていた家(現在は取り壊されている)に居住した。[9]

アンドリュースの継父は彼女にレッスンを受けさせ始めた。最初はロンドンにある舞台芸術に特化した学校である、LondonCone-Ripman Schoolで、さらにはソプラノ歌手で声楽師でもあるマダム・リリアン・スタイルズ・アレン英語版に学んだ。リリアンについてアンドリュースは「彼女は私に大きな影響を与えてくれました」、 「彼女は私の三人目の母のような存在で、私は世界中で一番たくさんの母親と父親がいます。(She was my third mother – I've got more mothers and fathers than anyone in the world.)」と語っている。リリアンの自伝『Julie Andrews – My Star Pupil』で、リリアンは「ジュリーの声の精度と音質には驚かされた。彼女にはすぐれた絶対音感の才能があった。(The range, accuracy and tone of Julie's voice amazed me ... she had possessed the rare gift of absolute pitch.)」と書いている(しかしアンドリュースはこの話を2008年の自伝『Home』で否定している)[8][11]。アンドリュースは「マダムは私がモーツァルトやロッシーニをできると確信していたけれど、正直なところ私は一度もやったことがありません。(Madame was sure that I could do Mozart and Rossini, but, to be honest, I never was.)」と後に語っている[12]。自身の声について、「私は混ざり気のない、きれいで、とても細く、4オクターブの声を持っていて、犬が数マイル離れていても呼べたほどでした。(I had a very pure, white, thin voice, a four-octave range – dogs would come for miles around.)」と語っている[12]。LondonCone-Ripman Schoolを卒業後、ベックナムの地元の学校Woodbrook Schoolで芸術教育を続けた[13]

経歴[編集]

イギリスでのキャリア初期[編集]

ジュリー・アンドリュースは1945年の初頭から約2年間、両親と一緒にノーギャラでステージに上がる。「ある日、昼寝をしなさいといわれました。それはママとパパ(テッド・アンドリュース)と一緒に夜に歌うことになったからでした(Then came the day when I was told I must go to bed in the afternoon because I was going to be allowed to sing with Mummy and Pop in the evening)」と、当時の状況を振り返っている。彼女はまだ小さかったため、ビールの木枠の上に立ちマイクで歌った。時々は母親がピアノの伴奏をし、それに合わせてソロか義父とのデュエットをした。「緊張して怖かったけど、上手く歌えた。(It must have been ghastly, but it seemed to go down all right.)」[14][15]

ジュリー・アンドリュースは継父が彼女を、ロンドンにあるモス・エンパイヤーズ英語版の有名なコンサート会場などを管理していたヴァル・パーネル英語版に紹介し[16]、一気に脚光を浴びた。1947年10月22日にアンドリュースはロンドンのヒッポドローム英語版でオペラ『ミニョン』の中の難しいアリアである『私はティタニア』を『Starlight Roof 』というミュージカルのレビューで歌い、プロのソロデビューを果たした。彼女はヒッポドロームで1年間公演する。.[8][17]アンドリュースは『Starlight Roof 』について「そこには、風船で動物を作った、素晴らしいアメリカ人のコメディアンのウォーリー・ボーグ英語版がいました。彼は『客席にいる小さな女の子か男の子で誰かこれを欲しい人はいるかい』と聞きました。そこで私は急いでステージに上がり、『私にひとつください。』と言うと、彼は私に話し掛けてきて、私が歌いますと言うと・・・幸いなことにショーはいきなり静かになりました。それだけではなく、観客は夢中になって聞いてくれました。(There was this wonderful American person and comedian, Wally Boag, who made balloon animals. He would say, 'Is there any little girl or boy in the audience who would like one of these?' And I would rush up onstage and say, 'I'd like one, please.' And then he would chat to me and I'd tell him I sang... I was fortunate in that I absolutely stopped the show cold. I mean, the audience went crazy.)」と語っている。[18]

1948年の11月1日にジュリー・アンドリュースはロンドン・パレイディアム劇場英語版ダニー・ケイニコラス・ブラザーズ、コメディコンビであるジョージとバート・バーナードと共にジョージ6世の家族の前で公演し、ロイヤル・コマンド・ヴァラエティ・パフォーマンス英語版で一人で公演した最年少のパフォーマーとなった。[19][20]

ジュリー・アンドリュースは両親と共にラジオやテレビに出演する。[21]BBC ライト・プログラム英語版のエピソードでミュージカルでコメディ・ショウの『Up the Pole』、そして『Educating Archie』に1950年から1952年まで出演する。[20]1949年10月8日に放送されたBBCの『RadiOlympia Showtime』でテレビデビューを飾った。[22]

アンドリュースはウェスト・エンドにあるロンドン・カジノ劇場英語版で、バッドロールバドア姫 (Princess Badroulbadourを演じた『アラジン』、『ハンプティ・ダンプティ』をそれぞれ一年ずつ公演した。他にも地方の劇場などで『ジャックと豆の木』、『赤ずきん』、主演として『シンデレラ』などにも出演した[21]

アメリカ合衆国でのキャリア初期[編集]

彼女の19歳の誕生日の前夜の1954年9月30日に、ジュリー・アンドリュースはロンドンで大成功したミュージカル『ボーイ・フレンド英語版』のポリー・ブラウン役でブロードウェイデビューを果たす。批評家たちは、アンドリュースはこのミュージカルで優れた人材だ、と評した[1][23]。『ボーイ・フレンド』の契約が切れる間際に、アンドリュースはブロードウェイの『マイ・フェア・レディ』のオーディションを受けてはどうかと勧められ、見事選ばれた[24]1955年の11月に、彼女にとっては初めてのテレビ映画である『High Tor』に出演する契約を交わしビング・クロスビーと共演した[25]

アンドリュースはリチャード・ロジャーズのミュージカル『パイプ・ドリーム英語版』のオーディションを受けた。ロジャーズは彼女を『パイプ・ドリーム』に出演させたいと思ったが、彼は、もしアラン・ジェイ・ラーナーフレデリック・ロウ英語版の『マイ・フェア・レディ』にオファーされたらそちらに出演しなさい、とアドバイスをする。1956年、彼女は『マイ・フェア・レディ』にレックス・ハリソンのヘンリー・ヒギンズ役に対し、イライザ・ドゥーリトル役として出演する。ロジャーズは『マイ・フェア・レディ』でのアンドリュースの才能に感心し、彼女はロジャース&ハマースタインのテレビミュージカルである『シンデレラ』に出演した。[23] 『シンデレラ』はアルフレッド・アントニーニ英語版の音楽的な演出の下で1957年3月31日にCBSで放映され、人々を魅惑し、推定1億700万人が視聴した[26][27]。このショーはニューヨークのブロードウェイ2248番のCBSスタジオ72よりカラーで放映された。現在は、米国でDVD化されたモノクロのキネスコープしか残っていない。 アンドリュースはこの作品でエミー賞にノミネートされた[28]

1958年から1962年の間はCBSの『The Fabulous Fifties』やNBCの『The Broadway of Lerner & Loewe』などの特別番組に出演する。エド・サリヴァン・ショーにゲスト出演したのに加え、『The Dinah Shore Chevy Show』、『What's My Line?』、『The Jack Benny Program』、『The Bell Telephone Hour』『The Garry Moore Show』などにも出演する。1962年6月、アンドリュースはCBSの特別番組の『Julie and Carol at Carnegie Hall』でキャロル・バーネットと共演した。

1960年、ラーナーとロウは彼女をグィネヴィア王妃として、リチャード・バートンや、当時まだ新人だったロバート・グーレキャメロット英語版』に出演させた。バートンは後に彼女のことを「彼女は僕の好きな共演者三人の中の一人で、他の二人はE.テイラーP. オトゥールだ。彼女は僕が唯一、一緒に寝たことがない主演女優さ。(She's one of my three favorite costars, the others being E. Taylor and P. 0'-Toole. She's the only leading lady I never slept with.)」などと語っている。しかし、映画スタジオのトップだったジャック・L・ワーナーはアンドリュースはまだ映画に出演した経験がなく、映画版の『マイ・フェア・レディ』では、代わりにイライザは映画女優であるオードリー・ヘプバーンが演じた。ジャック・L・ワーナーは「私は自分の仕事上、誰が映画に利益を与えるかを知っている。オードリー・ヘプバーンが作品を赤字にさせるようなことは絶対にない。」と語っている[29]。ワーナーはアンドリュースのもう一つの当たり役『キャメロット』の映画化権も持っており、アンドリュースはインタビューで「もちろん『キャメロット』の映画化には出演したいと思いますわ。だけど、ワーナーさんが私にやらせてくれるかしら?」と述べており[30]、最初は舞台のオリジナル・キャストで映画化が発表されたが[30]、結局映画ではバネッサ・レッドグレーブがグィネヴィア王妃役を演じている。

アンドリュースは1959年5月10日にサリーのウェイブリッジ英語版舞台美術家であるトニー・ウォルトン英語版と結婚した。彼等はアンドリュースがロンドン・カジノ劇場英語版で『ハンプティ・ダンプティ』を公演中に初めて出会った。アンドリュースと夫は1962年の9月にイギリスに戻り、娘のエマ・キャサリン・ウォルトン英語版がロンドンで二ヶ月後に生まれた。[31]

ハリウッドスターの座[編集]

1963年、アンドリュースはウォルト・ディズニー・ピクチャーズミュージカル映画メリー・ポピンズ』の撮影を始める。ウォルト・ディズニーは、『キャメロット』の公演を観てアンドリュースは「何をやっても完璧!(practically perfect in every way!)」なイギリス人のナニーにぴったりだと思った。アンドリュースはその頃妊娠6ヶ月であったため断ったが、しかしディズニーは丁寧に「待ちましょう。(We'll wait for you.)」と断言した。[32]

映画『メリー・ポピンズ』(1964年)

メリー・ポピンズ』はディズニー史上、一番の興行成績をあげた。アンドリュースはこの映画で1964年のアカデミー主演女優賞ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけである。彼女と共演者達はグラミー賞 最優秀子供のためのアルバム賞英語版も受賞した。『ポピンズ』の作詞・作曲を担当したリチャード・M・シャーマンがメリー・ポピンズらしい「かわいい仕返し」をしようと考え、アンドリュースはゴールデン・グローブ賞の受賞スピーチで「最後に、これを現実にしてくださったジャック・ワーナーさんに感謝したいと思います。(And, finally, my thanks to a man who made a wonderful movie and who made all this possible in the first place, Mr. Jack Warner.)」[32][33]マイ・フェア・レディは同じく賞にノミネートされていた。

アンドリュースはジェームズ・ガーナーの相手役として『卑怯者の勲章』(1964年)に出演し、英国アカデミー賞 最優秀英国女優賞にノミネートされた。この映画は第二次世界大戦中のロンドンが舞台のコメディ・ドラマである。アンドリュースは共演者のジェームズ・ガーナーと同じく好きな映画としてこれをあげている。[34]

1965年、アンドリュースは『サウンド・オブ・ミュージック』に出演し、その年の最高興行収入映画であり、20世紀フォックス史上最大のヒットとなった。[35]2013年現在、これは今までの映画の中で三番目の興行収入をあげている。[36]アンドリュースはこのマリア・フォン・トラップ役で、二つ目のゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演女優賞にもノミネートされたが、『ダーリング』のジュリー・クリスティに敗れてしまった。

『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影後、NBCのバラエティ・シリーズである『アンディ・ウィリアムス・ショー』にゲスト出演した。このエピソードでエミー賞にノミネートされた。また、エミー賞を受賞した(アンドリュースは受賞していない)特別番組『ジュリー・アンドリュース・ショー英語版』でジーン・ケリー、ゲストとしてニュー・クライスティ・ミンストレルズ英語版らと共演した。これはNBCで1965年11月に放映された。

1966年、アンドリュースは『ハワイ』に出演し、その年の最高興行収入映画になっている。[37]また、同じ年にアルフレッド・ヒッチコック監督映画、『引き裂かれたカーテン』に出演し、ポール・ニューマンと共演している。次の年には『モダン・ミリー』(1967年)に出演し、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた。当時、『モダン・ミリー』と『引き裂かれたカーテン』はユニバーサル・ピクチャーズ史上、それぞれ一番と二番目のヒットであった。

中頃のキャリア[編集]

ロック・ハドソンと映画『暁の出撃』(1970年)でのキスシーン

アンドリュースの次の出演作はハリウッドの最大の失敗作の内の二つで、ガートルード・ローレンスの伝記映画である『スター!』。ロック・ハドソンと共演し、二人目の夫(トニー・ウォールトンとは1967年に離婚)、(1969年に再婚している)であるブレイク・エドワーズ監督映画『暁の出撃』に出演した。[20][38]二人はエドワーズが2010年に亡くなるまで別れることはなかった。[39]

1970年代、エドワーズとアンドリュースは1974年にエイミー、1975年にジョアンナを養子に迎えている。[40][41]エドワーズの前妻と子で、アンドリュースとトニー・ウォルトンとの娘エマより、それぞれ3歳と5歳年上のジェニファーとジェフリーがいる。[42]1970年に、アンドリュースはディズニー映画である『ベッドかざりとほうき』の主演女優の候補の内のひとりであったが、結果的にアンジェラ・ランズベリーが出演した。

アンドリュースはテレビ出演を続ける。1969年、歌手のハリー・ベラフォンテとNBCの特別番組の『An Evening with Julie Andrews and Harry Belafonte』で共演する。1971年、彼女はゲストとしてウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのグランド・オープンに立会い、同年キャロル・バーネットとCBSの特別番組『Julie and Carol At Lincoln Center』に出演した。1972から73年は、ABCで彼女自身のバラエティ番組である『ジュリー・アンドリュース・アワー英語版』で主演を務める。この番組は7つのエミー賞を受賞したが、1シーズンで中止されてしまった。また、『マンディ』で作家デビューも果たした。[43]

1973年と1975年の間、ABCの5つの特別番組に出演する。1977年には『マペット・ショー』にゲスト出演し(日本でも放送)、次の年にはCBSのバラエティ特別番組で再びマペット達と共演した。[44]そのプログラム、『Julie Andrews: One Step Into Spring』は1978年の3月に放送され、好ましくない批評を受け、並みの視聴率になった。1970年代には他に『夕映え』(1974年)と『テン』(1979年)の2作品しか映画に出演していない。

1980年2月、CBSの特別番組『Because We Care』でカンボジアの飢饉の被災者に寄付をしている30人のスター達と共演した。次の年、映画『Little Miss Marker』で主演を務める。1981年、ブレーク・エドワーズの『S.O.B.』に出演し初のトップレスシーンを披露する。これは注目を集め、彼女の健康的でキュートなイメージを求めるファンに突きつけた。[45]

1982年、アンドリュースは『ビクター/ビクトリア』でヴィクトリア・グラントと伯爵ビクター・グラジンスキーという二つの顔を持つ役柄を演じ、相手役はまたジェームズ・ガーナーである。彼女の演技はゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、三度目である、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。[1][46]

1983年、アンドリュースはハーバード大学 ・シアトリカル・ソサエティよりウーマン・オブ・ジ・イヤーに選ばれた[47]。同年、バート・レイノルズと共演した『グッバイ、デイビッド英語版』に出演した。次の映画は、彼女がゴールデン・グローブ賞にノミネートされた『That's Life!』と『デュエット・フォー・ワン英語版』(両方とも1986年)である。

ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星

1987年12月、ABCのクリスマス特別番組で、エミー賞5部門を受賞した『Julie Andrews: The Sound Of Christmas』に出演した。同年、全米ツアーを行った。2年後の1989年、ABCで放送された特別番組でキャロル・バーネットと3度目の共演を果たした。

1991年、ABCのテレビ映画『君が眠る前に英語版』でアン=マーグレットと共演し、テレビドラマデビューを果たした。同年、アンドリュースはディズニー・レジェンドを受賞した。

1992年の夏、彼女にとって初のホームコメディである『Julie』でジェームズ・ファレンティノと共演し、ABCで放送されたが、7エピソード分しか続かなかった。1992年の12月NBCの休暇特別番組『Christmas In Washington』でホストを務める。同年に開発されたバラの新種に「ジュリー・アンドリュース」の名前がつけられた。

1993年、マンハッタン・シアター・クラブ英語版スティーヴン・ソンドハイムのレビューであるオフブロードウェイミュージカル『Putting It Together』のアメリカ初演を行った。1994年から1995年の間、一つ目はリチャード・ロジャーズ、2つ目はアラン・ジェイ・ラーナーのブロードウェイシリーズ、2つのソロアルバムをPHILIPSレーベルでレコーディングをする。1995年、彼女は舞台ミュージカル版の『ビクター/ビクトリア英語版』に出演する。これは彼女がブロードウェイデビューをした35年後であった。1995年10月25日にブロードウェイのマーキュイス劇場英語版で初演され、その日には特集番組『Julie Andrews: Back On Broadway』が全米放映され、後に世界ツアーも行われた。トニー賞において本作品からノミネートされたのはミュージカル主演女優賞へのジュリーのみだったため、公演後のスピーチでノミネート辞退を発表し物議を醸した[48]。このスピーチでの「egregiously overlooked」(直訳:言語道断に見落とされた人たち)というフレーズはこれ以降、同様のシチュエーションにおける決まり文句になっている。[49]

アンドリュースは1997年のブロードウェイの終演間近、声が嗄声になり、ショーを辞めざるを得なくなった。その後、彼女はニューヨークのマウントサイナイ病院で喉から非癌性の声帯結節を取り除く手術を受けた。[1](しかし、最近アンドリュースが、それはビクター/ビクトリアで無理をしたため、「声帯に発生する一種の筋肉紋でした(a certain kind of muscular striation [that] happens on the vocal cords)」、また「私は癌もなく、結節もありませんでした。何もなかったのです。(I didn't have cancer, I didn't have nodules, I didn't have anything.)」と述べている。[50])1999年アンドリュースは喉の手術を行ったスコット・ケセラー氏とジェフリー・リビン氏を含むマウントサイナイ病院の医師を医療過誤で告訴した。当初、医師たちはアンドリュースに声は6週間で戻ると断言していたが、アンドリュースの義理の娘のジェニファー・エドワーズ英語版は1999年に「二年もたちましたが、まだそれ(以前の歌声)は戻っていません。(it's been two years, and it [her singing voice] still hasn't returned.)」と話している。[51]訴訟は2000年9月に落ち着いた。[52]

アンドリュースは1997年の声帯から結節を取り除くための手術の失敗によってなくしたものは、戻ってこないことを認めている。有名な4オクターブのソプラノは虚弱なアルトに変わってしまった。アンドリュースはそれについて「私はひどい調子はずれなオールド・マン・リバーなら歌えます。(I can sing the hell out of Old Man River.)」と言っている。[53]

その後2000年からマサチューセッツ総合病院の院長のスティーブン・M・ゼイトルズ英語版が彼女に4回手術をし話し声は戻ってきているものの、歌声までは戻っていない。[54]

歌声が失われたにもかかわらず、彼女はたくさんの仕事に関わり忙しかった。1998年にはロンドンで舞台作品の『ドリトル先生』に出演した。ジュリー・アンドリュースのウェブサイトによると、オウムのポリネシアの声を演じ、「機械の鳥の口の中にあるコンピューターチップに700ほどの文や音を録音しました。『動物とおしゃべり』の歌ではオウムのポリネシアも歌う(recorded some 700 sentences and sounds, which were placed on a computer chip that sat in the mechanical bird's mouth. In the song 'Talk to the Animals,' Polynesia the parrot even sings)」そうである。次の年1999年11月に放映されたテレビ映画、『One Special Night』でジェームズ・ガーナーと再共演した。

2000年、アンドリュースは舞台芸術の功績でエリザベス2世よりバッキンガム宮殿大英帝国勲章を受勲しデイム・コマンダー英語版(司令官騎士 DBE)となる。[55][56]2002年にはビバリー・ワイルシャー・ホテル英語版で開かれた女王の在位50周年を記念するゴールデン・ジュビリー英語版のハリウッドパーティでゲストの一人だった。[57]彼女は2002年にイギリス大衆による投票で選ばれたBBCの『100名の最も偉大な英国人』で女優で唯一、59位にランクインした。[58]

2001年ケネディ・センター名誉賞を受賞する。同じ年、『サウンド・オブ・ミュージック』で共演したクリストファー・プラマーと生放送でテレビ放送された『On Golden Pond』(1979年の戯曲『黄昏英語版』を脚色)で再共演した。

キャリアの復活[編集]

2001年、アンドリュースは『プリティ・プリンセス』に出演し、ディズニー映画は『メリー・ポピンズ』(1964年)以来となった。彼女はクラリス・レナルディ女王を演じ、その続編、『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』(2004年)でも同役を演じた。『プリティ・プリンセス2』では喉の手術をおこなってから初めて映画で歌った。その"Your Crowning Glory"(ティーンアイドルのレイヴン・シモーネ英語版とのデュエット)という歌は彼女の回復してきている声に合わせ、1オクターブに限られた。[59] The film's music supervisor, Dawn Soler, recalled that Andrews "nailed the song on the first take. I looked around and I saw grips with tears in their eyes."[59]

アンドリュースはその後もディズニー関連の仕事を続け、ニューヨークのプラザホテルに住む女の子を描いた、ケイ・トンプソン英語版の児童書であるエロイーズシリーズ英語版を基にした2つのテレビ映画に出演した。『おてんばエロイーズ/キラキラ星のダンスパーティ英語版』は2003年4月に封切され、『おてんばエロイーズ/わくわくクリスマス英語版』は2003年11月に放送された。アンドリュースはエミー賞にノミネートされた。[28]同年、サッグハーバー英語版のベイ・ストリート・シアターで、1954年に彼女がブロードウェイデビューを果たしたミュージカル『ボーイフレンド』の再上演を演出し、演出家デビューした。彼女の作品の衣装と舞台背景のデザインは前夫のトニー・ウォールトンが担当し、2005年にグッズピード・オペラハウス英語版で再上演され、2006年に全米ツアーがおこなわれた。

2005年から2006年は ディズニーランドの50周年の18ヶ月にわたる祝賀イベント『地球上で一番ハッピーな帰郷英語版』公式の大使を務め、イベントの宣伝をするため各地を駆け回ったり、ナレーションを録音したり、パークのいくつかのイベントに姿をみせたりした。

2004年、アニメ大ヒット作『シュレック2』(2004年)にリリアン王妃の声を担当し、『シュレック3』(2007年)、『シュレック フォーエバー』(2010年)の続編でも同役を担当する。その後、2007年、ディズニーのミュージカルコメディである『魔法にかけられて』でナレーションをし、『メリー・ポピンズ』のような典型的なディズニー映画に敬意を払っていることを人々に示した

2007年1月、映画俳優組合より生涯功労賞を受賞し、彼女の目標はこれからも舞台の演出を続けること、そして彼女のブロードウェイ・ミュージカルを演出することだと述べた。[46]彼女は、自伝の第一部と称した、『Home: A Memoir of My Early Years』が2008年4月1日に出版された。この本はイギリスの彼女の初期のイギリスでのミュージックホールサーキットのことなどが記されていて、1962年にメリー・ポピンズ役を得るところで終わっている。2004年に、ウォルト・ディズニー・ビデオのリリースのためにメリー・ポピンズを演じ、『王様と猫』の物語をナレーションした。

2008年の7月から8月上旬、アンドリュースはアメリカでの短いツアーである『Julie Andrews' The Gift of Music』でホストを務め、[60]さまざまなロジャース&ハマースタインの歌や、彼女の最近出版された本、『Simeon's Gift』に調和させて歌った。これはかなりの年月を得て、声帯手術後の初めての公衆向けの歌手としてのパフォーマンスとなった。[61]

2009年5月、ポーリー・パビリオンで例年行われる大会、UCLA スプリング・シング英語版で音楽の功労賞としてジョージアイラ・ガーシュウィン賞を受賞した。受賞した際に彼女は言った。「頑張れ、熊たち(Bruins)。SCに勝つのです…ストライク・アップ・ザ・バンド、一つ一つの勝利を祝うために。(Go Bruins. Beat SC ... let the Gershwin tunes strike up the band to celebrate every one of those victories.)」

2010年以降の活動[編集]

手形とサイン、チャイニーズ・シアター前で

2010年1月、アンドリュースはニューイヤーコンサートのアメリカでの公式プレゼンターを務める。[62]これは彼女の前年に続いて2回目の出演となった。[63]アンドリュースは興行収入は挙げているものの否定的な評価を受けた映画『妖精ファイター』で助演した。[64][65]この映画のプロモーションツアーで、Operation USAを紹介し、ハイチ地震の援助キャンペーンを行った。[66]

2010年5月8日、アンドリュースは21年来のロンドンでのカムバックを果たした(前のパフォーマンスは1989年にロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたクリスマスコンサートであった)。O2アリーナで公演し、 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が伴奏をし、演者5人と合唱した。[67]その前、イギリスのテレビに出演し(2009年12月など)、本当に歌うのではないと説明した。その代わりに、「話すように歌う」つもりだと言った。[68]コンサートでは彼女は2回のソロと幾つかのデュエットや伴奏部分を本当に歌った。その夜、2回もスタンディング・オベーションをしたファンなどから、好評を博したものの、[69]批評家からはあまり注目されなかった。[70]

2010年5月18日、アンドリュースの23冊目の本(娘のエマとの共作)が出版された。2010年6月には『The Very Fairy Princess』と題され、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー・リストの児童書で1位になった。[71]

2010年5月21日、映画『シュレック フォーエバー』が公開され、再度、女王役を演じた。[72]

2010年7月9日、アニメ映画『怪盗グルーの月泥棒 3D』では不親切だが優しい、主人公グルー(声:スティーヴ・カレル)の母の声を演じた。この映画は批評家らから絶賛され、[73]大ヒットした。[74]

2010年10月28日、映画でフォン・トラップ・ファミリーを演じた俳優たちと映画の45周年を祝うために『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演した。[75][76]数日後、24冊目の本、『Little Bo in Italy』が出版された。[77]

2010年12月15日、アンドリュースの夫、ブレイク・エドワーズがカリフォルニア、サンタモニカSaint John's Health Center肺炎の合併症により死去した。アンドリュースは彼が亡くなる時、隣で見守っていたという。[78][79]

2011年2月、アンドリュースは第53回グラミー賞のセレモニーで、グラミー賞 生涯功労賞英語版、娘のエマ・ウォルトン・ハミルトン英語版と共著した『Julie Andrews' A Collection of Poems, Songs and Lullabies』で親子共にグラミー賞 最優秀子供向けスポークン・ワード・アルバム賞英語版を受賞した。[80][81]

77歳の2013年に、主催者が『サウンド・オブ・ミュージック』で共演して当時14歳であったニコラス・ハモンドである、[82][53]初めてのオーストラリアとニュージーランドのツアーを引き受けた。歌の代わりに、本土の5つの州都で、映画の契約のことについて話すシリーズを計画した。[83]ニュージーランドでのイベントではセキュリティ上の問題があった。[84]

2018年にエミリー・ブラント主演の「メリー・ポピンズ・リターンズ」へのカメオ出演が依頼されたが、「エミリーのメリー・ポピンズになってほしい」と辞退をした。

家族[編集]

母はピアニストのバーバラ、父は学校教師のテッド・ウェルズ。2人の間には弟がいる。2008年出版の自伝で「本当の父親は別の人だと母に教えられた」ことを初めて公表したが、テッド・ウェルズを「本当の父親」として慕う気持ちは変わりないとも述べている。幼少の頃両親が離婚し、母は歌手テッド・アンドルーズと結婚。

1959年には幼なじみでデザイナーのトニー・ウォールトン英語版と結婚し、娘エマ英語版が生まれた。エマには現在子供が2人いる。ウォールトンとは1967年に離婚しエマの親権を得たが、ウォールトンはジュリーとエマの書いた本のイラストを担当するなど、現在でも親交は続いている。

1969年に映画監督のブレイク・エドワーズと再婚。ABCテレビでのドキュメンタリー"Julie Andrews Back on Broadway"(1995年アメリカ)で、エドワーズ監督が語ったところによれば、最初の出会いは、ある日ビバリーヒルズのサンセット大通りの交差点で信号待ちをする間、二人の運転する車が対向車線同士で停車し、目が合ってHelloと挨拶を交わした。そのまま青信号になって双方すれ違ったが、互いに何か運命的に強烈な印象を残した。その後もエドワーズが「あんなに魅力的なのだから、脚の間には、きっとスミレの花でも咲いているのかしらん」と評したとかで、それを耳にしたアンドリュースがスミレの花束とレターを送ったという。そしてすぐ交際、結婚となった。

以降、2010年にエドワーズが亡くなるまでハリウッドのベストカップルとして知られた。70年代〜80年代の出演映画はほとんどエドワーズ作品である。エドワーズには前妻との子供、ジェニファー英語版とジェフリーがいるほか、ベトナム生まれの女の子2人を養子として迎えている。

来日公演[編集]

主な出演作品[編集]

映画[編集]

公開年 邦題
原題
配役 備考
1964年 メリー・ポピンズ
Mary Poppins
メリー・ポピンズ
Mary Poppins
アカデミー賞 主演女優賞 受賞
英国アカデミー賞 Most Promising Newcomer to Leading Film Roles 受賞
グラミー賞 最優秀子供のためのアルバム賞 受賞
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 受賞
Laurel Awards for Best Female Musical Performance 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞 2位
卑怯者の勲章
The Americanization of Emily
エミリー・バーラン
Emily Barham
英国アカデミー賞 最優秀英国女優賞 ノミネート
1965年 サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
マリア・フォン・トラップ
Maria von Trapp
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 受賞
Laurel Awards for Best Female Musical Performance 受賞
David di Donatello Award for Best Foreign Actress 受賞
アカデミー賞 主演女優賞 ノミネート
英国アカデミー賞 最優秀英国女優賞 ノミネート
グラミー賞 最優秀アルバム賞 ノミネート
ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞 2位
1966年 引き裂かれたカーテン
Torn Curtain
セーラ・ルイス・シャーマン博士
Dr. Sarah Louise Sherman
ハワイ
Hawaii
ジェルーシャ・ブルムリー
Jerusha Bromley
1967年 モダン・ミリー
Thoroughly Modern Millie
ミリー・ディルマウント
Millie Dillmount
Laurel Awards for Best Female Comedy Performance 受賞
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1968年 スター!
Star!
ガートルード・ローレンス
Gertrude Lawrence
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1970年 暁の出撃
Darling Lili
リリー・スミス(シュミット)
Lili Smith (Schmidt)
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1974年 夕映え
The Tamarind Seed
ジュディス・ファーロー
Judith Farrow
1976年 ピンク・パンサー3
The Pink Panther Strikes Again
エインズリー・ジャーヴィス(歌唱部分吹き替え)
Ainsley Jarvis (singing voice)
(クレジットなし)
1979年 テン
10
サム・テイラー
Samantha Taylor
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1980年 Little Miss Marker Amanda Worthington 日本劇場未公開
1981年 S.O.B.
S.O.B.
サリー・ミルズ
Sally Miles
日本劇場未公開
1982年 ビクター/ビクトリア
Victor Victoria
ヴィクトリア・グラント/伯爵ビクター・グラジンスキー
Victoria Grant / Count Victor Grezhinski
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 受賞
カンザスシティ映画批評家協会賞 女優賞 受賞
ピープルズ・チョイス・アワード 女優賞 受賞
David di Donatello Award for Best Foreign Actress 受賞
アカデミー賞 主演女優賞 ノミネート
ピンク・パンサーX
Trail of the Pink Panther
掃除人 カメオ出演 (クレジットなし)
1983年 グッバイ、デイビッド
The Man Who Loved Women
マリアンナ
Marianna
日本劇場未公開
1986年 That's Life! Gillian Fairchild 日本劇場未公開
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
デュエット・フォー・ワン
Duet for One
ステファニー・アンダーソン
Stephanie Anderson
日本劇場未公開
ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門) ノミネート
1991年 アフタヌーンティーはベッドで
Cin Cin
パメラ・ピケ
Mrs. Pamela Piquet
君が眠る前に
Our Sons
オードリー・グラント
Audrey Grant
テレビ映画
2000年 Relative Values Felicity Marshwood 日本劇場未公開
2001年 プリティ・プリンセス
The Princess Diaries
クラリス・レナルディ
Queen Clarisse Renaldi
キッズ・チョイス・アワード 映画女優賞 ノミネート
2002年 夢見る頃を過ぎても
Unconditional Love
本人 日本劇場未公開
カメオ出演(クレジットなし)
2004年 シュレック2
Shrek 2
リリアン王妃
Queen Lillian
声の出演
プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング
The Princess Diaries 2: Royal Engagement
クラリス・レナルディ
Queen Clarisse Renaldi
2006年 おてんばエロイーズ/キラキラ星のダンスパーティ
Eloise at the Plaza
ナニー
Nanny
テレビ映画
おてんばエロイーズ/わくわくクリスマス
Eloise at Christmastime
テレビ映画
エミー賞 助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門) ノミネート
2007年 シュレック3
Shrek the Third
リリアン王妃
Queen Lillian
声の出演
魔法にかけられて
Enchanted
ナレーション
2009年 ディズニー映画の名曲を作った兄弟:シャーマン・ブラザーズ
The Boys: The Sherman Brothers' Story
本人 日本劇場未公開
ドキュメンタリー映画
2010年 妖精ファイター
Tooth Fairy
リリー
Lily
『第3回 したまちコメディ映画祭in台東』でのみ上映
怪盗グルーの月泥棒 3D
Despicable Me
グルーの母
Marlena, Gru's Mom
声の出演
シュレック フォーエバー
Shrek Forever After
リリアン王妃
Queen Lillian
2013年 怪盗グルーのミニオン危機一発
Despicable Me 2
グルーの母
Marlena, Gru's Mom
2017年 怪盗グルーのミニオン大脱走
Despicable Me 3
グルーの母
Marlena, Gru's Mom
2018年 アクアマン
Aquaman
カラゼン
Karathen
2022年 ミニオンズ フィーバー
Minions: The Rise of Gru
グルーの母
Marlena, Gru's Mom

テレビ番組[編集]

公開年 邦題
原題
配役 備考
1956年 Ford Star Jubilee Lise テレビ映画
High Tor
1957年 シンデレラ
Rodgers and Hammerstein's Cinderella
シンデレラ
Cinderella
テレビ映画
エミー賞 Best Actress in a Single Performance – Lead or Support ノミネート
1962年 Julie and Carol at Carnegie Hall 本人
1972年
‐1973年
ジュリー・アンドリュース・アワー
The Julie Andrews Hour
司会 エミー賞 ヴァラエティ/ミュージカル番組部門 受賞
ゴールデングローブ賞 女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
エミー賞 Outstanding New Series ノミネート
1973年 Julie on Sesame Street 本人
1991年 君が眠る前に
Our Sons
オードリー・グラント
Audrey Grant
テレビ映画
1992年 Julie Julie Carlisle
1999年 One Special Night Catherine
2001年 On Golden Pond Ethel Thayer
2003年 おてんばエロイーズ/キラキラ星のダンスパーティ
Eloise at the Plaza
ナニー
Nanny
テレビ映画
おてんばエロイーズ/わくわくクリスマス
Eloise at Christmastime
テレビ映画
エミー賞 助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門) ノミネート
2004年 Broadway: The American Musical 本人 ナレーター/PBSのミュージカルシアターのドキュメンタリーの6回分で司会
エミー賞 クリエイティブアート・エミー賞(ノンフィクション・シリーズ部門) 受賞
2009年
2010年
2012年
2014年
ニューイヤーコンサート ナレーター / 司会
2020年‐ ブリジャートン家
Bridgerton
レディ・ホイッスルダウン

舞台[編集]

公開年 邦題
原題
配役 劇場名 備考
1954年 ボーイ・フレンド
The Boy Friend
ポリー・ブラウン
Polly Brown
ブロードウェイ
ロイヤル・シアター
シアター・ワールド賞 女優賞 受賞
1956年
- 1962年
マイ・フェア・レディ
My Fair Lady
イライザ・ドゥーリトル
Eliza Doolittle
ブロードウェイ
マーク・ヘリンジャー劇場
ブロードハースト・シアター
ブロードウェイ・シアター
ウエスト・エンド
ドルリー・レーン劇場
トニー賞 ミュージカル主演女優賞 ノミネート
1960年 キャメロット
Camelot
グィネヴィア王妃
Queen Guinevere
ブロードウェイ
マジェスティック劇場
トニー賞 ミュージカル主演女優賞 ノミネート
1993年 Putting It Together Amy オフブロードウェイ
ニューヨーク・シティセンター
ドラマ・デスク賞 ミュージカル助演女優賞 ノミネート
1995年 ビクター/ビクトリア
Victor/Victoria
ビクター/ヴィクトリア
Victor/Victoria
ブロードウェイ
マーキス劇場
ドラマ・デスク賞 ドラマ・デスク賞 ミュージカル主演女優賞 受賞
トニー賞 ミュージカル主演女優賞 ノミネート(辞退

主な受賞[編集]

アカデミー賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1965年 主演女優賞 受賞 メリー・ポピンズ
Mary Poppins
1966年 主演女優賞 ノミネート サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
1983年 主演女優賞 ノミネート ビクター/ビクトリア
Victor Victoria

英国アカデミー賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1965年 Most Promising Newcomer to Leading Film Roles 受賞 メリー・ポピンズ
Mary Poppins
1966年 最優秀英国女優賞 ノミネート 卑怯者の勲章
The Americanization of Emily
サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music

エミー賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1958年 Best Actress in a Single Performance – Lead or Support ノミネート シンデレラ
Rodgers and Hammerstein's Cinderella
1965年 Outstanding Individual Achievements in Entertainment - Actors and Performers ノミネート アンディ・ウィリアムス・ショー
The Andy Williams Show
(ゲスト出演)
1972年 ヴァラエティ/ミュージカルシングル番組部門 ノミネート Julie and Carol at Lincoln Center
1973年 ヴァラエティ/ミュージカル番組部門 受賞 ジュリー・アンドリュース・アワー
The Julie Andrews Hour
Outstanding New Series ノミネート
1981年 デイタイム賞Outstanding Individual Achievement in Children's Programming - Performers ノミネート The CBS Festival of Lively Arts for Young People
1995年 プライムタイム賞ヴァラエティ/音楽番組における個人パフォーマンス賞 ノミネート The Sound of Julie Andrews
2004年 プライムタイム賞助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門) ノミネート Eloise at Christmastime
2005年 プライムタイム賞ノンフィクション賞(ノンフィクション・シリーズ部門) 受賞 Broadway: The American Musical

グラミー賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1965年 最優秀子供のためのアルバム賞 受賞 メリー・ポピンズ(サウンドトラック)
Mary Poppins (soundtrack)
1966年 最優秀アルバム賞 ノミネート サウンド・オブ・ミュージック(サウンド・トラック)
The Sound of Music (soundtrack)
1996年 最優秀トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞 ノミネート エーデルワイス
Broadway: The Music Of Richard Rodgers
1998年 最優秀トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞 ノミネート Here I'll Stay
2011年 特別功労賞生涯業績賞 受賞
最優秀子供向けスポークン・ワード・アルバム賞 受賞 Julie Andrews' Collection of Poems, Songs and Lullabies

ゴールデングローブ賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1965年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 受賞 メリー・ポピンズ
Mary Poppins
1966年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 受賞 サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
1967年 ヘンリエッタ賞
(世界でもっとも好かれた女優)
受賞
1968年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート モダン・ミリー
Thoroughly Modern Millie
ヘンリエッタ賞
(世界でもっとも好かれた女優)
受賞
1969年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート スター!
Star!
ヘンリエッタ賞
(世界でもっとも好かれた女優)
ノミネート
1970年 ハンリエッタ賞
(世界でもっとも好かれた女優)
ノミネート
1971年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート 暁の出撃
Darling Lili
ヘンリエッタ賞
(世界でもっとも好かれた女優)
ノミネート
1973年 女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート ジュリー・アンドリュース・アワー
The Julie Andrews Hour
1980年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート テン
10
1983年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 受賞 ビクター/ビクトリア
Victor Victoria
1987年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネート That's Life!
主演女優賞(ドラマ部門) ノミネート デュエット・フォー・ワン
Duet for One

ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1966年 最優秀外国女優賞 受賞 サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
1983年 最優秀外国女優賞 受賞 ビクター/ビクトリア
Victor Victoria

トニー賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1957年 ミュージカル主演女優賞 ノミネート マイ・フェア・レディ
My Fair Lady
1961年 ミュージカル主演女優賞 ノミネート キャメロット
Camelot
1996年 ミュージカル主演女優賞(辞退 ノミネート ビクター/ビクトリア
Victor/Victoria

ドラマ・デスク・アワード[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1994年 ミュージカル助演女優賞 ノミネート Putting It Together
1996年 ミュージカル主演女優賞 受賞 ビクター/ビクトリア
Victor/Victoria

Laurel Awards[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1965年 Best Female Musical Performance 受賞 メリー・ポピンズ
Mary Poppins
Female Star 3位
1966年 Best Female Musical Performance 受賞 サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
Female Star 2位
1967年 Best Female Musical Performance 受賞 モダン・ミリー
Thoroughly Modern Millie
Female Star 受賞
1968年 Female Star 受賞
1970年 Female Star 6位
1971年 Female Star 10位

その他の賞[編集]

部門 結果 ノミネート対象
1955年 シアター・ワールド賞 女優賞 受賞 ボーイ・フレンド
The Boy Friend
1965年 ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞(2位) 2位 メリー・ポピンズ
Mary Poppins
1966年 ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞 2位 サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
1979年 ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム 映画 受賞 6901 Hollywood Blvd.
1983年 カンザスシティ映画批評家協会賞 最優秀女優賞 受賞 ビクター/ビクトリア
Victor Victoria
1983年 ヘイスティ・プディング・シアトリカルズ ウーマン・オブ・ジ・イヤー 受賞
1983年 聖ジョージ映画賞 最優秀外国主演俳優賞 ノミネート ビクター/ビクトリア
Victor Victoria
1991年 ディズニー・レジェンド 映画出演 受賞
1993年 Women in Film Crystal Award 受賞
2001年 ケネディ・センター名誉賞 受賞
Society of Singers Society of Singers Life Achievement 受賞
サン・セバスティアン国際映画祭 ドノスティア賞 受賞
2002年 キッズ・チョイス・アワード フェイバリット映画女優賞 ノミネート プリティ・プリンセス
The Princess Diaries
2004年 Golden Plate Award The Arts 受賞
2005年 ラスベガス映画批評家協会賞(シエラ賞) ウィリアム・ホールデン生涯功労賞 受賞
2007年 全米映画俳優組合賞 生涯功労賞 受賞
2009年 UCLA スプリング・シング
ジョージ&アイラ・ガーシュウィン
音楽生涯功労賞 受賞
2011年 プリンセスグレース財団賞 プリンスレニエIII賞[85] 受賞
2019年 ヴェネツィア国際映画祭 栄誉金獅子賞 受賞

著書[編集]

アンドリュースはジュリー・アンドリュース・エドワーズ(Julie Andrews Edwards)やジュリー・エドワーズ(Julie Edwards)というペンネームで本を出版することが多い。

  • Andrews, Julie. Home: A Memoir of My Early Years (2008) Hyperion ISBN 0-7868-6565-2
  • ジュリー・アンドリュース Home: A Memoir of My Early Years
    • 日本語版『ホーム ジュリー・アンドリュース自叙伝』星薫子訳、五月書房新社、2023年。ISBN 978-4-909542-48-9
  • Andrews, Julie. HomeWork: A Memoir of My Hollywood Years (2019) Hachette Books ISBN 978-0316349253
    • ジュリー・アンドリュース HomeWork: A Memoir of My Hollywood Years 日本語版、五月書房新社(発行予定)
  • Andrews, Julie and Emma Walton Hamilton(著者) and Christine Davenier(イラストレーター). Very Fairy Princess. Little Browne 2010. ISBN 978-0-316-04050-1.
  • Andrews, Julie and Emma Walton Hamilton(著者) and James McMullan(イラストレーター). Julie Andrews' Collection of Poems, Songs, and Lullabies. Little Brown 2009. ISBN 978-0-316-04049-5.
  • Edwards, Julie Andrews(著者) and Judith Gwyn Brown(イラストレーター)Mandy.[43]Harper & Row, 1971. ISBN 0-06-440296-7.
  • Edwards, Julie Andrews(著者) and Johanna Westerman(イラストレーター). "Mandy: 35th Anniversary Edition". HarperCollins, 2006. ISBN 0-06-113162-8.
  • Edwards, Julie. 『偉大なワンドゥードルさいごの一ぴき英語版The Last of the Really Great Whangdoodles)』。[43] New York: Harper and Row. 1974. ISBN 0-00-184461-X.
    • 『偉大なワンドゥードル最後の一匹』青柳祐美子訳、小学館、2008年、各・旧版は岩谷時子訳(TBSブリタニカ, 1979年)
  • Edwards, Julie Andrews. Little Bo: The Story of Bonnie Boadicea. Hyperion, 1999. ISBN 0-7868-0514-5.(このシリーズ本は他にもいくつかある。)
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton. Dumpy the Dumptruck']. Hyperion, 2000. ISBN 0-7868-0609-5.(Dumpyシリーズ本は他にもある。)
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton,(著者). Gennady Spirin(イラストレーター). Simeon's Gift. 2003. ISBN 0-06-008914-8.
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton. Dragon: Hound of Honor. HarperTrophy, 2005. ISBN 0-06-057121-7.
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton(著者) and Tony Walton(イラストレーター). The Great American Mousical. HarperTrophy, 2006. ISBN 0-06-057918-8.
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton. Thanks to You: Wisdom from Mother and Child. Julie Andrews Collection, 2007. ISBN 0-06-124002-8.

脚注[編集]

  1. ^ a b c d "Dame Julie: The sound of music". BBC. 1999年12月31日。 2007年1月29日閲覧。
  2. ^ All Time Box Office Adjusted for Ticket Price Inflation”. Boxofficemojo.com. 2012年12月3日閲覧。
  3. ^ William Ruhlmann "Julie Andrews Biography". AllMusic. 2014年2月18日閲覧。
  4. ^ Julie Andrews. Reel Classics.
  5. ^ Biography and Video Interview of Julie Andrews at Academy of Achievement. Archived 2011年9月25日, at the Wayback Machine.
  6. ^ Julie Andrews: I was a secret love child, Daily Express 2008年3月10日
  7. ^ Spindle, Les. Julie Andrews: A Bio-Bibliography. Greenwood Press (1989) ISBN 0-313-26223-3. pp. 1–2.
  8. ^ a b c d Spindle, Les. Julie Andrews: A Bio-Bibliography. Greenwood Press (1989) ISBN 0-313-26223-3. pp. 1–2.
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]